MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

どこでもドア

2011-06-13 00:00:00 | 通訳者のつぶやき

ドラえもんの道具の中でひとつだけもらえるとしたら
医療通訳者としては「どこでもドア」だなあと思います。

「どこでもドア」はWikipediaによると
(「医療通訳」のwikipediaはないのに「どこでもドア」はあるんですねえ・・)

「開き戸を模した道具。目的地を音声や思念などで入力した上で扉を開くと、その先が目的地になる。ドアのノブに意志読み取りセンサーが組み込まれているため、場所の指定は「いつもの空き地」と言えば野比家の近所の空き地になったり、「どこでもいいから遠く」と言えば適当な場所になるなど、曖昧な指定が可能。10光年以内の距離しか移動できないという制限がある」

とのことですが、
10光年で十分です。はい。
日本国内の病院には問題なく行けますので。

私は仕事上、電話での医療通訳をすることが多いです。
時間がかからない。距離の問題がない。待ち時間のコストがかからない。
など電話通訳にはいろんなメリットがありますが、
患者の顔が見られないということが最大のデメリットです。

先日、流産の通訳をしたとき、
患者さんの声のトーンがとても落ち着いていたのが、
とても痛々しく感じました。
あまりの落ち着きにこちらが不安になったくらい。
どんなにつらい思いなのだろうと。
でも声からは気丈な雰囲気が伝わってきます。
こういう人には付き添ってあげたいなあと思います。
でも、すぐに行くわけにはいきません。
結局、電話で最低限の通訳をして、
最後に「何かあればまた電話して」の言葉を残して電話をきります。

やはり電話通訳はベターであってベストではない。
でもやるからにはベストにもっていく工夫をしなければいけないのは確かです。

もしかしたら本人は通訳と顔を合わせたくなかったかもしれません。
だけど、そばにいることができたら、
医療関係者も安心だろうし、こちらももっと適切な通訳ができたかもしれない。
だからこんな時「どこでもドア」があれば、
電話一本で日本中の病院を訪ねていけるのにと思うのです。

ただ、ひとつ忘れてました。
「どこでもドア」があれば
外国人患者はそれを使って自分の国の病院に行くかも。
それなら医療通訳者は必要ないし、
外国人も日本に住まずにどこでもドアで出勤してくるかも。

やっぱり・・「どこでもドア」の発明はまだまだ先のお話でしょうね。


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