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MEDINT(医療通訳研究会)便り+

医療通訳だけでなく、広く在住外国人のコミュニケーション支援について考えていきます。

罪深い言葉

2014-06-09 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
医療者や先生といった対人支援に関わる人たちの何気ない一言は、
患者や家族、親に大きく影響します。

相談窓口では、
医師や看護師、教師といった専門職の言葉が
ずっと心から離れずに苦しんでいるケースを聞くことがあります。

文化の違いと片付けられるくらい簡単なことではないのですが、
日本では「ごめんなさい」「すみません」をあまりに簡単に使うなあと感じます。
謝罪の言葉を通訳する時はかなり神経を使います。

生後まもなく脳内出血を起こしたこどものお母さん。
何年経ってもあの時看護師が「ごめんね」と言った日本語を忘れていません。
「ごめんね」は悪いことをした時に言う言葉。
だから、きっとこの看護師か病院が何か悪いことをしたに違いない。
こどもの事故に過失があったに違いない。
事故はこの人のせいでおこったのではないか。
そうずっと苦しんでいます。
彼女にとって医療過誤の訴えの証拠が「ごめんなさい」という言葉です。

学校で子供同士が喧嘩して、
親が呼び出されました。
その場所で先生が、「○○ちゃん、○○○○ごめんね」と言いました。
途中の言葉はわからない日本語です。
「ごめんね」という謝罪の言葉だけが理解できました。
最初は子供同士の喧嘩だと思っていた親も、
先生が誤ったことで、先生の管理が足りなかったと認識して、
訴えたいと考えています。

日本語の文脈の中で、わりと簡単に使われる謝罪の言葉。
言葉の中には、「ちょっとごめんね」から
「大変申し訳ないことをしてしまった」や「死んでお詫びがしたい」まで、
様々なグラデーションがあって、日本語ネイティブならその「重さ」も理解できると思います。

看護師の友人に聞くと
たとえば注射をしたら
「痛い思いをしたね。ごめんね。」という意味で、よく使うといいます。

専門職の人が日本語ができないと思っている外国人も
まったく聞こえていないわけではありません。
知っている言葉が混じっていればそれが耳に残るし、
話せなくても聞いてある程度理解できる方も少なくないのです。

通訳を使わないで日本語を発語する場合も、
相手がその言葉を聴いているということを忘れないでください。


「チーム医療」プロシーディングできました!

2014-06-02 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
お待たせしました。

やっと昨年12月に開催した医療通訳研究会(MEDINT)シンポジウム2013
「チーム医療の中の通訳者~私たちはこんな医療通訳者と働きたい」の
プロシーディングが完成しました。

テープ起こしがあがってきたのが2月にもかかわらず、
今回はチェックにすごく時間がかかってしまいました。

申し訳ありません。

昨年12月には、たくさんの方にご参加いただきましたが、
もう一度読み返してみると、新しい発見がたくさんあると思います。
是非、手にとってみてくださいね。

内容についてはここでは転載できないので、
私の書いたあとがきの一部を掲載させてもらいます。

おわりに
最初、支援者として同行していた医療通訳者は、
多かれ少なかれ医療機関に複雑な思いを抱いていました。
もっと患者に優しくしてほしい。もっとわかりやすくしてほしい。
医療文化の違いを配慮してほしい。
また、外国人だからと露骨に嫌な顔をされたり、
本人の目の前で差別的な発言をされたり、保証人にならざるをえなかったり・・・。
時には、医療機関のために医療通訳をやってきたのではないと思ったこともありました。
でもそんな中で、言葉が通じないから診察ができない、
治療方針を理解してもらえないから治してあげられないと心を痛めてくれる医療従事者の人たちと
たくさん出会えたことが救いでもありました。そうした皆さんとの出会いが、
医療通訳を制度化して、どんな外国人でも安心して母語で
医療を受けることができる日本社会を目指したいという共通の思いになっていきました。
今回のシンポジストにはあえて医療機関の方々ばかりを選ばせていただきました。
どなたもとても心のあたたかい先生方です。
私たち医療通訳者は、みなさんのチームの一員として認めてもらうために、
どんなことに気を付ければいいでしょうか。どんな通訳者を必要としていますか?
もっと聞かせてください。苦情も受け付けます。私たちはどんな素養を身につけて、
どんな研修を受けて、どんな通訳者になればいいでしょう。
みなさんにとって使いやすい医療通訳者って?
一緒に働きたいと思ってもらえる通訳者はどんな通訳者でしょうか。
いままで先生方は、もしかしたら医療通訳に遠慮されているところもあるのかなと不安にも思ってきました。
今回のシンポジウムをひとつの出発点にして、これからも議論していきましょう。
よろしくお願いします。


2014年初夏

医療通訳研究会(MEDINT)代表
村松 紀子

長崎の坂で筋肉痛・・・

2014-05-26 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
週末は多文化間精神医学会でした。

私は研究者でも医者でもないので、
ネットワークの会議はあっても学会とはあまり縁がありません。
でも、この多文化間精神医学会と日本渡航医学会だけは、
NGOにもオープンに交流をしてくださるので、参加させてもらっています。

金曜日、愛知県立大の授業を終えて中部国際空港から長崎へ。
中部国際空港のカードラウンジはビール(一番搾り、ハートランド)が飲み放題だし、
飛行機の中でいい感じにご機嫌になって、長崎に到着。
協力隊のOGとちゃんぽん食べて束の間の観光気分に浸りました。

土曜日は長崎大学医学部の想像以上にハードな坂をのぼり会場へ。
長崎で自転車は邪道という友人の言葉にあらためて納得。
ここに住んだら確実に痩せる!と思います。
9時に会場に着いたのですが、まだひとはまばらでした。

10時半から自分が発表するシンポジウムがありました。
表題は「多文化診療事始め」。
NTT東日本病院の秋山先生が座長になり、
それぞれ外国人患者の診療に関わる事例などを発表されました。
私は医療通訳の立場から、はじめて通訳する時と通訳を使うときの
特に医療者側に知っておいて欲しいことを伝えました。

学会は毎回興味深いテーマがたくさんあるのですが、
今回は発達障害にかかる支援のテーマが多かった気がします。
最近、外国人相談でも自閉症をはじめとする発達障害の相談が増えているので、
とてもタイムリーなお話でした。

また、難民認定申請者のメンタルヘルスについての一般演題は、
収容所での診療、服薬の状況や
精神疾患についての文化的な差異についての発表は、
日々外国人相談窓口で感じている違和感を言語で表現してくれた
目からウロコの発表でした。

今回の学会で一番すばらしかったのは、
一般公開公演の「ろうあ被爆者の証言~聞き書き活動から~」でした。
ろう者の方の被爆体験は、あまり聞く機会がありません。
「原爆を1ヶ月くらい普通の大きな爆発だと思っていた」
「放射能のことを知ったのは被爆してからずっと後だった」
「家族もろう者が言葉を持っているとは知らなかった」
「痛くても声が出なくて助けが呼べなかった」
「聞こえないことは外見からはわからない」
情報があまりない中での被爆という想像を絶する体験をされた方々の
声を集めるて後世に伝える活動をされている手話通訳者のお話でした。
とつとつと紡がれる「手の言葉」に涙が止まりませんでした。

坂の上り下りで筋肉痛、
ちゃんぽん以外、ほとんど観光もできない状況でしたが、
日々の通訳や相談の中では知ることのできないたくさんのことを学ぶことができました。

相変わらず喉はガラガラですが、
今週は通常業務だけなので、少しゆっくりしたいと思います。

お聞き苦しくてm(__)mすみません

2014-05-19 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
先週から風邪をひいて、声が出なくなってしまいました。
熱はないし、頭痛や筋肉痛などもありません。
ただ、喉が痛くて、咳が出て、声が出ない・・・・のです。

白湯を飲んで、のど飴を舐めて、イソジンでうがいをして、
首巻きして、加湿器つけて、寝るときはマスク。
それでも一向に改善しません。

相談者の中にも同じような症状の通訳依頼があって、
結構多いのかなと思っています。
皆さんは大丈夫ですか?

それでも先週3箇所で話をしなければいけない機会があって、
お聞き苦しい声を撒き散らしてきました

14日は滋賀の全国市町村国際文化研修所(JIAM)
「多文化共生マネージャー養成コース」の研修がありました。
私は「生活相談」を担当しているのですが、
国際交流協会での生活相談事業は、取り扱うケースが年々難しくなっているのが実情です。
毎回、都道府県や市町村の国際担当、国際交流協会職員、
NPO団体スタッフが参加しています。
私と同じ外国語の相談員の方々もいるので、心強く思います。


16日は愛知県立大学の授業
まず9日の授業の振り返り。「外国人と労働」だったのですが、
昔は偽装請負や社会保険に入ってくれない、労災隠しなどは
外国人労働者と一部労働者のものかと思っていたのですが、
最近は若年労働者でも同じようにひどい労働条件のケースがあります。
学生がいつか世の中に出て行く日のために、
人ごとではなく自分のこととして労働基準法を理解するようにと願います。
16日のテーマは「結婚と離婚」。離婚届や不受理申請など
普通はあまり見ることのない書面を見ながら説明していきます。
DVや婚姻の破綻なども外国人だけのケースではないなあと痛感します。

18日は広島県手話通訳士協会の研修にお招きいただきました。
このブログを4年前から読んでくださっているKさんが、企画してくださいました。
ブログを見てという依頼ははじめてです。
それも異業種である手話通訳の方から。
ブログやっててよかったなあ・・とつくづくと思いました。
「言語通訳者」として「医療通訳」について話すのははじめてで、
改めて、通訳は当事者あってのものであり、
権利擁護の運動とセットであることを痛感しました。
このことについては、また別の機会に書いてみたいと思います。

今週末は多文化間精神医学会長崎大会に。
土曜日朝のシンポジウムに参加します。
テーマは「多文化診療事始め」。
はじめて精神科医療通訳をした頃を思い出して話したいと思います。
それまでに声が出るように直さなければ・・・







ボランティアでお願いします

2014-05-05 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
通訳を探して欲しいと言われるとき、
特に行政の方は「ボランティアでお願いします」とおっしゃいます。

このボランティアは「自発的な精神をもちポジティブに通訳に打ち込んでいる人」ではなく、
「無料で使える人」を意味します。

そういう方には、まず「予算措置をしてください」とお願いします。
大抵の方は「困っている人がいるのに、なんでそんなことをいうのか」とおっしゃいます。

本当にボランティアで通訳するときは
その通訳がどうしてもその人にとって必要と自分自身、強く思われ、
周りで支援している人たちも、同じように動いている時です。
そんなときは、そこにお金が介在するかどうか、あまり考えません。
交通費自腹でも、行く時は行きます。
その時のために食べるための仕事をしているのです。

以前は↑のような方の「ボランティア」にも結構付き合っていました。
でも、嫌な思いをすることが多いので、最近独自にスクリーニングしています。

まずは、予算措置をしないことで、各職員が個人で動いているため、
通訳の立場が明確ではないことが少なくありません。
急なキャンセルや調整不足、本当は通訳は必要なかったというケースまで
簡単に来てくれる人には、準備が不足する傾向にあります。
もし、予算措置するのであれば、その必要性をきちんと上司に説明しなければいけないし、
いろんな部署に根回ししていかなければなりません。
そして、その部署が少なくても予算を使って雇っている通訳者であれば
その使い方にも責任が出てくるはずです。
そういう自覚が「ボランティアで」と痛みを伴わず言えてしまう人には
かけているような気がします。

何年もかけて、ある行政相談の窓口で通訳を予算化し、
NPOと契約して派遣してもらうように整備した職員がいます。
この人は、通訳というものをきちんと理解していて、
電話でよいものは電話通訳を使い、相談者の状況をみて派遣依頼をします。
予算措置をしているので、なんでもいいというわけではなく慎重にケースを選んでいます。

それから、「ボランティア」を依頼する人は仕事でやっているのに、
きてもらう通訳だけがボランティアというのはどうなんだろうとも思います。
缶コーヒーを買ってくれたり、昼食をおごってくださる方もいます。
決してそういうものが欲しいんじゃありません。
「仕事に協力してくれてありがとう」というその気持ちがうれしかったりします。

そして何よりも「ボランティアで」の中には
有料の通訳は優秀で偉くて、無料通訳は技術がそこそこだから
ボランティアをしているという意識があるということが問題だと感じます。

少数言語の通訳者は、ガイドもするし法廷にも立つし、翻訳もします。
人道的に必要とあれば金銭に関係なくボランティアで通訳をすることもあります。
だからこそ、自発的な意志としてのボランティア精神が必要なのです。

道で痛みを抱えている人がいたら医療者なら手を差し伸べます。
それ同じことが通訳者にもいえるのです。
ただ、これは誰かに強制されることではありません。

曖昧な言葉の通訳

2014-04-28 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
医療現場では、とても曖昧な言葉を通訳しなければいけない時があります。
先生方はそのまま訳してくださいと言いますが、
外国語にそのまま訳したら何を言っているのかわからない。
なので、曖昧な言葉には通訳者の解釈が入る余地が有り、
それが、通訳者によって違ってくるというのが悩ましい事態です。

「治らなくもない。まあ様子を見ましょう。」
と言われたら、そのとおり伝えます。
「治る可能性がある」でも
「治る可能性がない」ではなくて
「治らないとは言えない」
「治らないわけではない」と伝えます。

すると必ず「で、結局どういうこと?」
「治るの?治らないの?」と患者に言われるのがオチで、
「で、治るんですか、治らないんですか」と聞き返すと
医療者の方は「ちゃんと訳しているの?言ったとおりです」となります。

また、「治る」が強いのか、「治らない」のが強いのか
その割合がどのくらいなのか、ここにも解釈が入ってしまうことがあります。
本当は「治るが○○%くらい」と数字で示してくれれば一番クリアなのですが、
そういうことができる場面ばかりでもありません。

日本語は主語がはっきりしていなかったり、
イエスかノーか、言葉の中に結論が入っていない文章が少なくありません。
そのどちらでもとれる優柔不断さが良いところでもあるのですが、
同時に、同じ文化の中で暮らしているという安心感、悪く言えば「甘え」が
相手に判断を委ねる、つまりお互いに察し合うという
とても高度なコミュニケーションの上に成立しているのです。

しかし、すべての現場でそれが成り立つと考えるのは危険です。

こうした曖昧な言葉は
責任をはっきりさせない時にも使われるし、結論が出ていない時にも使われます。
また、診断が出ていない時にも、使われます。
でも、受け取る方は疑心暗鬼になります。
通訳をする時に私は結構「目配せ」を使うのですが、
言葉では伝わらない表現が日本語→外国語の中に入れば入るほど
表情豊かな通訳にならざるを得なかったりします。

移民の多い場所では、きちんと言葉にしなければ相手に伝わりません。
でも繰り返しますが、通訳者が言葉の中に解釈を入れるのはとても危険なのです。
だから、わかりにくいと言われてもそのまま訳さなければいけない。

悩ましいグレーな言葉。
ただでさえ日本語でも苦手なのに。だから外国語での仕事を選んだのに。
日本語を介する通訳であれば
やっぱり、日本独特の曖昧さを避けては通れないのは悩ましいところです。

素敵な医療通訳者の傍らに・・・

2014-04-21 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
昨年のシンポジウムのプロシーディングも最終チェックに入りました。

基調講演を読み返していてあらためて、
素敵な医療通訳者の傍らには理解ある医療者がいるということを痛感しました。

基調講演をいただいた三重大学付属病院の内田先生のお話をまとめていると
こんな環境で仕事ができたらいいのになあと思います。

もちろん、この環境を最大限に生かせているのは通訳の方の能力が高いからです。
誰が通訳者であってもこの環境を作れるとは限りません。

それを理解した上でも、
これだけ医療通訳と通訳者に理解があり、
なんとかしたいと思う医療者が上司にいる恵まれた環境は
日本の中にはまだそんなにたくさんあるわけではないと感じます。

様々な場所で医療通訳者にお会いしますが、
ストレスなく仕事ができる環境にある人はまだ少ないです。
もちろん、患者さんや病院内で起きる様々な困難は仕事のうちだと理解しています。
チームの一員として、仕事をすることが、正当に評価される機会がまだ少ないのです。
医療通訳が専門職であるという認識は少しずつ広がってきていますが、
実際に医療現場に広がるにはまだ少し時間がかかるかもしれません。

私自身も無力感からいつも「やめてやる~」と叫んでいます。
「やめたほうがいいよ~」と言ってくれる人ばかりで、
私の場合は誰も止めてくれませんけど・・。
自業自得ですな。

医療通訳者ばかりが頑張っても、やはり病院の中に理解がなければ
通訳者は疲弊してしまいます。
理解ある上司を、医師を、看護師を、コーディネーターと
一緒に作り上げていくことが大切ですね。

(ここからは、ちょっとだけ愚痴)

3月4月は毎年こころの相談が増えます。

精神科に行きたい
でも、薬だけではだめだ
頭が混乱している
ゆっくり話を聞いて欲しい
母語でじっくり話がしたい

心の叫びを聞いていると軽く1時間、2時間は超えていきます。
通訳ならばこれだけの時間はほぼ不可能ですが、
話を聞くだけでもぐったりします。
母語で心の黒いものを聞いていると、こちらも黒くなる気がします。
まっすく家に帰れない日が続きます。





ストレス解消法!

2014-04-14 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
コミュニティ通訳の集まりにいくと、
「この仕事はストレスが溜まるけど、ストレスは仕方がないので、
自分で解消する方法をみつけなければ」という話になります。

静岡県で外国語相談員の方とお話したとき、
「いつもよりちょっと高い美味しいコーヒーを飲む」と
言った人がいてなるほどと思いました。
いつもはインスタントだけど、優雅にソファに座って○○バとか・・。
そこで私もお気に入りの喫茶店を見つけました。
そこは受験勉強のために見つけたのですが、
受験が終わっても、その喫茶店に行って書物したり、
本を読むとすーっ心が落ち着いて自宅に帰れます。
常連割引券もゲットしました(笑)。

大阪で医療通訳の方とお話したとき、
「温泉ランドへ行きます」と言われました。
その方は南米の方だったのですが、
とにかく温泉ランドへ行って、お風呂が大好きになったそうです。
「とにかく歩くのよ~」という方もいます。
頭がヒートしているときは疲れて眠るのが一番!とのこと。
「美味しいものを食べに行く」という人もいれば、
「犬猫と楽しく遊ぶ」という人もいますね。
「プロのカウンセラーに聞いてもらう」という人はすごいなと思いました。

大切なのは仕事を続けるために
自分自身をメンテナンスする知恵をつけることだと思います。
対人支援の通訳でも医療や司法、難しい通訳は緊張を要します。
終わってもすっとしないというか、なんとなくすっきりしない。
あれでよかったのかなあとか、利用者は満足したかなあとか、
正しい訳出だったかなあとか悩んでしまうこともあります。
でも、自宅に帰ると家族がいたり、ほかの仕事も待ってます。

いかに切り替えるかがこの仕事を続ける宿命というかコツだと思います。
で、あなたはどんなふうに自分のストレスを解消していますか?


語学は苦手

2014-04-07 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
医療通訳者にはいくつかのパターンがありますが、
大きく2つに分けられると思います。

1:言語の能力を活かして医療通訳として活動する
(通訳が主)
2:外国人支援の一環もしくは言葉のできる医療職として医療現場で通訳する
(通訳は従)

両方の方も結構いらっしゃるかと思いますが、
1は外国人の生活背景や人権擁護の視点、医療知識を補う必要があり、
2は通訳者としての心得と言語能力を補って行く必要があります。

私自身は2の背景をもつ通訳者なので、
語学力の向上は常に課題です。
また、細かい文法や時制の活用はとても苦手で、
コンプレックスでもあります。

こんな仕事や活動をしていて何たることかと言われるかもしれませんが、
私は語学が苦手です。
大学入試の時も文系なのにわざわざ英語の点数割合の低い大学を受験しました。
田舎の高校だったので、英語は暗記、教科書を読むもので、
会話なんてイメージできなかったし、外国人も見たことがありませんでした。
なぜ、英語の勉強をするのという動機もわからなかったし、
inとatの違いなんて大したことないし、
どうしてそんなことに目くじら立てるのかも理解できませんでした。
私にとっての英語学習はつまらないものの筆頭でした。

だから、大学に行って国際協力のゼミをとって
原書にあたらなけれないけなくなったとき愕然としました。
使える英語を学んでおけばよかった・・・と。
しかし、後の祭りです。
今の学生はALTがいたり、クラスメートに外国人がいたり、
学生のうちに海外旅行にいったり、語学に触れるチャンスはたくさんあります。
羨ましいなと思います。

で、英語が苦手と言い続けて半世紀。
もちろん、大学院にいくと、資料はほとんど英語かスペイン語で
日本語で読めるものはあまりなかったのですが、
「読む」という行為は時間をかければなんとかなるものでした。
ただ、「話す」というのはやはり慣れとモチベーションが必要です。

スペイン語も私にとって苦手の部類ではありますが
南米の人と話したいという下心が強い動機付けになっています。
彼らの役にたつ人であるためには「言葉」かなと。

ベテラン通訳者のTさんに語学が苦手だ~と伝えると
「話すのは心を伝えるためにする。
心に自信がないと別の方に気が回り、口がかえってまわらない」と言われました。
訛っても、伝えたい、伝えると強く思うことが大切ということに改めて気づきました。

もちろん、語学が苦手のいいわけにはできませんけど。



暖かくなってきましたね

2014-03-31 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
3月も終わり、やっと重いコートを脱いで歩ける季節になりました。

もう22年も同じ場所で同じ相談員の仕事をしているので、
4月といっても異動もないし、
周りだけが毎年クルクルと変わっていく感じです。
年をとると、その1年のすぎる速度も速くなります。

4月に特別な思い入れはないのですが、
それでも日に日に日差しが強くなっていくので、
4月には新しいエネルギーを感じます。

MEDINTは2002年10月に発足して、
はや12年です。
その前のAMDAひょうご(現AMDA兵庫県支部)の時から数えると
医療者でもないのに個人的には15年くらい医療通訳とかかわってきています。

私は健康に不安があるので、
MEDINTの責任をとれるのは10年くらいだと思って活動をはじめました。
だから大きな活動や事務所を持つことはせずに、
責任の取れる範囲での活動を心がけてきました。
会員も1年で更新してもらうようにしています。

予定していた10年が過ぎて、
もう少し頑張れるかな~と思って社会福祉士の資格をとって、
医療通訳者というよりは、自分自身が外国人医療に寄り添える人材になりたいと願うとともに、
医療通訳者の輪を広げるための活動にシフトしつつあります。

医療通訳の制度化については、
いろんな方々が声を上げてくださったり、
システムを作ってくださり、以前に比べて随分広がってきた気がします。
このへんで、もう少し足元をしっかり見て、
MEDINTの原点である医療通訳者と医療従事者のネットワークに力を入れていきたいと思います。

助成金も減って、今までの事業の蓄えも多分今年で終わります。
今年はきちんと方向転換していかなければいけない年だと思っています。
1年くらいかけて、これからのMEDINTのしくみを考える装置を作っていきますので、
半分位、期待して見ていてくださいね。

あーすぷらざへ行ってきました

2014-03-24 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
あーすぷらざ(神奈川県立地球市民かながわプラザ)に行ってきました。

昨年の「多文化共生マネージャー養成講座」でご一緒した方が、
相談窓口があるので一度見に来ていいよと言ってくださったので
お言葉に甘えて、めったにない東京方面出張に合わせて訪問してきました。

兵庫から神奈川に行ったペルー人が「住みやすいよ」と言い、
神奈川から来たペルー人が「神奈川ではこんなサービスがあってねえ」と言い、
じゃ、神奈川に住めばと言いたくなるくらい、よいところらしい神奈川県。

以前から、どんな人たちが支援をしているのかなと気になっていました。

 もちろん、神奈川県にはMICかながわやカラカサン、カラバオの会など
ずっと活動されている民間団体もたくさんあります。

 あーすぷらざは1998年に国際理解や国際平和、地球規模の課題について、
日々の生活の中で考え、 自分にできる身近なことから行動していくための総合施設として設立されました。
外国人相談関連は一般相談(及び法律相談)と教育相談があります。
大きな施設の特徴を活かして、 情報ライブラリーがとても充実しており、
特に教育相談は豊富なライブラリー資料が連携活用されていて、
外国人自身にも支援者にも様々な情報入手が可能な形で運営されています。
 外国人相談も川崎、厚木などでも開催していて、
利便性を工夫されています。

どんなふうに運営すれば、より相談者に身近な窓口になるか 相談員の方々と意見交換しました。

相談窓口はほうっておくと井の中の蛙になります。
「私たちはこれくらい頑張って支援している!」はよいのですが、
より解決に近づける窓口がどこにあり、自分より知識のある人がどこにいるのか、
誰と連携していくのが一番相談者にとっていいのかというクールな目が必要なのです。
外国人支援相談は思いだけでなく、いかに解決に近づけるかのテクニックも大切。
 相談員の情熱は頭は冷静に、ハートは熱くが基本だと痛感しました。

イサベルさんのインタビュー

2014-03-17 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
International Medical Interpreters Association(IMIA)のイサベルさんが先週の大阪大学の
シンポジウムでの講演のため来日されていました。

日本の医療通訳者にインタビューしたいという依頼を受けて、
シンポジウム終了後、ほかのスペイン語通訳者と一緒にインタビューを受けました。

日本でも医療通訳を研究してくださる方は増えてきていて、
いろいろお話させてもらうことは多く、少しは慣れているのですが、
やはり現役医療通訳者の質問は核心をついているというか
すごく答えにくい、でもとても重要な問いかけがあり新鮮でした。

「介入」ケースやそれに伴う心理的な負担については、
実際に医療通訳をやっていなければ、予測しづらい場面です。

医療通訳は「通訳」であるので、
ただ言葉を訳しているだけで、診断をするわけでも治療をするわけでもありません。
だから、気持ちは楽でしょうと思われることが少なくありません。
でも、実際の医療通訳はただ訳すだけでは仕事になっていないのです。

ある外国人に、「きちんとした通訳者に訳してもらったけど、
理解できないからもう一度訳して」と言われました。
「通訳する」ことと、「伝える」ことは違います。
きちんと患者に理解してもらってはじめて「伝える」という作業が完了します。

医療通訳の場合は、この「伝える」ことがとても重要なのです。
だから、専門用語を封印して、わざとわかりやすい単語を並べることもあるし、
言葉と違う表情で複雑さを表現することもある。
お互いのコミュニケーションが平行線になっている場合は
その原因がどこにあるかを考えながら通訳する。

例えば・・・
そもそも「選定療養費」のしくみをしらない人に
知っている人が当たり前のように話しても全然イメージがわかないので、
その「そもそも」の部分の説明から入らないと「伝わらない」のです。

「うちの選定療養費は3150円ですよ。」と言われても・・・。

「介入」のイメージについて、私は「怖い」と答えました。
どんな時でも、専門外の介入には緊張と不安がつきものです。
医師や看護職といった人達と信頼関係があって、
言い直し、聴き直し、議論ができる環境がなければ
この介入時の恐怖は払拭されないと思っています。

通訳内容が難しくなってくるほどに
医療通訳はチーム医療の中に位置づけられなければいけないという思いは
どんどん強くなっていきます。

昨年12月のプロシーディングの校正も進んでいます。
4月には皆さんにお届けできると思います。

広島に行ってきました

2014-03-10 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
土曜日、自治体国際化協会の地域国際化アドバイザーの仕事で
(公財)広島平和文化センターが開催した「通訳ボランティア研修会」に行ってきました。

コミュニティ通訳の専門職化を訴える一方で、
現実問題、この分野を支えてくれている人たちは
多くが通訳ボランティアの人たちであるという矛盾。

でも、この人たちの頑張りや志を別物にするのではなく、
制度化の際にきちんと活かせるように考えなければと
痛感しながら研修を行いました。

お天気の良い土曜日、
忙しい合間をぬって、研修に参加される方々には
本当にいつも頭が下がります。

コミュニティ通訳の現状を話すにつれて、
「そんな難しいこと、自分には無理」という声も出てきます。
コミュニティ通訳は人の権利を左右する大切な通訳です。
簡単なものではありません。
楽しいものでもありません。
ただし、必要なものなので、
自分のできる範囲+研修などを受けることによってスキルアップし、
現場経験を積むことで育っていくものだと思っています。

だから、最初から「簡単、誰でもどうぞ」とは口が裂けても私は言いません。

10日(月)大阪大学のGOGLOBAL2「国際医療教育を、考える」
シンポジウムに行ってきました。
平日の午後にもかかわらず、会場のグランフロントナレッジシアターはたくさんの人でした。
大阪大学が採択された未来医療研究人材養成拠点形成事業
概要についての議論だったのですが、
医学、公共政策、外国語といった総合大学の利点を活かした事業とのことです。
その構想の中に医療通訳者の養成も入っているので、
高等教育機関での医療通訳者養成に期待がかかります。



みんなちがってみんないい

2014-03-03 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
私の暮らす神戸にも春がやってきました。

神戸の西側の地域では、
毎年春になると「シンコ」を甘辛く炊いた「イカナゴのくぎ煮」が出回ります。
今年の解禁日は28日だったので、
週末あたり、くぎ煮のいい匂いがスーパーや食材店に漂いました。

神戸のおばちゃんは皆自分の味を持っていて、
ショウガ多めとか甘めとか家庭の味があり、好みがあります。
私はいろんなところからいただくので自分で炊くことはありませんが、
「イカナゴのくぎ煮」を見ると春が来たなあと思うのです。

春といえば、
医療通訳もずいぶん進んできたのかなと思います。

厚生労働省の平成25 年度補正予算案で、
外国人患者受入れ医療環境の整備推進が掲げられて
「医療機関における外国人患者受入れ環境整備事業実施団体の公募」も決まりました。

平成26年度予算では
「医療関連産業の活性化」のなかで医療の国際展開の推進を掲げ
「外国人が安心・安全に日本の医療サービスを受けられるよう、医療通訳等
が配置されたモデル拠点の整備に向け、通訳育成カリキュラム作成や外国
人患者向け説明資料の標準化などを図る」としています。

でも、私はなんとなく遠いところで起こっている出来事と感じています。

現場では相変わらず医療現場での通訳の必要な場面は増えていると感じます。
私の通訳の仕事でも年々医療関連の通訳事案の割合が増えてきており、
DVや交通事故、高齢、障害といった様々な困難事例に医療通訳が重なります。

どんな医療通訳を理想とするかと言われれば、
「いろんな通訳者が共存する制度」と答えたいと思います。

同じ国の通訳者がいい場合も、
日本人通訳者がいい場合も、
厳しい通訳者がいい場合も、
優しい通訳者がいい場合もあります。

お金に困っているからその相談通訳をお願いしたい場合も、
自分の話をゆっくり聞いてくれる通訳がいい場合もあります。

それは通訳の本来業務ではないのだけれど
治療にいい効果をあたえることがあるのは現場を知っている人なら体感しているはず。

「医療通訳者像」を決めてしまうのではなく、
ボランティアからプロまで様々な人たちが関わってくれるのが理想です。
医療現場や患者が通訳者を選べるようになったら素敵です。

群雄割拠の医療通訳事業が
今まで頑張ってきた地域の善意の人々の気持ちを蔑ろにしないように。
オリンピックのあとは草木も生えないような状況にならないように。
医療通訳も「みんなちがって、みんないい(by金子みすず「わたしと小鳥とすずと」)」んだよと
大きな声で言い続けたいと思います。





臨床道化師/クリニクラウン

2014-02-24 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
いつも2月のMEDINTの講座は事務局のIさんが企画してくれます。
いつもの医療や言語の講座とは少し趣向のかわったものがあり、
毎回楽しみにしています。

今年はクリニクラウン協会の熊谷先生に
「患者との距離の取り方ワークショップ」をお願いしました。

クリニクラウンについては こちら

クリニクラウンと医療通訳・・どこに共通点があるのと思うかもしれません。

1:病院内医療スタッフではない(ことが多い)
2:医療行為を行わない
3:患者と家族の精神的な支えとなる
4:診療場面の雰囲気作りに影響を与える
などなど・・・。

クリニクラウンの方の患者、家族との距離の取り方や
自分を表現するトレーニングは私達通訳者とも共通する部分があると感じました。

当日のワークは久しぶりに童心にかえって、楽しみました。
なんといっても、いつもは真面目な会員さんのお茶目な素顔を見られたことが、
私にとっては大きな収穫でした。

病気である自分が嫌いになって笑顔になりにくい子供たちに
感情表出できるように、様々なコミュニケーションツールを利用するというこのお仕事。

緊張感の高い現場でも笑顔を忘れず、
医療スタッフがたのみたい通訳者になるという意味では、
私たちもクリニクラウンの人達を見習って
話しやすい場所作り、患者と家族を笑顔にできるように
頑張りたいなと思うのです。

熊谷先生の強く明るい笑顔に触れたことで、
とても元気になれました!