ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

俳優も、自分の演じた役を恥ずかしがることもあるらしい(2)

2020-08-19 00:00:00 | 映画

前書いた記事と関連する内容ですので、(2)としました。

俳優も、自分の演じた役を恥ずかしがることもあるらしい

いまちょうど、前に記事にした大映テレビのドラマ(大映ドラマ)の「赤いシリーズ」を観ていまして、現在3作目「赤い運命」を鑑賞中です(私が観ているのは録画で、放送はすでに終了しています)。このドラマでは、キーパーソンとして秋野暢子が注目を浴びました。それでそこでの彼女の災難を。

> ただし、放映が開始されると、その“逆風”は想像をはるかに超えた。ネットなどない時代である。視聴者は役柄と俳優を混同し、非難の目を向ける。

「覚悟はしていたけど、私の役が回を追うごとに悪くなっていくんですよ。街で子供に石を投げられたり、カミソリの入った手紙が送られてきたり‥‥。むしろ、私よりも大阪の母のほうが悩んでいました。市場に買い物に行っても、何も売ってもらえないということもあったんです」

 百恵演じるヒロインの直子と、秋野演じるいづみは養護施設で育ったが、本来の父親と違う男に引き取られてしまう。回が進むにつれ真実が明らかになっていくのだが、電車で撮影に通う秋野の身にも容赦なく「混同」は襲う。

「大学生らしい男の人が『いづみ、いづみ』って話しかけてくるんです。私に『お前に本当の父親を教えてやろうか』って。演じている私は『知ってるわよ』と言いたい思いを必死でこらえていましたね」

電車の話は、前に彼女が、何かのテレビ番組で話していたのを聞いたことがありますので知っていましたが、前半の方は知りませんでした。テレビでは笑いながら話していましたが、やっぱり彼女、その時はものすごくつらかったんでしょうね。

それで悩んだ彼女に対して、三国連太郎がこのようなアドバイスをしたとのこと。

>仇役に悩んでいる? 全然、気にしないでやりなさい。これから女優を続けていくうえで、この役をやっておくと幅が広がるから

彼はさんざんそのような経験はしているでしょうからね、まさに経験者の言は強い、というところかもしれません。

本人はそういうことを語らなかったのかもですが、「運命」には出演していませんでしたが、イビり役を演じた原知佐子もけっこう嫌がられた経験もあったでしょうしね。悪役なくしてドラマは成立しませんから、それは仕方ないところはありますが、彼女は「赤い疑惑」で共演した岸恵子から、

>あんたは言いたいことを言って、ストレスのたまらない役だからいいわね。私みたいに全部、いい人で通すのもつらいのよ

言われたとか。

最近はネットなどの発達もあるので、この時代ほどは役柄と本人の人格を混同することもないでしょうが、しかし

うまい役者は、善人を演じればほんとに善人、悪人を演じればほんとに悪人に思える

の記事で書きましたように、

>前「スポーツニッポン」で、自分の自叙伝を語っていた小野寺昭が、今実物がないので正確な引用はできませんが、大要、悪役をやっている時「こういう悪役をやっているけど実はこの人いい人なのよ」と思われているようではだめだ、本当の悪人に思われなければ、という趣旨のことを述べていました。当然でしょうが、やはりそう思われなければいけないのだから、役者というのも時には因果な商売でもあります。

ということなのでしょう。


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