ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

過度の仏教信仰やダライ・ラマ崇拝はけっきょくチベットに不幸をもたらしたと思う

2013-08-27 00:00:00 | 社会時評

この間bogus-simotukareさんのところでリンクされていたペマ・ギャルポのサイトの記事を閲覧したら、「おや」と思うところがありました。

>このような中国人のやり口に負けた原因の一つは、私たちチベット人にあるということを反省しています。あまりにも仏教を信仰しすぎました。僧を大事にしましたが、その僧こそが中国から肩書きをもらい、寄進してもらい、どれだけ立派な寺を建てたかを競うようになってしまった。

ペマ・ギャルポ自身もそう認めざるを得ないということですね。残念ながら、過度の仏教信仰やダライ・ラマ崇拝は、けっきょくのところチベットの近代化を遅らせ、同時に国際政治にかかわる部分でチベットが的確な対応ができなかったことの大きな理由だったと思います。

過日、これもbogus-simotukareさんからご教示いただいた件で、私がこのブログで何回か批判した石濱裕美子のブログ記事で、「どうもなあ」と思うところがありました。

今回翻訳された『チベットの歴史と宗教』は、このようなチベット難民社会の学校で、チベットの文化を教えるために用いられている教科書である。

(中略)

この内容を一見すれば、チベット亡命政府は、子供を教育するにあたり、仏教に非常に重要な役割を担わせていることが分かるであろう。TCVの寮を訪れたことがあるが、学校にも寮の共有スペースにも仏画やダライラマ法王の写真が飾られていた。一日は読経で始まり、チベット子供村のモットーである「自分より他者のことを思いなさい」(Other before self)も、仏教の利他の精神に基づいている。

(中略)

中・韓の教科書を素直に読めば、無意識の内に自国を絶対とし、他国、とくに日本を敵視するように、一言で言えば愛国心が喚起されるようになる。一方このチベットの教科書は仏教徒の教養が身につくこととなる。誰を憎むことも憎ませることもしていない。国を失うという究極の状況の下でも偏狭なナショナリズムに陥いっていないのである。

原文は一部ゴチックにしていたり、文字を大きくしていますが、それは略します。

チベット亡命政府の教科書が、ひとことも中国を非難する文言がないっていうこともないでしょうが、それはともかく仏教教育ってのは時代錯誤でしょう。ていうか、かりにチベットが高度な自治権を獲得したとしたら、そんな教育はできないでしょう。

私はそんな見込みは当分ないと思いますが、チベットが仮に自治権を得るとしたら、中国側はその条件としてチベットの世俗化をかならず要求します。ダライ・ラマは完全な象徴となり、政治にかかわることを中国側は許さないでしょう。また、チベットには非仏教徒もおおぜいいますから、彼(女)らに宗教教育を強いるわけにもいかんでしょう。まさか高度な自治を獲得したら中国人(漢族)をチベットから追い出す、というわけにもいかんでしょう。

そもそもそんな教育を受けたからって、チベット人がとくに非暴力なわけでもないだろうし。2008年の暴動では、無関係な日本人も被害にあっています。下の書籍参照。


あ、でも暴動に参加した人は、亡命政府の教育は受けていないか。どっちみち本質的な問題ではないでしょうが。

だいたいダライ・ラマが平和を唱えるのも、チベットが中国とケンカしたって勝てる見込みがないのだから、そうするのは当たり前。「戦争をしろ」なんて唱えるわけがない。そんなのは彼の人格以前の話です。

ていうか、もし「戦争しろ」とか「戦え」とダライ・ラマが説法したら、それは安全地帯から他人に向かって「死ね」というようなものでしょう。中国はなんであろうと容赦なく弾圧します。

チベットで必要な教育は「仏教教育」でなくて、いかに効率よく金をもうけるか、いかに家畜を育てるかといった実利に利すること、民主主義とはなにか、権利や義務とはなにかといったこと、あるいは科学技術でも医学でもいいですが、そういうことを学ぶことじゃない? 失礼ながら、仏教教育なんかしたところで、たいしてチベット人たちに得があるとは思えない。チベットが自治をするのなら、徴税から予算作成・執行にいたるまで自分たちで責任を持たなければいけないのだから、国民にいろいろな教育をしなければ自治どころの話ではありません。

たとえば1959年のダライ・ラマ亡命のきっかけになった蜂起にしたって、ダライ・ラマへの過度の崇拝があのような悲劇をもたらした大きな要因じゃないの? 中国側の非道は非道として、あそこまでダライ・ラマを大げさに崇拝していなければ、一説によれば数万人ともいわれる死人が出るという事態は避けられたのではないでしょうか。そういう意味で言うと、ダライ・ラマは、いかにチベット人たちに犠牲をださないかということに全力を尽くすべきだったと思います。で、その点でダライ・ラマ(とその側近)は、妥当な判断と行動をしましたかね? 非常に稚拙な判断と対応で、無益にチベット人を死なせてしまったというべきじゃありませんかね? むしろあの時点で自殺でもした方が、よっぽど中国側にもダメージは大きかったのでは。ダライ・ラマも人の子ですから、私は自殺すべきだったとは言いませんが。でもダライ・ラマというかチベット亡命政府の面々は、チベットでの焼身自殺について、かなりあいまいな態度をとっていませんかね? さすがに自殺をすすめるところまではいかずとも、これを適宜利用してやろうという魂胆は当然あるでしょう。

それは後知恵ってものでしょうが、現実に大変多数の人が亡くなってしまったのですからね。そうこう考えると、チベット人たちの過度のダライ・ラマ信仰というのは、いろいろな意味でチベットにはマイナスの部分が多々あったように思いますね。まあこういったことは、世間の人はなかなか認めないことなのでしょうが。

bogus-simotukareさんに感謝いたします。

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17 コメント

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面白いMukkeさんのエントリ (bogus-simotukare)
2014-06-03 18:39:26
拙エントリコメント欄で「の」なる方に、Mukkeさんの面白いエントリについて知らされましたのでここでも紹介しておきます。

『近代のお節介に救われた俺は,近代とどう付き合えばいいのだろう?』
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20101013/1286975168
>植民地支配は確かに悪だ。けれど,その悪に救われた人間もまた,いるはずだ。彼らの生命はその悪の結果としてそこに在る。植民地当局が整備したインフラのお陰で,生命を長らえた人や,植民地当局の強制的な予防接種のお陰で死ぬべき運命から救い出された人――最終的に〈悪〉だと結論づけるにしても,頭の片隅にそうした人のことは入れておきたい。
(引用終わり)

これってid:Bill_McCrearyさんのエントリとどこが違うのか。俺には同じ事言ってるようにしか思えませんけどね。
 中国のチベット解放がなかったらまず間違いなくインフラ整備はされず今より病気などによる死亡者は多かったでしょうね。
Mukkeさんの脳内ではこのエントリに書いた事とMcCreary氏批判してる事は両立してるんでしょうか?
(どう両立してるのかわかりませんが)
それともこのエントリ「2010年の記述」なんで、それからMukkeさんに精神的変化でもあったんですかね。
返信する
>bogus-simotukareさん (Bill McCreary)
2014-06-04 05:27:21
どうも、面白い記事のご紹介ありがとうございます。貴ブログでのことも承知していましたが、私が応答する前にこちらにコメントいただきありがとうございます。

>植民地当局が整備したインフラのお陰で,生命を長らえた人や,植民地当局の強制的な予防接種のお陰で死ぬべき運命から救い出された人――最終的に〈悪〉だと結論づけるにしても,頭の片隅にそうした人のことは入れておきたい。

私もMukke氏の文章読みました。まあ上のことを主張するのなら、「それって中国とチベットの関係も同じじゃん」でおしまいですよね。最近の例であっても、西蔵鉄道の話なども、少なくとも反対するようなものではない。

上の記事で、Mukke氏に、お前がチベットについて書いていることとどう整合性をつけるんだよと誰かが指摘したら、Mukkeという人はどう回答するんですかね。これはこれで面白そうです。

>それからMukkeさんに精神的変化でもあったんですかね。

彼の場合、たぶん「チベット」とか「ダライ・ラマ」とかの話になると、思考停止になるんでしょうね。そんなん何の自慢にもなりませんが。だから私から、どんな詭弁でもでたらめでも言いがかりでもほざく、と罵られるのです。
返信する
Unknown (mukke)
2014-06-08 08:02:33
それはダブスタちゃうんかいという指摘は至極ごもっともなので当該エントリに追記しておきましたよ,というのはここで言わずともいずれ気付くでしょうが一応。

さてわたしはそれまでに何度も「近代化で植民地支配は正当化できないよね」という文章を書いておるわけでして,わたしのスタンは2009年頃から変わってないですよ。
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20090620/1245503225
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20100413/1271167922
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20100607/1275920935

ああ,「チベットキチガイ」だの何だのと解釈することで納得できるなら,どうぞそう解釈なさってくださいな。過去には「アイヌ大好きっ子」などと呼ばれたこともありましたが,まあ,そういう話だと思っていいんですよね。クリミア関連でのわたしの言説さえもチベット問題と結びつけて解釈するしか能のないひとたちが何を言っているんだ,鏡を見ろ,としか言いようがないですけれど。

ところで,具体的にどの辺が詭弁でどの辺が言い掛かりなのか,わたくしBill McCrearyさんからは順を追ってご教示いただいたおぼえが一度もないのですが。説明するまでもない,と思っておいでなのですか。それとも,能力的な問題で反論できないのでしょうか。もちろん,あなたは前者であると言うのでしょう。しかしわたしは,後者なのではないかという疑念を捨てきれないのですよ。http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20140428/1398678160でも指摘しましたし,先日のエントリでも思いましたが,明らかに的外れな反論が多いのですもの。
返信する
Unknown (bogus-simotukare)
2014-06-08 08:40:58
id:Bill_McCrearyさん
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20140525#cでのコメントの完全なコピペですが、こちらでもid:Mukkeさんのコメントに突っ込んでみます。

>さてわたし(Mukkeさんの事)はそれまでに何度も「近代化で植民地支配は正当化できないよね」という文章を書いておるわけでして,わたしのスタンスは2009年頃から変わってないですよ。

いや、あの文章は「植民地支配は正当化出来ないかもしれないがしかし近代化、経済的豊かさも大事だし、悩むなあ」という感じの文章ですけどね。そもそもあの文章の書き出しが「たとえ貧乏でも植民地支配は自己決定権の侵害だ!」という上田亮氏という人の文章への「それで片付けていいのかなあ」という感じのコメントですからね。
「近代化で植民地支配は正当化できない」のだったら上田氏の主張については「全くその通り、異議なし」で終わるでしょうが、あのMukkeエントリは明らかにそうじゃないでしょう。

>ああ,「チベットキチガイ」だの何だのと解釈することで納得できるなら,どうぞそう解釈なさってくださいな。

そう解釈されたくなかったら「ペマギャルボの歴史修正主義(THE factsへの賛同とか)への荷担」とか少しはチベット関係者の問題点を批判したらどうなんですかね。「リソース論」とやらでごまかせると思ったら大間違いです。

>クリミア関連でのわたしの言説さえもチベット問題と結びつけて解釈するしか能のないひとたちが何を言っているんだ

え、クリミア問題ってチベットと無関係なの?って感じですねえ。
「一国の一部がその国からの独立目指してる(チベットの場合は目指してた、か?)」と言う意味では同じであって、当然「クリミアについての物言いとチベットについての物言い」が「矛盾しないようにしよう」と
普通考えるでしょうし、意識的であれ無意識的であれ影響されると思うんですけどね。
大体「クリミア問題で、ウクライナが独立に反対しているから、と安易に独立否定論に与すると、チベット問題で中国の言い分(チベットの独立なんか認めない)を認めざるを得なくなるからそういう考えもMukkeさんのクリミア問題主張では意識的であれ無意識的であれ、あるでしょうね」の何が問題なのか。
 「クリミア問題でウクライナが反対してるから独立論(まあ、独立後ロシア編入が既定コースでしたが)に与しない」が「チベットでは中国が反対してても独立論に与する」なんてわけにはいかないでしょうに。「いやチベットとクリミアは違う」と言えるなら話は別ですけど。
返信する
Unknown (mukke)
2014-06-08 20:59:51
いやあ,あなたが読んでないだけで普通に一般的な原則については数年前に何度も書いとりますがな。それに基本的には立脚して語っていますよ,わたしはね。わたしが民族問題に関心を持つブロガだというのは周知の事実であり,その際の原則がTibet-orientedではなくEastern Europe-orientedであることなんてちょっと読めば理解できること(「民族浄化」の抑止としての「故郷権」の議論なんて典型的ですね)。相手の態度を論難しようというのならそんなことは知らなくてもいいかもしれないけど,相手の発言を分析しようと思うのであればそれは雑すぎる読解ですよね,とだけ。相手の内心を忖度するのは勝手だけど,忖度するならもうちょっとしっかりやってくれませんかねえ。これまで相手が書いてきたテクストも碌に読まずに(というか,存在すら知らずに)目の前に上がってきた一本のエントリだけであーだこーだ当て推量巡らしてるから的外れだって言ってるんですが。っていうか,目の前の一本のエントリだけ見た時の解釈としても的外れでしょ。あれ読んどいてわたしの関心の重点がどこに置かれてるかを読み取れないという段階で,あなた(たち?)の方こそ,「チベット」に目が眩んでいるのですよ。
返信する
Unknown (bogus-simotukare)
2014-06-08 21:25:58
>あなた(たち?)の方こそ,「チベット」に目が眩んでいるのですよ。

そうですか、そうですか。
Mukkeさんが「リソース論」だの、詭弁吐きまくって
「ダライラマのオウム真理教や念仏宗無量寿寺からの金銭受領」
「ダライラマ一味が怪しい人間(例:進化論否定論者の村上和雄)と平気で対談している事」
「石濱裕美子の珍論(「在沖縄米軍がなければ、中国が沖縄に攻めてきた」など)
「ペマギャルボの河野談話否定論、南京事件否定論への荷担」
などといった、チベット関係者の犯罪的愚行を何一つ批判しないのも、馬鹿な小生には良く理解できませんが「その際の原則がTibet-orientedではなくEastern Europe-orientedである」という高尚な話が理由なんですか?(苦笑)
ま、俺やMcCrearyさんがチベットに目がくらんでるか知りませんが俺はダライらの犯罪的愚行とそれを黙認するMukkeさんが反吐が出るほど大嫌いなのでこれからも罵倒しますよ、ええ。
つうか「逆張り」とか人の内心を勝手にレッテル張りした分際でMukeさんは何抜かしてるんですかね。
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Unknown (mukke)
2014-06-08 21:35:42
序でに。わたし,アイヌ否定論を相手にした時も,「いや,あんたらが主張しているアイヌ協会の不正疑惑なんざ知らん。その追及がしたいなら好きにやってくれ。だがアイヌを否定するのは許さん。それとこれとは別問題だ」というスタンスでやってたんで,右派の人からは何度か踏み絵を突きつけられましたね。そんな下劣な踏み絵は踏まないと決めているのですよ。

それにしても,未だにリソース論の是非に話を持っていくとか,どれだけ逆転可能性への配慮がないのですか。おまえの「不作為」をリソース論では正当化できない,なるほどお説ごもっともです。さてではリソース論を批判してあなたが持ち出しているものは何か,といえば,「セット論法」――○○問題にコミットするのなら,○○問題に関わる主立った不正義を糾弾する倫理的義務がある――と,「優先順位論」――すなわち,××よりも△△の方が重大な問題であるのだから,××のような小物に絡んでないでに△△も批判しろ――であるわけです(論法の名称は適当に考えたんで,気にくわないなら他の名称で代替してくれてもいいですよ)。で,これ,自分にすべて跳ね返ってきていることがわかりませんか? チベット問題にコミットしておきながら,あなたはダライ・ラマ14世やツェリン・オーセルは批判しても,チベット人の先住権を踏み躙る様々な中国の施策に関して,チベット人への批判と同等かあるいはそれ以上の具体的かつ熱のこもった批判はしていない。チベット問題において圧倒的権力を有する問題主体である中国政府以上に,チベット亡命政府を批判する。この態度を正当化できるのはリソース論しかないのですし,わたしは基本的にリソース論に基づいて「そのような批判をする義務はない」と言っているのですが,もしもあなたがリソース論を棄却してセット論法や優先順位論に依拠するのであれば,真っ先にあなたの言動こそが問われねばならないのですよ。だって,セット論法や優先順位論の立場で言えば,あなたがやっていることは,最大限好意的に解釈してただのダブルスタンダードであり,悪意をもって見れば植民地化されたチベット人への差別であり,中国の植民地支配の正当化でしょう? わたしがずっと言っているのはそういうことです。
返信する
全力で脱力 (mukke)
2014-06-09 00:56:29
今頃上のコメの文意に気付いて「いやそりゃないだろう」と頭を抱えております。馬鹿なの? それとも馬鹿のフリをしているの?

>>さてわたし(Mukkeさんの事)はそれまでに何度も「近代化で植民地支配は正当化できないよね」という文章を書いておるわけでして,わたしのスタンスは2009年頃から変わってないですよ
>いや、あの文章は「植民地支配は正当化出来ないかもしれないがしかし近代化、経済的豊かさも大事だし、悩むなあ」という感じの文章ですけどね。そもそもあの文章の書き出しが「たとえ貧乏でも植民地支配は自己決定権の侵害だ!」という上田亮氏という人の文章への「それで片付けていいのかなあ」という感じのコメントですからね
>「近代化で植民地支配は正当化できない」のだったら上田氏の主張については「全くその通り、異議なし」で終わるでしょうが、あのMukkeエントリは明らかにそうじゃないでしょう

うん,だから追記して訂正したんだよね,って言わないと伝わりませんか。当該エントリの文章は問題だから追記して自己批判したよ,それはそれとして同時期の他のエントリ見ればわたしの意見が一貫しているのがわかるでしょ(つまり当該エントリは基本線からの逸脱であり,当時のわたしの大まかなスタンスをそれで云々しないでね),っていうはなしは難しいですか。

ああ,文章中の代名詞の指示対象を同定できないひとにはむずかしいおはなしだったかもしれませんね。
返信する
Unknown (mukke)
2014-06-09 01:32:01
>などといった、チベット関係者の犯罪的愚行を何一つ批判しないのも、馬鹿な小生には良く理解できませんが「その際の原則がTibet-orientedではなくEastern Europe-orientedである」という高尚な話が理由なんですか?
十分に言及対象を指示しなかったわたしも悪いのですが,上の文章はクリミア云々の話を指しています。もー勘弁してよね。文章解釈以前の問題で文章の指示対象すら読み取れないとか,そこから始めないといけないの? 一度や二度なら許せもするけどこれ何回目ー? これ何回目よー? ああ,比喩を比喩と理解できないひとでしたっけ。

内心を忖度するのが悪いんじゃなくてその忖度というか分析が下手クソだという話をしているのが通じませんか。政治的立場どうこう以前に,最低限こちらの言っていることの読解くらいは正しくやっていただきたいのですけれど。その上で気にくわないところを批判するならいいけど,乏しい日本語力で誤読した上にケチつけられても知らんがな。
返信する
Unknown (bogus-simotukare)
2014-06-09 18:48:47
Mukkeさん
>おまえの「不作為」をリソース論では正当化できない,なるほどお説ごもっともです。

 ごもっともと言いながらリソース論を振り回してるのはどこの誰なんでしょうか。

>さてではリソース論を批判してあなたが持ち出しているものは何か,といえば,「セット論法」――○○問題にコミットするのなら,○○問題に関わる主立った不正義を糾弾する倫理的義務がある――と,「優先順位論」――すなわち,××よりも△△の方が重大な問題であるのだから,××のような小物に絡んでないでに△△も批判しろ――であるわけです(論法の名称は適当に考えたんで,気にくわないなら他の名称で代替してくれてもいいですよ)。で,これ,自分にすべて跳ね返ってきていることがわかりませんか?

 全然跳ね返ってるとは思いませんが、それはともかく。跳ね返ってるかどうかなんか関係ないでしょう。
 自民党疑惑政治家が疑惑を追及されて「野党にも疑惑議員はいる」と居直るような醜い行為を自分がされてるという自覚はありませんか?。野党に疑惑議員がいようといまいとそれは「野党側に追及する資格があるのか」と言う問題にはなりえても、「野党の追及それ自体が間違ってる」なんてことにはなりません。その程度のこともあなたはわからないのか、わかった上で詭弁吐いてるのか知りませんし、知りたいとも思いませんが。
 自称チベット支持者なら、「チベット関係者の問題発言(ペマの河野談話否定論支持)」に苦言を呈するのは当然じゃないんですかね。
 あなた、別の所ではご自分の事を「歴史修正主義批判者」と認識されてるようですし、俺に指摘されなくても自分から「チベットのイメージダウンになるから日本ウヨとの野合は辞めろ」とペマに苦言を呈するのが取るべき態度じゃないんですかね。
 結局チベット関係者は絶対に非難できない身びいきの屑、チベットキチガイがあなたと言う事でしょう。前からわかってましたが。以上、あなたの「セット論」云々とやらへの反論終わり。

ああ、それと優先順位論て俺が
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20140310/4532190872で書いた
>ネトウヨなんか批判する暇があったら「日本ウヨに媚びるペマ」及び「ペマを右翼運動に引きずり込んだ日本右翼諸氏」及び「ペマを何一つ批判しないダライ一味」の批判でもやったらどうですか?
 「批判するな」「批判など無意味」とはもちろん言わないが、あんたが取り上げてるネトウヨなんて社会的影響力ほぼ皆無の小物じゃん。こいつらの存在なんか俺は気にもなりませんよ。ほとんどの人間がそうでしょ。こんな奴らがいたからって誰もチベットと同一視なんかしない。
 むしろペマの存在が俺は許し難い。ペマはチベット出身者の訳ですから。ペマの方がネトウヨなんぞよりもよほど「チベット解放運動のイメージを悪化させ,結果的に中国のチベット支配を長らえさせることに貢献している馬鹿野郎=ペマ」「反中国で右翼とつるむくらいならペマは最初から黙っててくれ」でしょう。
 そして「最初から黙ってた方がいい」のは「ペマを何一つ批判出来ない」屑でバカのあんただろ、id:Mukke。あんたよりよほど『McCreary氏のペマ批判』のほうがチベットの役に立ってるだろ。何があろうとバカみたいにチベット万歳するしか能がないのならそういうあんたみたいな低能は黙ってろよ。
(以上引用終わり)
のことですか?
 自称チベット支持者のカス右翼なんぞより「ペマの方が知名度が大きい(当然、チベットに与えるダメージも大きい)」んだから、「南京事件否定論への賛同発言」などネトウヨと同レベルのペマの暴言を先に批判しろ、批判しないのは身びいきだろ、Mukkeよ、と言う俺の指摘の何が問題ですか?。
 事実じゃないですか。以上あなたの「優先順位論」とやらへの反論終わり。
 まあ、あなたがそんなにペマを批判したくないのなら批判しなくて結構ですよ。「ああ、チベット関係者は身びいきで批判出来ない屑がMukkeなんだ」と思うだけですから。
 そんなに「ペマの歴史修正主義への荷担は許せない、チベット人の恥さらしだ」と言うのが嫌ですか?

>わたしは基本的にリソース論に基づいて「そのような批判をする義務はない」と言っているのですが

 支持してる人間(チベット関係者)が間違った事をしてるのに『批判する義務はない』と言って居直るのがあなたの訳ですか?。まったく頼りにならない支持者ですね。苦言は呈さずおべっかしか言わないんですか。
 なるほどねえ。たとえばこのMukkeさんの理屈だと週刊金曜日読者が「週刊金曜日はすばらしい(いや確かにすばらしい記事はありますけど)」と褒めるだけで、911陰謀論批判記事、最近の舞の海「批判」記事などの問題点をまともに批判しなくても「批判する義務はない」で済んじゃうんでしょうねえ(別に例は週金でなくてもいいが)。Mukkeさんがチベット以外でも常に「支持者だからと言って批判する義務はない」で済ませるか(例えば俺が例に挙げた週金の話)は疑問に思いますけど。
 いや法的義務なんか無論ないですけど道徳的にそれでいいのかって話ですよ。それでいいんだってのなら何も言う事はないですけど、そんな薄汚れたチベット運動なんか俺だったら支持しませんね。
 
>うん,だから追記して訂正したんだよね,って言わないと伝わりませんか。

ええ、だってあなたが追記したのって、「2014年6/5」じゃないですか。「追記に気付かない」ことがそんなに非難される事ですかね。
「の」さんや、俺やMcCrearyさんから「おかしいんじゃないか?」と指摘されてから追記した癖にドヤ顔ですか。

>つまり当該エントリは基本線からの逸脱

 「基本線からの逸脱」の一言でチャラにするんですか。すごいなあ(苦笑)
 まあ、とりあえず反論したいところ、ぱっと反論出来るところはこんなところかな。
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