ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

どうもなあと思ってしまったニュース

2014-04-02 00:00:00 | 社会時評

何がどうしてこのようなことになったのかはわかりませんが・・・。引用はこちらから。

><袴田事件>被害者長女が死去

毎日新聞 3月29日(土)11時24分配信

 1966年に静岡市(旧静岡県清水市)でみそ製造会社の専務一家4人が強殺された「袴田事件」で、専務の長女、橋本昌子さん(67)が28日、静岡市の自宅で死亡しているのが見つかった。静岡県警や関係者への取材で分かった。

 1人暮らしの橋本さんが自宅の電話に出ないため、親族が28日午後6時ごろ訪ねて異変に気づき、死亡が確認された。県警清水署によると、事件性はないとみられ、病死などの可能性があるとみて調べている。

 同事件は66年6月30日未明、「こがね味噌」専務だった橋本藤雄さん(当時42歳)宅が全焼し、焼け跡から藤雄さんと妻(同39歳)、長男(同14歳)、次女(同17歳)が他殺体で見つかった。当時19歳だった昌子さんは別棟で寝ていて無事だった。静岡地裁は今月27日、死刑が確定していた元プロボクサー、袴田巌元被告(78)の再審開始を決定し、元被告は釈放されている。

 昌子さんは同20日の毎日新聞の取材に「裁判はもう終わった。話すことはありません」と話していた。【荒木涼子】

こちらも。

>袴田さん釈放翌日遺族の遺体発見、長女の昌子さん

スポーツ報知 3月30日(日)7時5分配信

 静岡県清水市(現・静岡市清水区)で1966年、みそ製造会社専務・橋本藤雄さん(当時41歳)一家4人が殺害された事件で、唯一助かった長女の昌子さん(67)が清水区の自宅で死去していたことが29日、分かった。近所の住民によると、家族が28日に訪ね、死亡しているのを見つけたという。清水署は事件性はないとみている。

 事件で強盗殺人罪などに問われ死刑が確定していた袴田巌さん(78)は27日に静岡地裁が再審開始を認め、東京拘置所(東京都葛飾区)から釈放された。

 事件は66年6月30日未明、「こがね味噌」専務の橋本藤雄さん宅が全焼、焼け跡から藤雄さんと妻(当時39歳)、長男(同14歳)、次女(同17歳)の他殺体が見つかった。当時19歳だった昌子さんは、別棟で寝ていて難を逃れた。数年前に夫を亡くしてからは一人暮らしで、家族がたびたび様子を見に来ていた。

 「一日も早く真犯人が見つからないと、仏様は浮かばれない」。1994年、袴田さんの再審請求が棄却された際、昌子さんは報道陣の取材にこう話していた。隣に住む女性は「1週間前に一人で歩いている姿を見掛けたばかりだったのに」と驚いた。別の女性は「気苦労が絶えなかったと思う。大変な人生だったでしょう」と気遣っていた。

最終更新:3月30日(日)7時5分

 もうひとつ

>袴田事件、遺族の長女が自宅で死亡

産経新聞 3月29日(土)18時49分配信

 静岡県清水市(現静岡市清水区)で昭和41年、みそ製造会社専務の橋本藤雄さん=当時(41)=一家4人が殺害された「袴田事件」で、唯一助かった長女の昌子さん(67)が28日に自宅で死亡していたことが29日、関係者への取材で分かった。清水署では事件性はないとみている。

 市消防局や近所の住民の話によると、28日午後6時過ぎに昌子さんの家族が死亡しているのを発見し、119番通報した。すでに心肺停止状態で、消防は病院に搬送しなかったという。遺体は清水署で検視が行われたとみられる。

 昌子さんは事件当時19歳で、祖父母の家にいたため難を逃れた。4~5年前に病気で夫を亡くしてから事件現場近くで1人暮らし。ときおり買い物に出掛ける程度で、近所付き合いはほとんどなく、市内に住む家族がたびたび様子を見に訪れていたという。

 事件で逮捕され、強盗殺人などで死刑が確定していた袴田巌さん(78)は、静岡地裁が27日に再審開始を決め、釈放された。

引用している記事中、私が興味深く思ったのが、昌子さんが94年におっしゃったという発言

>一日も早く真犯人が見つからないと、仏様は浮かばれない

です。ということは、彼女は、袴田さんは犯人ではないとお考えだったということなんですかね。

さらに関連する記事を。

>(前略)

事件当時、祖父母宅に泊まっていたため、ただ1人難を逃れた専務の長女は、今も近くにひっそりと暮らしている。

 みそを買いに被害者宅を訪れていた、近所に住む無職の女性(75)は「みんな喜んでいるけど、被害者と遺族のことを忘れているんじゃないかな。あの子は今どんな思いをしてこのニュースを見ているのか」と、長女の身を案じていた。

これは、3月29日午前5時に発表された記事です。この記事が発表された際には、おそらく昌子さんはお亡くなりになっていたということです・・・。

単なる偶然なのか、それとも再審が行われる見込みが強くなったことでショックを受けたのかは定かではありませんが、本当に冤罪というものは、犯人とされた人間だけでなく、被害者、あるいはその遺族、関係者まで不幸にします。痛ましいことです。

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