ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

大阪マルビルの全店舗が閉店となった(私もここは何回か利用しているのでやはり感慨深いものがある)

2023-06-06 00:00:00 | 旅(国内)

先日の記事を。

2023.05.31 07:00
【50年前開業時の映像も】大阪マルビルが閉館 7年後に誕生の新ビルも”丸型”にこだわったデザイン
 大阪の玄関口・キタエリアのランドマークとして親しまれてきた「大阪マルビル」が31日、事実上閉館し、約50年の歴史に幕を下ろします。2030年を目途に建て替えられる予定で、新たなビルも“丸い”形にこだわったデザインになる模様です。

 31日、大阪マルビルは全てのテナントが営業を終了します。

 3日前の28日には、地下2階の飲食店街にあった店が全て閉店。

 24年間続いた中華料理店は、多くの常連客で賑わいました。

(中央軒・吉武辰美店長)
「最後やね、もう。ここ2、3日お客さん、よう来てくれた。それも常連さんとかがね。お客さんあっての商売だから。ありがたいよね」

(客)
「心のオアシスが無くなる感があってすごい寂しいです」

 老朽化や周辺施設に対する競争力の低下などを理由に、解体が決まったマルビル。

 今年7月から解体工事が始まり建て替えが行われて、2030年春に再び開業する予定です。

 ビルを所有する大和ハウス工業によると、新たなビルは今よりも高くなり、形は丸い形にこだわりたいということです。

バブル期 大阪の象徴

 「家族で食事をした」「仕事の会食で利用した」「恋人と待ち合わせした」そんな思い出がある人も多いのではないでしょうか。

 マルビルが誕生したのは、1976年。「日本“初”の円形超高層ビル」「大阪で最も高いビル」などど話題を呼び、大阪を象徴する建物となりました。

 読売テレビに残る開業時の映像には、大阪の街並みの中でひと際高く、まさに“ランドマーク”として存在感を示す、マルビルの姿が記録されています。

 1980年代前半には、海外のブティックなどによるファッションショーなどが行われ、「ファッションビルのマルビル」とも呼ばれるように。

 さらに、ディスコブームの火付け役となった「マハラジャ」も登場。バブル期の流行を発信する場所ともなりました。

 また、マルビルと聞くと思い浮かぶのが、屋上の「回る電光掲示板」

 阪神タイガースが優勝した時も、皇太子様の結婚が発表された時も、2002年の日韓ワールドカップで日本代表が決勝トーナメント進出を決めた時も、2万6000個の電球が、最新のニュースを市民に伝えてくれました。

(マルビルの利用客)
「小さいころから知っているような感じだったので、無くなるとなってくると寂しいかなという気分になります」

マルビルの今後

 2025年の大阪・関西万博では、開催期間中、会場の夢洲とを結ぶ、ツアー専用バスターミナルとして敷地を活用される予定です。

 大阪・キタエリアの街並みは、近年大きく変わりました。

 高層ビルが次々建設され、マルビルは、その姿が目立たなくなりました。

 一旦その役目を終えますが、2030年、生まれ変わってどんな姿を見せてくれるのでしょうか。

私は、このビルに入っていた大阪第一ホテルも、1度利用したことがあります。2016年暮れでした。下の記事の旅行で大阪に行った際、利用したわけです。理由は覚えていませんが、この時の前泊は記事にしなかったのですが(確か当時アイルランド紀行を連載していたので、早急に韓国紀行の記事を終えるためだったかと思います)、ホテルの写真も時代の記録・証言になろうかと思いますので、こちらでお見せしたいと思います。2016年12月の写真です。なおホテルは、飲食店の閉店に先立つ3月31日に閉館しています。記事を。

大阪マルビル、約半世紀の歴史にいったん幕 もうすぐ見納め…大阪第一ホテル営業終了
4/5(水) 5:00配信

 大阪・キタの玄関口、梅田のランドマークとして親しまれた円筒形の高層ビル「大阪マルビル」に入る「大阪第一ホテル」が3月31日正午、営業を終了した。

(中略)

 大阪第一ホテルは、大阪マルビルの中核をなす10~29階。460の客室と5つの宴会場があった。

 3月31日、ビル最上部の電光掲示板には「大阪マルビルは50年近く、大阪の街の成長と共に過ごしてまいりました。新しいマルビルで皆様とお会いできる日を楽しみにしております」とのメッセージが流れ、ロビーにも従業員から感謝のコメントが掲げられた。

(後略)

大邱・ソウル・釜山紀行(2016-2017)(Day1)

この旅行の時は、関空から釜山に渡航したので、その関係で大阪で前泊しました。

これはホテルから見た夜景ですかね。

以上2016年12月の撮影です。

また下の記事では、2008年のマルビルの写真をご紹介しています。以下の写真は、すべて再掲です。

御堂筋を散策する

またこちらの記事(2008年5月)では、このビルに入っていたインド料理屋の「アショカ」で食事をしたことが書かれています。ここで興味深いのは、私は

>本日の昼食は、大阪駅前の第一ホテルの地下にあるインド料理屋でとりました。なかなかの味です。

と書いているということです。つまりこの時の私は、ホテルという印象の方が強かったということなのですかね。

ゴールデンウィーク小さな旅(1)

「アショカ」は、数回利用したことがあり、おいしいレストランだと思っていましたが、たぶんこの時が最後の利用だったかな。なお「アショカ」のHPによると、大阪店も、新しい店舗に出店する意志はあるとのこと。また京都店は現在も営業中です。

竣工当時は大阪一の高さを誇るビルだったそうですが、やはり時代の流れで文字通り梅田の高層ビルの中に埋没した感もあります。が、ともかく大阪のシンボル、ランドマークだったことは確かです。最後は、竣工当時のビルの写真をご紹介します。出典はこちら。当時と今の風景の違いにいささか絶句します。


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2 コメント

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Unknown (破れかぶれ)
2023-06-06 23:50:47
「中央軒」は「本場九州のチャンポンが食べられる」
の触れ込みで僕も何度も利用したし、
2年程前に閉店した「タワーレコード」でも
「洋画のサントラの輸入盤」が「直に手にとって確認した上で購入可能」
なので度々利用しました。
かの「燃えよドラゴン」の輸入盤サントラ盤を購入したのが最初だけど、
「輸入盤サントラ」の方が「国内販売盤」よりも曲数が多いとは聞いていたけど、「ちゃんと映画本編でも使用された『燃えよドラゴン』テーマ曲が入っていた」のを聴いた時の感動は言葉での表現出来なかった。
と色々思い入れのある「マルビル」が閉鎖されたのか…。
返信する
>破れかぶれさん (Bill McCreary)
2023-06-07 21:57:04
記事には書きませんでしたが、私も「中央軒」は行ったことがあったと思います。1度だけだったと思います。テナントビルとしても、かなりのビルだったようですね。

7月に関西に行く予定なので、最後あるいは解体の始まったマルビルを撮影したいと思います。
返信する

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