ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

橋本忍氏が亡くなった(一部でカルト的知名度のある『幻の湖』を観てみようか)

2018-07-20 09:49:00 | 映画

脚本家でプロデューサーでもあり映画監督も務めた(これはけっこう重要な意味があります。後述)橋本忍氏がお亡くなりになりましたね。記事を。

>脚本家の橋本忍さん死去 「七人の侍」黒澤8作品に参加
編集委員・石飛徳樹2018年7月20日03時00分

 「羅生門」「七人の侍」「日本沈没」「砂の器」など、映画史に残る名作、ヒット作を数多く手がけた脚本家の橋本忍(はしもと・しのぶ)さんが19日午前9時26分、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去した。100歳だった。葬儀は近親者のみで営む。喪主は長女綾(あや)さん。

 兵庫県生まれ。会社勤めをしながら伊丹万作監督に学ぶ。1950年、芥川龍之介の小説を脚色した「羅生門」が黒澤明監督の手で映画化され、脚本家デビュー。この作品がベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を取り、注目を集めた。黒澤監督の脚本チームの一員となり、「生きる」「七人の侍」「蜘蛛(くもの)巣城(すじょう)」「隠し砦(とりで)の三悪人」など計8本の黒澤作品に参加した。

 骨太のエンターテインメントを得意とし、「張込(はりこ)み」「黒い画集 あるサラリーマンの証言」「ゼロの焦点」など松本清張の社会派推理小説の脚色は十八番だった。

 映画製作会社の橋本プロダクションを設立し、製作者としての第1作は清張の長編を自ら脚色した「砂の器」(74年、野村芳太郎監督)に。続く第2作「八甲田山」(77年、森谷司郎監督)とともに、当時の大作ブームの流れに乗って大ヒットを記録した。

 テレビでも、戦時下の庶民の苦しみを描いたドラマ「私は貝になりたい」が芸術祭賞を受け、自身の脚本・監督で映画化もされた。

 他の脚本の代表作に、63年のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を獲得した小林正樹監督の「切腹」、山本薩夫監督の「白い巨塔」、岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」、森谷監督の「日本沈没」など。

 著書に黒澤監督との仕事を中心につづった自伝「複眼の映像 私と黒澤明」がある。(編集委員・石飛徳樹)

ご年齢がご年齢なだけに、正直いつお亡くなりになっても不思議ではない状況でしたが、しかし朝日新聞の記事によると、今年の4月に100歳の誕生日を祝うことができたようで、その時点では寝たきりという状態でもなかったようですね。写真はその時のもの。

橋本氏という人物は、黒澤明山田洋次という2人の巨匠と本格的に仕事を組んだ数少ない人物でした。2人とも映画の系統も所属した映画会社も違うので、2人の映画監督と緊密に関係した役者、スタッフは多くありませんが(むろん、寅さんに志村喬が出たり、三船敏郎も出演したりしたこともありましたが)、山田洋次は、橋本が気に入ったようで、いわばシナリオに関しては弟子のような存在でした。この2人が組んで脚本が作られた傑作が、『砂の器』であることはいまさら私が述べるまでもないでしょう。この映画は松竹と橋本プロの共同制作であり、橋本はプロデューサーも兼ねていたわけです。

さて黒澤明の名声も、そのかなりの部分が橋本のおかげであるといって言い過ぎではないでしょう。映画監督というのは、個人ではこれといったことができません。優秀なキャスト、スタッフ、ブレーンその他がいて光り輝けるのです。黒澤の場合、撮影の中井朝一ほか、美術の村木与四郎ら、記録の野上照代など、不世出のすごいスタッフに恵まれましたし、志村、三船のほかにも仲代達矢ほかのすごい俳優たちを起用できた。そして脚本も、橋本以外にも、井手雅人小国英雄菊島隆三、といった超一流の脚本家と仕事ができなければ、あれだけの作品を作ることはできなかったわけです。

ほかにも『私は貝になりたい』など書きたいこともいろいろありますが、それは省略して、上にも書いたように、彼は映画版『私は貝になりたい』などでは監督もやっています。それでその監督作品で一番いろいろな意味で有名なのが、『幻の湖』でしょう。これは、東宝設立50周年の記念として、1982年に制作されました。

しかし非常に興行成績が悪く、2週間と数日で打ち切り、舞台となった滋賀県では劇場公開さえされないという状況でした。さらに東宝がフィルムを貸し出すことすら渋り、公開後10年以上を経てようやく名画座で上映される始末です。

私もこの映画は未見ですのでめったなことは言えませんが、Wikipediaでのストーリーを読んでも、これじゃあ一般の観客はついてきそうにないなと感じます。天下の橋本氏がなーんでこんな映画作ったんだよと思いますが、bogus-simotukareさんのお言葉を借りれば、

>何で「人気脚本家だった橋本」がそういうモノを造るのかよくわかりませんが

1)天才と奇人は紙一重

2)過去の名作は黒沢明などまともな人間が上司として部下の橋本をコントロールしたから良かったのであって橋本が監督という最高責任者で一番偉い場合、誰も橋本をコントロールできなくて、トンデモになる(そう言う意味では偉くなりすぎるのもある意味不幸です。それでも「誰かなんとかしろ」とは思いますが。共同制作者・大山TBSプロデューサーや野村監督は名前貸しにすぎなかったのでしょうが罪なことをしたモノです。彼らが駄目出しできなくて誰が出来るんでしょうか?)

3)騏驎も老いては駑馬に劣る

のどれか(あるいは全て)ということなんでしょう。

でしょうか。この映画は、一部書籍で紹介されたりしたこともあり、また公開後年月が流れて落ち着いてきたこともあったのでしょうか、現在ではDVDになっています。

幻の湖

私も観てみようかなと思いました。まえまえっからそれは考えてはいましたが、橋本氏もお亡くなりになったことだし、そろそろその時期かもしれません。

橋本忍氏のご冥福を祈って、この記事を終えます。なお現在、7月20日午前9時49分ごろですが、早急に更新したかったので、21日の記事として発表します。

 訂正:記事の日付をつけ間違えたので、20日午前9時49分の記事とします。

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4 コメント

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Unknown (bogus-simotukare)
2018-07-21 22:33:44
>bogus-simotukareさんのお言葉を借りれば、

拙記事のご紹介ありがとうございます。

>東宝設立50周年の記念

 そういう意味では『松竹大船撮影所50周年記念作品』として近い時期につくられた「キネマの天地」(1986年)に性格が少し似ている(どちらも南条玲子氏、有森也実氏という若手女優が主役に抜擢)。
 ただ「キネマの天地」の場合、「評価する、しない」「好き、嫌い」はもちろんあるにせよ、視聴してそれなりに楽しめる作品ですよねえ(小生も地上波のテレビで放送されたのを視聴したことがあります)。て普通「記念作品」と大手が銘打って、自社の威信にかけてつくったら「一定のレベルはキープ」されるはずなんですが。見ないとなんともいえませんがネット上の評価やウィキペディアの記載を信じる限り「幻の湖」はひどすぎでしょう。
 dvdのカバー写真も「出刃包丁を持った主人公が和服でジョギング」という「???」と思わざるを得ない代物ですし。

>『私は貝になりたい』など書きたいこともいろいろあります

 『私は貝になりたい』については、林博史氏が「ああいうケースで死刑判決が末端の兵士に出ることはほとんどない」「BC級戦犯裁判を報復裁判であるかのようにのみ描いており、日本軍の加害責任への反省がない」などの批判をしていたかと思います(たとえば、土佐のまつりごと『「私は貝になりたい」~原作と無関係な「情報操作」的「虚構」』http://wajin.air-nifty.com/jcp/2012/08/post-3fda.html、三日坊主日記『林博史「BC級戦犯裁判」』https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/53204d946a05813cea9ec11a32f3ca18参照。なお、『林博史、私は貝になりたい』『林博史、橋本忍』等でググるといろいろな関連記事がヒットします)。
返信する
Unknown (Rawan)
2018-07-21 23:36:37
黒沢作品のオープニングのタイトルロールで流れる毛筆文字の「脚本 橋本忍」が思い起されます。
特に何の根拠もありませんが、上記2)に近い感覚が私にもありますね。
橋本氏というのは、演出家にとっては職人的に無理がきいて過不足なく合格点を出してくれる脚本家だったのではないでしょうか。
強烈なシーンやキャラクターを「画」で見せる作風や演出手法においては、セリフの部分は抑制が効いていて演出の邪魔をしないほうがいい場合もあるので、演出家の意図を組んで信頼されれば、作品や監督の評価や名声が落ちない限りは、橋本氏の脚本家としての評価にも反映されえ続けていたのじゃないでしょうか。
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>bogus-simotukareさん (Bill McCreary)
2018-07-22 21:20:17
おっしゃる通り、ここは山田のような、娯楽映画に秀でた監督を起用するのが正解だったでしょうねえ。山田を東宝が起用するわけにはいかなかったでしょうが、さすがにもう少しまともな映画にするべきですよね。

>カバー写真も「出刃包丁を持った主人公が和服でジョギング」という「???」と思わざるを得ない代物ですし。

アウトラインを知っていれば、評価はともかく意味が分かりますが、これも知らなければ何が何だかさっぱりわかりませんよね。

>林博史氏

そうですね。林教授はこの作品をいろいろ批判されていますね。私もそれもふくめて記事にしたかったのですが、それは別の時のほうがいいかと思います。二等兵は、基本上官の命令による虐殺では、死刑にならなかったはずです。
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>Rawanさん (Bill McCreary)
2018-07-22 21:23:20
>橋本氏というのは、演出家にとっては職人的に無理がきいて過不足なく合格点を出してくれる脚本家だったのではないでしょうか。

おっしゃる通りだと思います。『砂の器』なんて、野村監督の作品というより、やはりあのシナリオのほうが評価が高いわけで、かなり特異な天才だったように思います。そして黒澤から山田洋次までいろいろ幅の広い脚本家でしたが、『幻の湖』については、それがかなり悪い方向へ暴走しちゃったということでしょう。それでこの映画がたたって、氏のキャリアも半分以上閉ざされたのは、仕方ないとはいえご当人にとってもかなり悔しかったでしょうね。
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