ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

翻訳のヴァージョンを比較してみる(老人と海)

2024-03-19 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

今回ご紹介する翻訳は、何種類もあります。この小説はすでに版権が切れているので、翻訳は誰でも出版できます。いちばん有名な翻訳が、福田恆存の翻訳でしょう。改訳されているので、今回ご紹介するのは、新潮文庫の1979年以降の翻訳です。これが福田訳の最終ヴァージョンでしょうが、詳細は未確認です。福田死後の96年に発売された85刷より。80年に49刷で改版されているとのことなので、たぶんこの翻訳が最終ヴァージョンになった? 下の表紙は、2003年発売のもので、96年のものは、ヘミングウェイの肖像が表紙です。

老人と海 (新潮文庫) 

 

老人と海 (光文社古典新訳文庫)

訳者の小川高義氏は、現在東京工業大学名誉教授です。2014年の訳。

老人と海

高見浩訳。新潮文庫のポスト福田訳です。2020年の発表です。

新訳 老人と海

訳者ほ東京女子大学名誉教授の今村楯夫氏です。日本ヘミングウェイ協会の顧問とのこと。2022年発売。

挿し絵入り版 老人と海

訳者である島村法夫氏は、中央大学名誉教授であり、日本ヘミングウェイ協会の元会長とのこと。2023年発売。

なお引用する翻訳については、段落は、一段スペースを空け、冒頭の一字下げは、省略します。

では、まずは原文を。冒頭から。出典は、こちら

He was an old man who fished alone in a skiff in the Gulf Stream and he had gone eighty-four days now without taking a fish. In the first forty days a boy had been with him. But after forty days without a fish the boy's parents had told him that the old man was now definitely and finally salao, which is the worst form of unlucky, and the boy had gone at their orders in another boat which caught three good fish the first week. It made the boy sad to see the old man come in each day with his skiff empty and he always went down to help him carry either the coiled lines or the gaff and harpoon and the sail that was furled around the mast. The sail was patched with flour sacks and, furled, it looked like the flag of permanent defeat.

福田訳(漢字の振り仮名は省略)

かれは年をとっていた。メキシコ湾流に小舟を浮べ、ひとりで魚をとって日をおくっていたが一匹も釣れない日が八十四日もつづいた。しかし一匹も釣れない日が四十日もつづくと、少年の両親は、もう老人がすっかりサラオになってしまったのだといった。サラオとはスペイン語で最悪の事態を意味することばだ。少年は両親のいいつけにしたがい、べつの舟に乗りこんで漁に出かけ、最初の一週間で、みごとな魚を三匹も釣りあげた。老人が来る日も来る日も空の小舟で帰ってくるのを見るのが、少年にはなによりも辛かった。かれはいつも老人を迎えにいき、巻綱や魚鉤や銛を、それからマストに巻きつけた帆などをしまいこむ手つだいをしてやった。帆はあちこちに粉袋の継ぎが当ててあったが、それをマストにぐるぐる巻きにした格好は、永遠の敗北を象徴する旗印としか見えなかった。(p.5)

小川訳(漢字の振り仮名は省略)

老人は一人で小舟に乗ってメキシコ湾流へ漁に出る。このところ八十四日間、一匹も釣れていなかった。四十日までは同行する少年がいた。だが四十日かかって一匹も釣れないとは徹底して運に見放されている、サラオだ、と少年の両親は言った。スペイン語で「不運の極み」ということだ。少年は親の言いつけで別の船に乗り、その船は一週間でなかなかの大物を三匹釣った。あいかわらず空荷の小舟で帰ってくる老人を見るのは少年にはつらいことだ。いつも浜へ迎えに出て、巻いたロープなり、鉤うや銛なり、運び出すのを手伝った。帆もたたんで持ち帰る。小麦粉の袋で継ぎを当てた帆をマストに巻くと、連戦連敗の旗印にしか見えなかった。(p.7)

高見訳(漢字の振り仮名は省略)

漁師は老いていた。一人で小舟を操って、メキシコ湾流で漁をしていたが、すでに、八十四日間、一匹もとれない日がつづいていた。最初の四十日は一人の少年がついていたのだが、一匹もとれない日が四十日もつづくと、あのじいさん、もうどうしようもないサラオだな、と少年の両親は言った。サラオとはスペイン語で”不運のどん底”を意味する。少年は両親の言いつけで別の舟に移り、その舟は最初の一週間で上物を三匹釣り上げた。老人のほうはその後も毎日空っぽの舟でもどってくる。それを見ると少年は悲しくて、いつも浜に降りていっては、老人が巻き綱や手鉤や銛などを運び上げるのを手伝った。帆を巻きつけたマストも運んだ。帆には小麦粉の袋で継ぎがあてられていて、マストに巻きつけられた姿は際限もない敗北の旗といった風情だった。

今村訳(漢字の振り仮名は省略。原語の注記は、()にいれる)

老人がひとり、小舟に乗ってメキシコ湾で漁をしていた。一匹も釣れない日が八四日も続いていた。初めの四〇日は若者が一緒だったが、浜に降りて行っては、と、若者の親はあのじいさんはサラオになってしまったのだと言った。サラオとはスペイン語で、最悪の事態という意味だ。親に言われて別の舟に移り、最初の週にみごとな魚を三匹も釣り上げた。しかし、老人が空っぽの舟で帰ってくる姿を目にするのは若者にとっては何よりも辛かった。いつも浜に迎えに行き、巻いた釣り網と魚鉤(ギャフ)と銛、帆が巻きつけられたマストを持った。帆はあちこちに小麦粉の袋で継ぎが当てられ、それがマストにぐるぐる巻きにされている格好はまさに永遠の敗北を示す旗のようであった。(p.5)

島村訳(注釈の番号、漢字の振り仮名は省略)

彼は年老いていて、ひとり小舟に乗り、メキシコ湾流で漁をしていた。これまで八十四日間も一匹も釣れていないでいた。最初の四十日は、少年が一緒だった。だが一匹も釣れない日が四十日も続くと、彼の両親は、爺さんはとうとうとんでもないサラオになってしまったんだと少年に言って聞かせた。サラオとは、スペイン語で最悪の不運な状況を表す言葉だ。少年は、両親の言いつけで別の舟に乗って、最初の週で、立派な魚を三匹も仕留めた。来る日も来る日も、老人が空の小舟で港にも戻ってくるのを見ると、悲しかった。少年はいつも浜辺に行って、ぐるぐる巻きにした釣網とか鉤竿や銛、それと帆をぐるぐる巻いたマストを運ぶのを手伝った。帆には、小麦粉を入れる布製の大袋で作った継ぎが、あちこちに当ててあった。それがマストに巻きついていると、永遠の敗北を暗示する旗のようであった。(p.10)

拙訳

メキシコ湾で1人で漁をしていた年老いた男は、この84日間1匹の魚も釣れていなかった。最初の40日は少年がついていた。しかし40日にもなって1匹も釣れないとなると、少年の両親は、じいさんは今となっては完全についに「サラオ」-スペイン語で最悪の不運な状況という意味だーになったのだ、と少年にいった。少年は親に言われて舟を降ろされて、別の舟に乗りこんだ。その舟は、最初の1週間で3匹のりっぱな魚を釣り上げた。毎日老人が空っぽの舟で帰還するのを見るのは、少年にとっては気が滅入るものだった。少年は老人を毎度迎えにいき、巻綱やうおかぎ、マストに巻きつけられた帆の運び出しを手伝った。帆には小麦粉の袋で継ぎが当てられていて、それはあたかも永遠の敗北であるかのようだった。

各氏の訳を比較すると、ほんと全然違うなということに驚きます。で、こういうの読んでいると、ほんと「翻訳って、訳者による原典の解釈だなあ」と痛感させられます。そんなことは初めから知っていますが、やはりそれを再確認します。

では、ラストを。

That afternoon there was a party of tourists at the Terrace and looking down in the water among the empty beer cans and dead barracudas a woman saw a great long white spine with a huge tail at the end that lifted and swung with the tide while the east wind blew a heavy steady sea outside the entrance to the harbour.

"What's that?" she asked a waiter and pointed to the long backbone of the great fish that was now just garbage waiting to go out with the tide.

"Tiburon," the waiter said, "Eshark." He was meaning to explain what had happened.

"I didn't know sharks had such handsome, beautifully formed tails."

"I didn't either," her male companion said.

Up the road, in his shack, the old man was sleeping again. He was still sleeping on his face and the boy was sitting by him watching him. The old man was dreaming about the lions.

福田訳(漢字の振り仮名は省略。引用文中青字は原文傍点)

昼すぎ、一暖の旅行者がテラス軒に立ち寄った。すると、ビールの空罐や死んだ魣の散らばっている水面を見おろしていたひとりの女が、そこに大きな尻尾をつけた巨大な白い背骨がゆらゆら揺れているの見つけた。港のそとでは、重い海の上を、風が東から強く吹いていたのだ。

「あれ、なんでしょう?」女はかたわらの給仕にたずねながら、大魚の長い背骨を指さした。その骨はいまや潮とともに港のそとへ吐き出されるのを待っている屑としか見えなかった。

「ティプロン」給仕はそういって、今度は訛のある英語でいいなおした。「さめが・・・」かれは一所懸命顛末を説明しようとする。

「あら、鮫って、あんな見事な、形のいい尻尾を持っているとは思わなかった」

「うん、そうだね」連れの男がいった。

道のむこうの小屋では、老人がふたたび眠りに落ちていた。依然として俯伏せのままだ。少年がかたわらに坐って、その寝姿をじっと見まもっている。老人はライオンの夢を見ていた。(p.116)

小川訳

午後になって、〈テラス〉の店がツアーの客で立て込んだ。ここから見る海に、ビールの空き缶や死んだカマスが浮いている。ある女の客が、大きな尻尾のついた長大な白い背骨も浮いていることに目を留めた。東の風が港の外海にずっしりした波をうねらせ、その余波で背骨がゆらりゆらりと揺れている。

「何なの、あれ」女はウェーターに言って、もはやゴミとして潮の流れに運ばれようとしている大魚の背骨を指さした。

「ティプロン」とウェーターは言った。「さめ」と英語で言いなおしたのは、骨になった事情を伝えようとしたのだった。

「知らなかったわ。鮫の尻尾だって。あんなに立派な、いい形だったのね」

「そうだな」連れの男も言った。

この道を行った先の小屋では、まだ老人が眠っていた。うつ伏せになったきりで少年が付き添って坐っている。老人はライオンの夢を見ていた。(p.128)

 

高見訳(漢字の振り仮名は省略)

その日の午後、観光客の一団が〈テラス〉でくつろいで、海を見下ろしていた。するとビールの空き缶やカマスの死体が浮くなかに、大きな尻尾のついた白くて長い巨大な背骨が浮き沈みしているのに、一人の女性が目を留めた。湾口の外では東の風がどっしりとした海を波立てており、つられて白い背骨も揺れていたのだ。

「あれはなあに?」女は給仕に訊いて、いまは潮に流されるのを待つ屑と化した、大魚の長い背骨を指さした。

「ティプロン」と給仕は答えた。「いえ、サメが」と英語で言い直したのは、何があったのか、説明するつもりだったのだ。

「知らなかったわ、サメがあんなに立派な美しい尻尾があったなんて」

「おれもだよ」つれの男が言った。

道の先の小屋では、老人がまた眠り込んでいた。うつ伏せになったままの老人を、少年がそばにすわって見守っていた。老人はライオンの夢を見ていた。(p.134~135)

今村訳

昼すぎ、テラス亭には旅行者の一団が集まり、海を見下ろしていた。そこからは海に一匹の魚が大きな尻尾をつけたまま、巨大で長い白い背骨を見せ、ビールの空き缶や死んだカマスとともに浮いているのが見えた。潮にゆらゆらと流されているところだった。東風に吹かれ、魚が港の入り江から外海にゆっくりと出ている様子が見えた。

「あれは何?」と女はウェイターに尋ねる。指さした先には偉大なる魚が、まさに海の藻屑となって潮に流され、入り江から出て行くところだった。

「ティプロンが・・・・・・」とスペイン語で言いかけ、「鮫が・・・・・・」と英語で言い換えた。ウェイターは何が起きたのか説明しようとしたのだ。

「鮫があんな素敵な美しい尻尾をしているなんて知らなかったわ」

「私も知らなかったな」連れの男が言った。

道を上ったところの小屋の中で老人はふたたびうつ伏せのまま眠っていた。その傍らに若者は腰をおろし、老人を見ていた。老人はライオンの夢を見ていた。(p,120~121)

島村訳(注釈の番号は省略)

その日の午後、テラス食堂に旅行者の一団がやってきた。一人の女性が空のビール缶や死んだバラクーダが浮かんでいる海面を見下ろしていて、最後尾に巨大な尻尾がついた、とてつもなく長い真っ白な脊柱に気づいた。それが、外海で東風が絶え間なく大きなうねりを立てている間、潮流のまにまにゆらゆら揺れ動いていた。

「あれなあに」と彼女は給仕に尋ね、潮流に乗って外海に出ていくのを待つ他ない生ごみにすぎない巨大な魚の長い背骨を指さした。

「ティブロンが」給仕が言った。「鮫が」彼は何が起こったか説明するつもりだった。

「知らなかったわ。鮫があんなに素敵な、きれいな形をした尻尾をしているなんて」

「ぼくもだ」連れの男が言った。

道路をずっと行ったところの小屋では、老人がもう一度深い眠りに落ちていた。相変わらずうつぶせになったままだ。少年がそばに腰を下ろして、見守っていた。老人はライオンの夢を見ていた。(p.146~147)

拙訳

その昼、「テラス」に旅行者の団体が来て、海を見おろしていた。ビールの空き缶やカマスの死体が浮かぶ海面に、団体の中の女性が、大きなしっぽのあるとても長く白い背骨を見つけた。湾の外では、東からの風が重い海を吹きさらし、それで背骨は揺れていた。

「あれはなに?」彼女は、もはや港の外に押し出されようとしているゴミでしかない、大きく長い背骨を指さしてたずねた。

「テイブロンが」とウェイターは、スペイン語で言って、英語で言い直した。「鮫が」。事態を説明しようとした。

「鮫って、あんなすてきできれいな形のしっぽをしているなんて知らなかった」

「そうだね」と連れの男性も言った。

道をいったところの掘っ建て小屋では、老人はまだ寝ていた。うつ伏せになったままで、少年は座って老人を見続けていた。老人は、ライオンの夢を見ていた。

これも訳者でぜんぜん雰囲気がちがいますね。英語から日本語にすると、スペイン語から英語の言い直しもあるので、やはりやや文章がくどくなるところがあり、それは仕方ないところもあります。

次回はフランス語の翻訳に挑戦したいと思います。それではまた。

コメント
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