ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

映画『ビッグ・ウェンズデー』に関する「どうもなあ」の話

2020-07-09 00:00:00 | 映画

先日俳優の岸田森についてWikipediaを読んでいまして、それで次のような部分に目が留まりました。

『太陽戦隊サンバルカン』(1981年、東映、テレビ朝日)で実現はしなかったが、2004年に開かれた出演者のインタビュー[要出典]によると初代バルイーグル / 大鷲龍介役の川崎龍介の降板を気の毒に思った岸田が「俺が "帰ってきた大鷲龍介" という脚本を書いてやる」と意欲を示した。実現しなかった理由については不明だが、プロットもできていて後は書くだけの状態だったといい、実現していれば3本目の岸田の脚本になっていたことになる。川崎の降板後も、川崎と酒席を共にするたびに「龍介、帰ってこい」と声をかけていた。

このくだりを読んだとき、へえ、岸田森ってけっこういい人だったんだなと思ったのですが、ただ彼は間もなく亡くなってしまったわけです。

それで当の川崎という人について閲覧してみると(上の岸田とのエピソードも書かれています)、「え!?」と思いました。つまり彼は、音楽活動もしていたのですが(というより、俳優より歌手というべきだった模様)、次のような記述があったのです。

>こころに海を(1979年、ワーナー・パイオニア) - 映画『ビッグ・ウエンズディ』イメージソング

え! この人、あの悪名高いあの歌を歌った人!?

ビッグ・ウェンズデー 』(というのが正確な表記のはず)は、1979年に公開されたジャン=マイケル・ヴィンセント主演の映画ですが、この映画のラストに、日本の配給会社独自の判断で日本語の歌を付け加えて、これがきわめて評判が悪かったのです。

こちらの記事には次のような記述があります。

>『ビッグ・ウェンズデー』サーフィン映画の原点にして金字塔。そして衝撃の日本語主題歌
ビッグ ウェンズデー

2019.10.21斉藤博昭

>感動のラストの後、エンドロールでまさかの脱力

 そしてこの『ビッグ・ウェンズデー』には、ちょっとした「黒歴史」もある。それは、日本公開時の主題歌だ。

 現在も、洋画の日本語吹替版などで、エンドクレジットに日本人アーティストよる独自の曲が流れることがある。「イメージソング」として宣伝に一役買うこともあって、時に賛否両論が起こりながらも、一部で定着したスタイルだ。しかし、吹替版の公開すらなかった1979年当時、『ビッグ・ウェンズデー』のエンドクレジットで日本語の曲が流れたのである。

 それは川崎龍介という歌手の「こころに海を」という曲。歌詞に「オー、ビッグ・ウェンズデー」と入っていることから、明らかにこの映画のために作られたのだとわかる。川崎龍介は当時、ほとんど無名(「第2の加山雄三」として売り出そうとしたらしい)。『ビッグ・ウェンズデー』の怒涛のクライマックスが終わり、しみじみと感動が漂う瞬間に、いきなり日本語の曲が流れ出す。この異常な状況に、観客はざわついた。はっきり言って「興ざめ」である。ネットも存在しない時代なので、その話題が広がるのには時間がかかったが、今で言う「炎上」案件。映画ファンの間では、長らく語り継がれることとなった。

実は川崎という人は、加山雄三の付き人だったんですが、それはともかく、いやはやここまで書かれるかというくらいひどい書かれ方ですが、ともかく非常に評判が悪かったわけです。

私はもちろんこの映画を劇場で観る年齢ではないので、この映画のラストに、日本独自の変な歌が流れたということを知識として知っていただけですが、どんな歌かは知りませんでした。

ではどんな曲だったのか、ご紹介。

こころに海を 川崎龍介

うーん、ちょっとねえ(苦笑)。失礼ながら素人さんの歌のような気すらします。前にご紹介した原田知世の歌は、あれは素人さんの歌以上のものではないですが、しかしこれ最初から歌手活動をしている人の歌ですからねえ。

が、映画、および川崎氏のWikipediaを読んでも、彼の歌の評判がきわめて悪かったということは書かれていません(この記事執筆時点)。

それで彼のWikipediaの記述は、2016年の「日刊ゲンダイ」の記事をネタにしているのですが、「日刊ゲンダイ」の元記事を読んでも、加山と松任谷由実の話(

>78年、松任谷由実作詞・作曲の「サマー・ブリーズ」でアイドル歌手デビューした。

「この曲、80年に松任谷さんがリリースしたアルバム『SURF&SNOW』のB面に収録されてる『サーフ天国、スキー天国』の原曲なんです。ボクが歌ったらパッとしなかったのに、歌詞とアレンジを一新して松任谷さんが歌ったら、ウインターソングの定番になっちゃいました」

とのこと))は出てきますが、この映画の主題歌については触れられていません。書いた記者がそれを知らなかったとは思えないので、たぶん書かなかったのは、川崎氏がそれについてどうしても触れてほしくないと言ったか、あるいは「日刊ゲンダイ」側が「武士の情け」(?)で触れなかったかのどちらかでしょう。

だいたいドラマだって、いきなり主演だったんですから期待されていたのだと思いますがね。なおこのドラマは、ほかの2人の主要登場人物も、本名と役名の名前が同じです。

「日刊ゲンダイ」の記事の中で川崎氏は、

>ボクの人生、数々のビッグチャンスに恵まれながら、それを生かしきれないまま年を重ねてきたように思えます。今後、もし機会があったら、加山さん、松任谷さんにいただいたご恩をお返ししたいですね

と語っていますが、たぶん彼の言う「ビッグチャンス」というのは、記事で触れられている加山、松任谷、ドラマ以外に、「ビッグ・ウェンズデー」の件もあるはず。いろいろな意味で、ビッグチャンスを生かすには何かが足りなかったのでしょうが、ただドラマを降板した際ほっとしたところもあったとも本人語っており、やはり性格が芸能界向きではなかったのかなと思います。そういう時に「悔しい」と夜も眠れないくらいでなければやっぱりだめだったのでしょう。

まだ店をやっているのなら、現在川崎氏が地元熊本で経営しているというカラオケ喫茶の店に行ってみようかな?

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エンニオ・モリコーネが亡くなった(彼の活躍を考えると、武満徹には、もっと海外の映画の音楽を担当してほしかったと思う)

2020-07-08 00:00:00 | 映画

すみません。本日の記事は、「音楽関係(CD、コンサート、歌手、楽器その他)」のカテゴリーのほうが妥当なのかもですが、映画中心のブログですので映画のタグで。

1日記事にするのが遅れましたが、イタリアの作曲家エンニオ・モリコーネが亡くなりました。記事を。

>映画音楽の巨匠 エンニオ・モリコーネさん死去 91歳
2020年7月6日 20時16分

イタリア出身の世界的な作曲家で、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」をはじめ、数々の映画音楽を手がけ、アカデミー作曲賞も受賞したエンニオ・モリコーネさんが死去しました。91歳でした。

エンニオ・モリコーネさんは1928年、イタリアの首都ローマで生まれ、名門の音楽院で学んだあと、作曲家として数多くの映画やテレビの音楽を手がけました。

映画に魅せられたイタリアの少年と、映写技師との心のふれあいを描いた「ニュー・シネマ・パラダイス」や、アメリカ・シカゴを舞台にギャングと捜査官との闘いを描いた「アンタッチャブル」などの音楽の作曲で知られ、4年前にはアメリカの西部劇、「ヘイトフル・エイト」でアカデミー賞の作曲賞も受賞しています。

また、2003年にはNHKの大河ドラマ、「武蔵 MUSASHI」のテーマ音楽を担当し、映画音楽の分野で日本とイタリアの交流を深めたことなどから、去年、外国人叙勲で旭日小綬章を受章しました。

イタリアのコンテ首相は、ツイッターで「私たちは巨匠、モリコーネ氏の芸術的な才能を多くの感謝とともにいつまでも忘れない」と述べて、その死を悼みました。

地元メディアによりますと、モリコーネさんは数日前に倒れて大たい骨を骨折し、6日未明、入院先のローマの病院で亡くなったということです

彼は、6回アカデミー賞にノミネートされましたが、受賞には至らず、ついに2007年第79回アカデミー賞において名誉賞を受賞しました。そしてようやく、2016年に『ヘイトフル・エイト』の音楽で第88回アカデミー賞 作曲賞を受賞することになります。彼が本格的にイタリア国外で映画音楽を担当するようになったのは、1980年代半ば過ぎかと思いますが、もっと早くから英米映画に進出していれば、より多くのアカデミー賞受賞も可能だったのではと思います。

彼は、たぶん映画作曲家という点では、(以下順不同)ニーノ・ロータジョン・ウィリアムズヘンリー・マンシーニモーリス・ジャールフランシス・レイあるいはもっと世代が上のバーナード・ハーマンでもいいですが、彼らと同様ちょっと別格の映画音楽家だったと思います。映画を多少なりとも「好き」と自称しているのなら、彼の音楽はどこかで聞いているはずで、いわゆる代表作でなくても、「すごい音楽」と感動した経験のある人は多いのではないでしょうか。

それでは私が好きな彼の作品を。1990年の映画「ステート・オブ・グレース」より。

Ennio Morricone - State of Grace - Terry Noonan

Ennio Morricone - State of Grace (1990) closing titles theme (St. Patrick's Day)

映画は、ニューヨークのアイリッシュ・ギャングにまつわる話で、イタリア人が主たるテーマでもありませんが、実に映画の雰囲気をよくとらえた音楽です。

それで記事を書いていて突然思いついたのですが、そう考えていくと、武満徹が海外の映画の音楽をあまり担当しなかったのは、非常に残念ですね。晩年の「ライジング・サン」なんかやっぱり日本がらみの映画だしね。武満が海外からのオファーを受けていれば(あったのを断ったのか、はじめっからなかったのかは知りません。武満だからないということもないか)、モリコーネみたいな立場になっていたかもです。彼は、あれだけ多忙な人間であっても大変な映画好きであり、ATGとかの金にもならない映画にも作曲をかって出た人物ですから、海外の映画に音楽を付けていたらなあと夢想してしまう私。なお、黛敏郎は、「天地創造 」の音楽を1966年に担当していますが、彼も海外の映画はこれくらいですかね? この映画のWikipediaによると、

>音楽は当初イーゴリ・ストラヴィンスキーに依頼されていたが、それが断られたため、最終的に黛敏郎が大抜擢された。黛敏郎はこの映画でアカデミー作曲賞ゴールデングローブ賞 作曲賞にノミネートされた。

とのこと。黛でそうなら、武満ならもっと(いや、比較にならないくらい・・・すみませーん、黛嫌いなもので(苦笑))活躍できたんじゃないんですかね。いやまちがいなくそうなはず。なおWikipediaによると、モリコーネ自身は、左派系の人間のようです。

エンニオ・モリコーネ氏のご冥福を祈ってこの記事を終えます。

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テレビ局のディレクターから「総合演出」になれるのはごく一部であり、そういわれれば映画監督になれなかった助監督も多数

2020-07-03 00:00:00 | 映画

ちょっと読んでみて面白かった記事を。

37歳で日テレ退社 “落語小料理屋”の女将が振り返る「私が『笑点』のディレクターだったとき」
6/21(日) 11:00配信

それで私が「なるほどねえ」と思ったのがこちら。

>(前略)

――そのアドバイス通り、大学卒業後は制作職で日テレに入社されました。配属先もドラマ班ということで、早速好きな仕事をされていたんでしょうか?

中田 うーん、好きな仕事でしたけど、「辛い」が9割、「楽しい」が1割くらいでしたね(笑)。

――辛いというのは、やはり体力的な部分で?

中田 そうですね。当時のテレビって、朝5時集合、夜1時終了みたいな世界だったので……。編集所には32時とか書いてあったりして、若いのに遊びにも行けない。撮影中は周りにコンビニもないようなスタジオにずっと泊まりこんで、寝るときも人と一緒ですから。

――その頃に手がけられたのはどんな作品ですか?

中田 『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』、『ホタルノヒカリ』、『ハケンの品格』などの作品に助監督として入りました。いわゆるADですね。仕事としては、ディレクターの意志を役者さんに伝える立場なので、常に板挟みで。「自分だったらこうしたい」という思いを表現できなかったのが、特にきつかったですね。撮影が全て終わるオールアップの日が近づいてくると、仲の良い衣装さんと「マジック10」「マジック9」と、密かに残りの日数を数えたりしていました(笑)。

「半分嘘で半分本当」のバラエティへの戸惑い
――そこからディレクターになるまで何年かかったんでしょうか?

中田 私は9年かかりました。でも、その辛い“修業”が済んで、ようやくディレクターになれたと思ったら、わずか1年でバラエティに異動になってしまったんです。タイミング的にもまさか異動するとは思っていなかったので、それこそ目の前が真っ暗になりました。

――ドラマとバラエティでは、仕事の内容も全然違うものですか?

中田 ドラマは完全に作り込んだ世界を見せるわけですが、バラエティは「半分嘘で半分本当」という世界です。なので、ドラマと同じ感覚でバラエティを作ると、すごく不自然な感じになってしまうんです。バラエティに移ってからは、そのことをよく指摘されたんですが、正直「いまさらそんなこと言われても」と(笑)。

――それでもそのときは、会社を辞めようとは思わなかった?

『笑点』のディレクターってどんな仕事?
中田 そうですね。バラエティとはいえ、やっぱり番組を創るのは好きでしたし、異動後しばらくして『笑点』の担当になったことも大きかったです。他のバラエティ番組とは違って、『笑点』とはめちゃくちゃ相性が良かったんですよ。

――それは、どんな点が?

中田 噺家さんたちの世界が、ドラマと近かったからかもしれません。テレビである以上、偶然の要素は必ずあるんですが、師匠たちがもともと持っている芸というのは、ドラマと同じで完璧に作り込んでいるものなので、だから入りやすかったのかな、と。それと、『笑点』はすごくオープンで、アットホームな雰囲気なんです。たとえば、師匠たちの楽屋は大部屋で、全員一緒なんですよ。

――意外ですね! 皆さん個室なのかと思っていました。

中田 寄席の楽屋は大部屋なので、たぶんそれと同じにしているんだと思います。逆に部屋が分かれちゃうと、師匠たちもどうしていいのかわからない(笑)。楽屋はスタッフも出入り自由なので、時間があるときはみんなでワイワイおしゃべりしていて、そんな雰囲気がすごく楽しくて。私はそれまで落語とは縁がなかったんですが、寄席に行くと師匠たちが喜んでくれることもあって、よく通うようになりました。

――ちなみに『笑点』のディレクターというのは、どんな仕事なんでしょうか?

中田 実は、ほとんどやることがないんです(笑)。編集はするんですが、これまでに積み上げてきた番組の“型”もあるので、そんなに大変ではなくて。基本的には師匠たちのお相手と言いますか、現場の雰囲気作りが仕事です。だから楽しかったのかもしれないですね。

 

ディレクター35歳限界説

――そんな充実した日々を過ごされていたのに、なぜ退社を決意されたのですか?

中田 結局、『笑点』には1年しかいられなかったんです。35歳のときに、すぐまた異動になって。今度は編成局という部署で、完璧なデスクワークでした。それまでは仕事中に座ることなんてほとんどなかったのに、朝から晩まで机にかじりついてタイムテーブルを決めたり、CMの料金計算をしたり。あとは経営側から下りてきた細かなルールを各部署に伝えたりするんですが、これが私には全く合っていなくて。何かの役には立ってるんだろうけど、この仕事は一体何なんだろうと(笑)。

――それがきっかけで退社を?

中田 「なんか私、すごくつまんない人間になってるな」と思ってしまって。このままずっと会社の言うことを聞いていたら、つまんないばばあになっちゃうな、と(笑)。だったら自分のやりたいことをやって、楽しいばばあになりたいと思いました。

――とはいえもう1度、制作に戻れるチャンスもあったのでは?

中田 もともとテレビ局には、「ディレクター35歳限界説」というのがあるんです。35歳までに売れないと、現場から離れなくてはいけないという“暗黙の了解”ですね。そのタイムリミットは全員に平等にやってくるんです。センスの面でも体力の面でも、やはり若くないとできない仕事ですから。

100人中、2人か3人しか生き残れない世界

――ディレクターが「売れる」というのは、具体的には?

中田 総合演出になる、という意味です。ただ、総合演出になっても、いつその番組が終わるかはわからないので。結局、100人ディレクターがいても、ずっと総合演出として残れるのは2人か3人くらいじゃないですかね。ごく一部の売れっ子だけが残って、あとはいろいろな部署に散っていくんです。

――狭き門ですね。

中田 超狭き門です。私は32歳でバラエティに異動したんですが、そこで3年やりながら「ああ、自分は残れないだろうな」と予感はしていました。

(後略)

それでこの女性は日本テレビを退職するのですが、続きに興味のある方はご自身で読んでください。例によって長い引用になりましたが、私が興味深く感じたのはこちら。

 >テレビ局には、「ディレクター35歳限界説」というのがあるんです。35歳までに売れないと、現場から離れなくてはいけないという“暗黙の了解”ですね。そのタイムリミットは全員に平等にやってくるんです。センスの面でも体力の面でも、やはり若くないとできない仕事ですから。

>ディレクターが「売れる」というのは、具体的には?

中田 総合演出になる、という意味です。ただ、総合演出になっても、いつその番組が終わるかはわからないので。結局、100人ディレクターがいても、ずっと総合演出として残れるのは2人か3人くらいじゃないですかね。ごく一部の売れっ子だけが残って、あとはいろいろな部署に散っていくんです。

私はテレビ局の内情なんかに詳しくないので、ディレクター35歳限界説なんて知りませんでしたが、つまり35歳までで才能や適性を見きわめられるということですね。それは仕方ないというものですが、新卒で入っても十何年くらいで制作職から身を引くというのは、難関の東京キー局に入った人間としても悔しいでしょうね。 テレビ局ったってもちろん営業職、総務職、経理職、技術職いろいろですが、世間一般のイメージでの花形は、やはり報道職と制作職でしょう。アナウンサーはやはり少々別格です。

それで十年を超えたくらいで、だいたい適性、能力が分かっちゃってあこがれの場所から離れることを余儀なくされるというのは、才能の限界を突きつけられるわけで、これはやはり残念だし苦しいですよね。言うまでもなく、テレビ局だってそんなに統括する立場のディレクターを必要とするわけもないので、それ自体は「理の当然」というやつでしょうが、卓越した才能でないと、生き残れないというものなわけです。上の記事で「笑点」ではそんなにすることがなかったと女性が語っているのは、たぶんですが、テレビ局も彼女の才覚にそんなに期待していなかったという側面もあったのでしょうね。そして彼女もそれを感じていたということでしょう。

それでこれも同じだなあと思うのが、映画の助監督(監督助手ほかの名称もあり)です。今はそんな時代でもありませんが、日本の映画界が景気が良かった時代は、各映画会社は、東京大学や京都大学などの有名大学の主に文学部出身者を「助監督」として採用し、それで映画監督につけて仕事をさせて、能力のあるものを最終的には監督に昇格させるというシステムでした。海外の場合、むしろ助監督というのは専門職ですが、日本ではある時期までは映画監督になるための通過点、登竜門みたいなものでした。

が、日本映画の景気が悪くなり、各映画会社が俳優をふくむ専属スタッフを抱えられる時代でなくなり(先日記事にしたひし美ゆり子が72年3月で東宝の専属でなくなったこともその一環です。先日亡くなった加藤茂雄氏も同じ年に東宝の専属でなくなっているとのこと)、みなフリーになったり特定のプロダクション所属になったりする時代となると、もはや助監督が映画監督の通過点というものでもなくなりました。このあたりは、Wikipediaのこちらをごらんください。

それでWikipediaを引用すれば

>映画界の助監督、特にチーフ助監督は、他のパートのメインスタッフ、撮影、照明、美術、録音といった責任者と同等の立場であり、ギャラも原則的には同等である(年齢やキャリアによっては異なる)。日本ではアシスタントとつくと、なにか半人前の修行中のような印象がついてしまうが、アメリカではアシストという立場はサッカーの得点と同じく、助手ではなく対等関係である。映画界では「映画監督は素人でもできるが、チーフ助監督は素人にはできない」と言われている。現にハリウッドでは新人監督が映画を撮る場合、助監督の方がギャラが高かったり、権限が強かったりすることもある。またエグゼクティブプロデューサー兼助監督などという兼務があったりする。いずれにせよ、助監督=監督に顎で使われる使いっ走りという印象は原則として映画界では大きな間違いである。もちろん、ケースバイケースではあり、特にTVなど少人数の現場ほどアシスタントの立場は軽いことから、コントなどで「虐められる助監督」のイメージが流布されてしまった嫌いはある。

>往年の映画会社においては、助監督で修行を積むことが監督へのほぼ唯一の道であったが(会社の方針によって助監督の経験がない者に監督をさせようとしたら、石原慎太郎や大林宣彦のように助監督が反対することが多かった)、現在では監督になる意志のないフリーの助監督も存在する。

>映画の斜陽化によって製作本数が激減し、それに伴う合理化によって俳優・監督・スタッフの長期専属契約のシステムがなくなり、多くのスタッフがフリーとなった現在は、映画監督になるための手段として、必ずしも助監督を経験しなければならないという訳ではない。かつては大林宣彦監督のように、助監督を経験しない映画監督は珍しいとされてきたが、現在はテレビ業界やCM、シナリオライター、芸能人といった異業界からの監督就任も多く、むしろベテランの助監督が監督を補佐やアドバイスをするという傾向が強くなってきている。

ということです。でなければ、田中絹代伊丹十三和田誠といった人たちが映画監督なんかできるわけがない(すみません、この人たちにうらみはありません。伊丹はそんなに好きじゃありませんが)。

それで例えば、山田洋次の映画で長きにわたって助監督を務めた五十嵐敬司なんて、けっきょく監督にならないで終わりました。たぶんある時点で、監督になりたいという意欲が薄れたのでしょうが、そういうのももったいないと思います。大島渚の初期の松竹作品では、田村孟石堂淑朗が助監督でしたが、石堂は監督にならず、田村も1本監督しただけです。崔洋一監督は、大島作品の『愛のコリーダ 』で助監督を務めましたが、彼のように大物監督になれる人も多くない。

この数年、昔の日本映画を観る機会が多いのですが、クレジット(昔ですから、エンドクレジットはほぼなし)で「助監督」というのに注目していますと、あまり知っている名前はないわけです。つまり監督になれなかった、あるいはわずかな監督作品を残して映画界から去った、もしくは監督から違うスタッフになった人もいるかもです。Wikipediaで名前がリンクされていない助監督を見ると、ああ、このひと監督になれなかったのかなあとかいろいろ考えます。

上の田村や石堂といった人たちは、その後脚本家として一世を風靡したからまだいいとして、そうでない人のほうが多いでしょうから、これもなかなか大変ですね。世の中、大物映画監督や名前が知られている大プロデューサー、ディレクター(たとえばこちらの人物など)の陰には、死屍累々(もちろん本当に死んでいる人はそんなに多くないでしょうが、テレビ局も過労死の少なくない職場です)たる脱落者がいるわけです。なんでもそうでしょうが、勤め人としての助監督の時代でもやはり競争は熾烈です。1932年早生まれの大島渚は1959年に監督デビュー、31年生まれの山田洋次は61年にデビューしましたが、このような若いデビューが可能だったのは、松竹があまり景気が良くなくて、新しい監督に期待したためでもあります。

そうこう考えてみると、やはり映画とかテレビなんかは、報道はまた違う職種ですが、作る側より劇場や自宅で楽しんでいるほうがいいのかもですね。映画が好きなら1度くらいは製作スタッフ(俳優をふくむ)にあこがれるでしょうし、私も同じですが、エキストラをしていて、映画はやはり助監督次第だとか、映画作りも大変だとかいろいろ考えたこともあります。

エキストラ初体験

上の記事の女性の将来に幸あれと祈念してこの記事を終えます。

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「赤いシリーズ」の山口百恵出演作品が、7月1日からTBSのCSチャンネルで放送されている(1日2話放送)

2020-07-02 00:00:00 | 映画

すみません。6月中に記事にしたかったのですが、番組が始まってからのご紹介です。

1970年代の山口百恵主演の「赤いシリーズ」が、TBSのCSチャンネル(TBSチャンネル2)で、7月1日から1日2話放送されています。このチャンネルは、早朝の4時~6時に、大映テレビのドラマ作品(大映ドラマ)の再放送をしていまして、「赤いシリーズ」を放送してくれるわけです。

赤い迷路」(7月1日~13日)は、松田優作まで出演していますが、途中で降板しています。ただ設定では脳腫瘍による死なので、現実に彼が40くらいでガンで亡くなったことを知っている私たちにとっては「どうもなあ」の部分はあります。TBSチャンネル2でのHPはこちら

赤い疑惑」(7月14日~28日)は、今年亡くなった原知佐子の山口百恵へのいびりが話題となりました。実際彼女が亡くなった際も、これをいちばん報道では強調していました。一番印象に残った演技、ということだったのでしょう(下の参考記事参照)。じっさい、原は、これから10年後に制作された『花嫁衣裳は誰が着る』でも、伊藤かずえ(!)の母親役で堀ちえみをいびっていました。なおこのドラマは、ほかにも松村雄基ほか大映ドラマの常連さんが多数出演します。フジテレビの作品なので他チャンネルで現在放送中なのですが、これは観るのをやめました。なお『赤い疑惑』ではパリでのロケまで行っており、さらには岸恵子まで出演しているので、私たちのような好き者には最高の作品です。また三浦友和まで出演しているのだから、まさにいうことなし。いや、大映ドラマの最高殊勲者である宇津井健を忘れてはいけません。TBSチャンネル2でのHPはこちら

その次の「赤い運命」(7月29日からの放送。終わりは、記事執筆時点でHPに記載なし)は、秋野暢子が話題になりましたかね。これもなかなか面白そうです。TBSチャンネル2でのHPはこちら

先日こんな記事を書きました。

もはや韓国(人)にとっては、北朝鮮は「脅威」「打倒の対象」よりもメロドラマのネタ程度のものなのだろう(たぶん日本も同じ 関川某も自分の書いたことを撤回しろとおもう)

その記事の中で私は、記事で取り上げた韓国ドラマについて

>かつての70年代~80年代の大映ドラマ全盛期のような突っ込みどころ満載のところがあるのかもしれません。まさに大映ドラマを彷彿とさせます。あるいは、直接、そうでなくても間接に、大映ドラマを1つの参考にしている(もしくは結果的に参考にしている)という可能性もあるかもです。

と指摘しました。実際には、大映ドラマといったって、「赤いシリーズ」とかに代表される大げさなドラマばかりでなく、岡崎友紀主演の「18歳シリーズ(ライトコメディシリーズ)」のような軽めのドラマ(まああれも演技はかなりデフォルメされていますけどね)も多いのですが、「冬のソナタ」は「キャンディキャンディ」を参考にしたようだし、「キャンディキャンディ」は「赤いシリーズ」系統の大映ドラマのテイストと酷似していますから、いろいろなところでつながってるいるのだろうなと思います。

ちょうどNHKで、先週、今週と、山口百恵主演・三浦友和共演の映画2本(「伊豆の踊子」「潮騒」)がBSで放送されました。今年が彼女の引退40年ということで、ある程度話題になっているのかもです。そのあたりの事情は知りませんが、私も薄幸な役の多い彼女を楽しみたいと思います。

参考記事

>原知佐子さん死去、俳優 ドラマ「赤い疑惑」など出演
2020/1/20 17:23
 
原 知佐子さん(はら・ちさこ、本名=実相寺知佐子=じっそうじ・ちさこ、俳優)1月19日、上顎がんのため死去、84歳。告別式は近親者で行う。喪主は長女、吾子さん。

映画監督の故実相寺昭雄氏の妻。70年代放送のドラマ「赤い疑惑」など「赤いシリーズ」で山口百恵さん演じるヒロインをいびる役で知られた。〔共同〕

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封印されていた『ノストラダムスの大予言』のDVD(イタリア版)を入手した

2020-06-25 00:00:00 | 映画

先日こんな記事を書きました。

封印されている『ウルトラセブン』第12話での、友里アンヌ隊員(菱見百合子(現・ひし美ゆり子))の私服姿をご紹介

その記事の中で、

>それで封印作品といえば、おそらく日本で一番有名といっても過言でない封印作品が、『ウルトラセブン』の第12話かと思います。

と書きましたが、これと並んでもっとも知名度の高い封印作品が、たぶん『ノストラダムスの大予言』かと思います。1974年発表の東宝映画で、舛田利雄監督、丹波哲郎主演です。

この映画もいろいろあって(詳細は、Wikipediaを参照してください)公開中に一部カット、その後1980年にテレビ放送されましたが、ソフト化もされず、今日に至っています。東宝は、昔はこの映画を書籍などで扱うことには特に問題視していなかったのですが、20世紀末ごろからこれもNGになった模様です。

ただ、海外ではソフト化がされていました。米国でもVHSやLDで発売されました。日本のAmazonでも買えます。ただし価格はお高め。

で、これがイタリアで(なぜか)発売されたのです。イタリアAmazonにリンク

PAL版なので日本の一般のDVDデッキでは再生できませんが(PCならPAL設定することにより鑑賞可能?)、いずれにせよ海外通販でDVDを入手できるわけです。私はたまたまこちらのブログさんでそれを知りました。

「ノストラダムスの大予言(Catastrofe)」イタリア盤DVDが届いたので記念写真--日本公開版(日本語音声)収録/Catastrofe/Prophecies of Nostradamus/Last Days of Planet Earth/1974年 東宝特撮映画 

さがすとほかでもいろいろなサイトでこれが紹介されていました。それでこれは手に入れたいと思ったのですが、はたして米国Amazon以外では海外通販もあんまりした記憶がないのでどんなもんかいなと考えていましたら、ネットオークションや某巨大通販サイト、某ネットフリーマーケットアプリなどを確認しところ、どこでとは言いませんが、納得できる価格での販売があったので、さっそく購入にいたったわけです。

イタリア版は11.48ユーロで、昨今のレートでは1400円にも満たない額ですが、送料や安心料(?)、売る人の手数料ほかが足されて、実際にはそれよりもだいぶ高くなっています。特に海外でこんなものを買う人は相当な好事家でしょうが、日本ではやはり自国の映画ですから買いたい人が多いようで、人気は高いようです。まあそのあたりは、買いたい人は自分の納得できる価格ならそういったところを介して買えばいいし、価格絶対優先なら、自分で直接通販サイトで購入すればいいでしょう。

それで過日拙宅にこれが届きました。このDVDがいいのは、イタリア語吹替版のほかに、上のブログ記事の題名にもあるように日本語音声の日本公開版も特典版として収録されていることです。どうもこれ、かなり日本の消費者を意識したものではないかなと思います。わかりませんが。

拙宅には、PALを観られるDVD再生機がないので(前はあったのですが、使いすぎて壊れました)まだ観ていないのですが、ご紹介した記事ほかのサイトでも指摘されていますように、画質はよくないようですね。それは、今後きれいな画質(ニュープリント、リマスタリングされているなら言うことなし)で観ることができればそれに越したことはありません。が、やはり東宝はこの映画についても相当公開を嫌がっているので、ウルトラセブンの12話ほどではないにしても、日本での正規ソフトの販売はちょっと難しいかなと思います。

観てみて面白かったらまた記事にしますので乞うご期待。また「ウルトラセブン」のソフトの関係でも耳寄りな情報をお伝えしたいと思います。

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やはり映画館も、あまり人出が多いとは言えない(TOHOシネマズデーのTOHOシネマズ上野の正午過ぎの人出)

2020-06-18 00:00:00 | 映画

先日こんな記事を書きました。

いよいよ金曜日の夕刊に新作映画の広告が出るようになった(よかった!)

で、私も、やや遅くなったのですが、14日(日)ついにシネコンに行きました。毎月14日は、TOHOシネマズのサービスデーなので、それではシネコン復活記念として、私の大好きなシアーシャ・ローナンちゃんの主演映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』を観ようと考えたわけです。この日は予定が立て込んでいたので、時間の都合ほかでTOHOシネマズ上野に行くことにしました。ここは、Wikipediaを引用すれば

>これまでの松坂屋上野店南館を建て替える形で建設される23階建の複合ビル上野フロンティアタワーの7 - 10階に入居する

シネコンです。初めて行きました。なお松坂屋上野店というのでお分かりのように、上野とはいえ最寄り駅は御徒町です。

映画自体は面白かったのですが、正午過ぎの映画館の様子です。

あまり人が多いとは言えないですね。ここは人がそもそも多くないのかもですが、本来なら日曜日でしかもTOHOシネマズは映画が安い日なのに、やはりまだまだといったところかもしれません。といっても、現在映画館もシートを封鎖したりして間隔を確保している現状ですから、客が少ないのは仕方ない部分もあります。

映画館から撮影した道路です。いくら日曜とはいえ、やはり交通量は多くありません。

こちらはついで。都内にいくつか店舗のある焼きスパゲティ専門店『ロメスパバルボアの、「ぼっかけ(牛スジとコンニャク煮込み)」特盛700gです。メガ盛1000gもあります。メガは、私でも食べるのが大変です。TOHOシネマズ日本橋の帰りに、日本橋室町店にちょいちょい通ったのですが、私がこの日寄ったのは、TOHOシネマズ上野の近くの、御徒町アメ横店です。ほかの店舗は土日祝日休業ですが、ここは休みなしです。アルデンテでないどちらかというと日本的(?)な麺です。

ところで昨今私は、俳優・女優で映画を観るのは、ほぼシアーシャちゃんかカトリーヌ・ドヌーヴくらいです。やはりこの2人は大好きです。

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三波伸介も、やはりシリアスな方向へもシフトしようという意思があったのだと思う(ご存命なら今月90歳)

2020-06-11 00:00:00 | 映画

bogus-simotuakreさんの記事を読んでいてちょっと気になるところがありました。まずは下の動画を。

『ダメおやじ』 あの頃映画松竹DVDコレクション

1973年に公開された野村芳太郎監督、三波伸介主演の実写映画『ダメおやじ』の予告編です。野村監督は、翌年かの『砂の器』を発表しています。その後はサスペンス系の映画が主になりますが、本来彼は職人肌の監督で、『砂の器』の発表前数年間は、喜劇映画の監督が多い時代でした。

このスチール写真のシーンが、上の予告編の動画にもありますね。

で、内容は、私は未鑑賞ですのでその良し悪しを論じられませんが、予告編をご覧になればわかるように、初期の原作のえげつなさと比較すればだいぶマイルドなようです。それは当然で、あんなのそのまま映画化できるわけがない(笑)。だいたい主人公の奥さんが倍賞美津子なんだから、そんなにひどい奥さんにはなりません。またこれも当然ながらマンガの主人公と三波伸介ではだいぶ印象も異なります。

それで三波伸介は、この映画に出演した時期は、たとえば東宝の『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』で1972年に主演をしたり、73年~74年にかけて連続26回のテレビドラマ『てんつくてん』で主演を務めています。が、75年に映画『吾輩は猫である』(市川崑監督)に出演した後、いったん映画とテレビで役者をすることと一線を引きます。三波はもっぱら司会業で大成功をおさめます。この時点でどうして彼が、映画とテレビでの役者稼業を1時中断したのかは当方知識がありません。彼の伝記を読めば書いてあるのかもですが、結果論としてはやはりもったいなかったと思います。

そして彼が52歳となった1982年、彼は本格的に映画とテレビの役者に復活します。テレビでは彼は、TBSの2時間ドラマで、『刑事ガモさんシリーズ』を始めました。2本製作され、1本目は7月に放送、2本目は、83年の元旦に放送される予定でしたが(つまりそれだけTBSも期待したドラマだったわけです)、82年の12月8日に三波が急逝したので11日に緊急放送となりました。

さらに映画でも、この82年に彼の遺作となる作品が公開されています。このブログでも数回記事にした『誘拐報道』で、彼は読売新聞の新聞記者役でした。映画では神戸支局長を演じており、映画のWikipediaにも

>神戸支局長を演じる三波伸介は映画出演は7年ぶりで最後の映画出演

とあります。前回出演したのが、上の『吾輩は猫である』のわけです。

この映画は、Wikipediaによると2月クランクインだそうですから、82年の段階で、三波はシリアスな役も演じる俳優に活動をシフトしようと考えていたのだろうなと思います。この年人気があったNHKのバラエティ番組『お笑いオンステージ』が4月4日の放送をもって終了しています。どういう事情で終了になったのかはともかく、三波自身は、Wikipediaによれば50歳ころからテレビでの活動を減らし舞台での活動に力を注ぐようになっていたということで、たぶん彼としては、テレビもMCよりも役者としての活動に力を入れていきたいという考えではなかったのではないですかね。7年ぶりに映画に出て、しかもドラマも本格的なものはほぼ8~9年ぶりくらいで、ほかにもテレビドラマ版の『幸福の黄色いハンカチ』で、映画では渥美清が演じた警官役も引き受けています。なお三波は、渥美には相当なライバル意識があったのとのこと。

となると、1982年というのは、三波にとってやはり芸能活動をチェンジするための重要な年であったということですね。そうすると彼の急逝が非常に残念です。正直『誘拐報道』での三波の演技は、彼の演技が悪いというよりシナリオと演出がいかにも昔ながらの「鬼記者」(?)というイメージのものであって、今一つ感心しなかったのですが、彼ならいろいろな映画やドラマにチャレンジしていろいろな役柄をやってくれたでしょう。彼は、1930年6月28日生まれとのことなので、タイトルにもしたようにご存命なら今月90歳になります。さすがに主演他は難しいでしょうが、しかし「三波さんさすがだな」といわれるようなすごい演技を見せてくれただろうなと思うと、あらためてその死を悼みたいと思います。

さてそう考えると、前に私が書いた記事

志村けんが亡くなった

で書いた

>どうしてもコメディアン、漫才、その他もそうでしょうが、大成功して大御所になると、バラエティ番組やトーク番組など、司会業にシフトします。ビートたけししかりタモリしかり明石家さんましかり。ここで名前を出したのは、世にいう「お笑いBIG3」ですが、現在引退していますが、島田紳助などもそうでしょう。そちらのほうがテレビ局なども使いやすいし、また本人の負担も軽い。

というタイプの1人であったということでしょう。しかし三波は、あえて映画やテレビの俳優業に再チャレンジし、また舞台での活動にもさらに力を入れようとしていた。上のお笑いBIG3 や島田紳助らよりも、三波のほうがやはりコメディアンとしてのアイデンティティが強かったのかもしれません。志村けんほど徹底はしていなかったとしても、彼には司会業だけでは満足できない何かがあったのでしょう。

この記事のヒントをくださったbogus-simotukareさんに感謝して記事を終えます。また『ダメおやじ』のDVD購入希望の方はこちらをクリックしてください。

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いよいよ金曜日の夕刊に新作映画の広告が出るようになった(よかった!)

2020-06-08 00:00:00 | 映画

6月5日の某新聞夕刊の最終面です。

原則新作封切りの映画の新聞広告は、金曜日の夕刊に出ます。昨今は金曜初日という体制になっていますが、広告の枠の問題などがあるのでしょう、金曜日の夕刊が、映画の広告が出るタイミングです。

それでコロナウイルスの関係で映画館がほぼ日本中で閉鎖になったため、映画の広告を出すのが不可能になりました。新作映画の封切がストップしたわけですから、これはもうどうしようもありません。各新聞社も、他の広告、自社の記事(新聞小説などを掲載したりもしていました)などで対応していましたが、ようやく首都圏のシネマコンプレックスも6月5日までに営業再開しましたので、新聞にも映画の広告が掲載されるようになったのです。よかったと思います。上は、5月29日の某全国紙夕刊最終面です。

ただもちろん通常営業というわけには行きません。TOHOシネマズのHPより。一部省略の上ご紹介。

新型コロナウイルス感染予防の対応について

>■お客様へのお願い
より安全な環境を維持するため、一層のご協力を賜りたく、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
万が一、ご来場の際に、体調が悪くなられた場合は、お近くの従業員までお声がけください。

・ご来館前に、検温など体調管理のご協力をお願いいたします
・発熱、咳などの症状がある場合は、体調を最優先いただき、ご来場を控えていただきますようお願いいたします
・ご来場の際は、マスクの着用をお願いいたします
・手洗いや備え付けの消毒液のご使用、咳エチケットのご協力をお願いいたします
・整列時や入退館時のソーシャルディスタンスの確保など、感染予防および拡散防止に可能な限りご配慮ください
・過去2週間以内に感染が引き続き拡大している国・地域に訪問歴がある場合は、ご来場を控えていただきますようお願いいたします

■感染予防措置について
TOHOシネマズでは、出勤時の体温検査等、従業員への健康管理の実施、館内衛生の維持に努めております。

・全従業員のマスク着用
・一部従業員のゴム手袋の着用
・従業員の手洗い・手指消毒・うがいの徹底
・飛沫感染防止用ビニールシート、もしくは衝立の設置
・劇場入口・ロビー等に消毒液を設置
・スクリーン内ご入場時のペーパータオル、消毒液の設置(お座席のひじ掛けなどの消毒にご使用ください)
・自動券売機、vit、扉、手すり、トイレ等、お客様の手が触れる箇所の消毒・清掃の強化
・混雑緩和のため、会計のスムーズなキャッシュレス決済を推奨いたします
・劇場内の空気が外気と入れ替わる空調システムを使用し、法律に基づいた定期的な換気を行っております
・トイレのハンドドライヤー使用中止
・釣銭は手渡しを行わず、キャッシュトレーに置かせていただきます
・ご入場時のチケットは、お受け取りせず、目視のみで確認させていただきます
 
■劇場運用について
TOHOシネマズでは、新型コロナウイルス感染拡大防止に伴い、一部運用を変更しております。

①ソーシャルディスタンス(社会的距離)の確保について
お客様同士の空間をできる限り広くとっていただけるよう、販売方法や設備環境を変更しております。
・飛沫感染防止のため、原則、前後左右に1席ずつ間隔を空けて座席指定券を販売させていただきます。スクリーン内でのお客様同士の会話は、最小限にとどめていただきますようお願いいたします
・ロビーソファー・ハイテーブルは、撤去させていただきます
・自動券売機、売店等にお並びの際の間隔を保つため、足元に目印をつけております
・間隔をあけた入退場を行わせていただく場合がございます

②座席指定券の事前販売の一時休止について
上映開始2日前より実施している座席指定券の事前販売は当面の間、ご鑑賞日当日からの販売とさせていただきます。
※劇場窓口     :当日劇場オープン時より
※インターネット販売:当日0時より(シネマイレージ会員含む)

③レイトショー上映の休止
20時以降開始の上映を休止させていただきます。

個人的には、ほかはともかく20時以降の映画上映の休止というのはうれしくないのですが、まあしょうがないというところですかね。

6日、7日はまだシネコンに繰り出すにいたりませんでしたが、14日日曜日はTOHOシネマズデーですので、安く映画が観られます。そういうわけでこの日はシネコンで最低2作品、可能ならもっと観られればです。ほかにも興味のある映画もありますから、今から楽しみです。

というわけで読者の皆さまも、可能な範囲で映画を観にいきましょう。特にミニシアターへはぜひぜひ。よろしければ下の記事もお読みください。

映画の興行の世界も、ポストコロナウイルスまででどうなるかというレベルでダメージが大きい(特にミニシアターに関しては、読者の皆さまも乞うご支援)

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情報(ひし美ゆり子(菱見百合子)主演の成人映画が有料チャンネルで放送される

2020-06-05 00:00:00 | 映画

今日は情報です。『ウルトラセブン』で友里アンヌを演じたことにより伝説的な女優となったひし美ゆり子(菱見百合子)が1972年に主演した松竹配給の成人映画『鏡の中の野心』が有料チャンネルではありますが、放送されます。

鏡の中の野心衛星劇

>監督:小林悟
原作:戸川昌子
脚本:松浦健郎
出演:荒木一郎 堤杏子 白石奈緒美 野村明治 今泉洋 葵三津子

「ウルトラセブン」のアンヌ隊員役で知られるひし美ゆり子が、大胆なラブ・シーンなど、体を張った演技で挑んだ初主演映画。ヘアスタイリストとプレイボーイの天才詐欺師をめぐり、セックスと謀略が華麗に交錯するサスペンス。

美容界の最大勢力である谷本学園を乗っ取ろうと、一人の男が業界の勢力争いに乗じて画策する。すべては男の計画どおりに進み、彼は莫大な財産と権力を手に入れたかに見えたが…。

11日(木) 深 1:30 、 29日(月) 深 1:30

成人映画なので、放送は深夜です。

この映画は1972年の7月1日に公開されました。彼女はその年の3月31日で所属していた東宝との契約が終わっていたので(東宝が経営が悪くなっていたので、契約が更新されなかったのです。映画会社が役者をかこうのが難しくなってきた時代だったわけです)、形式的にはフリーでした。芸能人やめようかとも思っていたのことですが、脚本家の松浦健郎に請われての出演でした。松浦は、彼女が出演していた『37階の男』の原作者・メインの脚本家でした。東宝との契約に問題はなかったはずですが、成人映画のせいもあり、彼女は登場人物の名前である「筒見杏子」という変名での出演となりましたが(「早乙女愛」と同じパターンですかね)、ポスターでは「堤杏子」、映画のクレジットでは「ひし美ゆり子」、予告編では「ひし見ゆり子」となっているというわけで、どんだけ粗雑なのよ(あるいはデタラメなのよ)と思いますが、ともかくそのような映画なわけです。

わかりにくいですが、「堤杏子」になっています。

この後彼女は、以前に私的に撮影したヌード写真が雑誌に掲載されるなどして、けっきょくヌードをやたら披露する女優になりました。かの大島渚監督の『愛のコリーダ』にも、主演役で大島監督から直々にオファーがあったくらいです。彼女はけっきょくこれを断りますが、以前に『メス』で世話になっていた貞永方久監督(彼は、大島監督の松竹での後輩です。大島監督は大船撮影所、貞永監督は京都撮影所所属)に相談、そのアドバイスに従ったとのこと。

うーん、どうだったんでしょうね。あれはあまりに強烈すぎましたが、たぶん彼女が出演したら、かなり毛色の違った映画になったでしょうね。現行の映画よりも明るいからっとしたものになったのではないか。それがよかったかどうかは神のみぞ知るです。ちなみに彼女は、『不良番長 骨までしゃぶれ 』で藤竜也 と共演しています。

それで思うに、これはすでに有名な話ですが、アンヌ役も、もともと映画出演決定を理由に降板した豊浦美子の代役として急遽決まったのものでした。豊浦は、映画『クレージーの怪盗ジバコ』のヒロインとして、同作品監督の坪島孝の指名によって出演することとなって降板したわけです。現在の感覚からすれば「うわ、もったいない」ということになりますが、1967年の感覚では、いくら高視聴率が予想されるドラマではあっても、映画の出演で監督から直々にご指名があってそれを拒否するなんてことはあり得ませんでした。豊浦は映画出演は1969年まで、ドラマも70年放送のドラマで芸能活動をやめているようですし、現在語られるのも「アンヌ役に最初決まっていた人」というのがほとんどでしょう。彼女は1943年生まれですので、47年生まれのひし美よりだいぶアダルトなアンヌになったのではないかと思います。その後彼女は、仮に同じように芸能活動からフェイドアウトしたとしても、やはり「アンヌを演じた女優さん」として、いつまでも語り継がれたでしょうし、ひし美がこのドラマに出演しなければ、たぶん現在の豊浦のように、「その他大勢の女優さん」としての地位しかなかったかもしれない。ほんとこういうのを見ていると運命ですね。それが彼女らにとって幸せかどうかはわかりませんが、ともかくそんな偶然によって「その他大勢」「永遠に語り継がれる」という差が出てくるわけです。この話は、前にも記事にしました。

人生というのは、ほんのちょっとしたことで大きく変わっちゃうんだなと思った話

ところで上の映画はDVD化もされていますが、現在プレミア価格がついていますので、どうしても観たい、しかしなるべく安くとお考えでしたら、この映画を観るためだけでも衛星劇場に加入することをおすすめします。加入方法は、こちら。興味があれば加入し続ければいいし、なければすぐ退会すればいいわけです。

最後に映画のじゃないじゃんでが、アンヌ隊員の写真集と、今年の1月に発売となった彼女の本をご紹介します。

万華鏡の女 女優ひし美ゆり子 (ちくま文庫)

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倍賞千恵子が主演した松本清張原作のテレビドラマ『顔』は、だいぶ原作とテイストが違った(追記あり)

2020-05-26 00:00:00 | 映画

コロナウイルスの関係で外に遊びに行くとかができないので、もっぱら家にいます。それで、CSで録画した昔の映画やドラマを観たりしています。するといろいろ気づくこともあります。今回は、1978年に放送されたドラマ『松本清張原作)についてちょっと記事を書いてみたいと思います。なお同じ年に大空真弓主演で同じ原作のドラマが放送されていますが、私が観たのは、倍賞千恵子主演で11月18日にテレビ朝日系列の「土曜ワイド劇場」枠(21:00-22:24)にて放送されています。まだこの時期は枠が90分でして、CMをのぞくと正味73分の作品となります。

それではストーリーを。私が観たのは5月7日のホームドラマチャンネルでの放送です。この記事では、いちおうラストの落ちまで書いちゃいます。今回は1回こっきりの放送のようなので。また放送されるとは思います。上の写真も、同じHPより。

静岡県に在住する女性(倍賞千恵子)が、暴力団系の悪質な金貸しから金を借りて、ひどい目に遭っています。山奥で返済の交渉をしようとしますが、はずみでその金貸しをがけから突き落としてしまいます(どちらかというと、殺したというより過失で金貸しががけから落ちたという感じです)。怖くなった女性は、静岡を離れて横浜に行きます。そこで彼女は、料亭か何かの調理場で働きます。ところで事件の直前に、その暴力団金貸しと女性の姿を、これも金貸し(兼不動産業)をしている男(財津一郎)が目撃します。彼は、あの女が怪しいとにらみ、付き合いのある静岡県警の刑事(柳生博)にその話をし、モンタージュ写真作成などにも協力します。

さてさて、料亭ではたらく女性は、人目につかないようにしていますが(同僚に泉ピン子がいます。出世する直前の時期ですかね)、ひょんなことから見知らぬ子ども(男児)の事故に遭遇し、子どもを病院に送り届けます。するとその子どもは、最近離婚した俳優(山口崇)の息子で、駆け付けた俳優と一緒にいるところを新聞のカメラマンに撮られてそれが新聞に載ってしまいます。

このあたり、昔は肖像権とか個人情報が適当だったんだなあとか(昔のドラマを観ているとよく思います)、いくら1978年でも、いきなり無名の一般市民をそういうふうに写真を新聞に載せるかなあとか(載せたんですかね?)、この時代は写真週刊誌はまだなかったからなあ(雑誌『FOCUS』を、新潮社が創刊したのは1981年)とかいろいろ考えますが、それはさておき。

その新聞を観た不動産屋兼金貸しは、あの女だと考えて、これは使えそうなネタになると直感します。一方、女性を気に入った俳優は、ちょうど奥さんと離婚したこともあり、ぜひ同居してほしいと頼みます。子どもも彼女に懐き、では結婚してくれということになります。女性は、それはまずいといろいろ固辞しますが、こういうドラマの都合上、やっぱり結婚することになります。そしてめでたく結婚式をあげますが、彼女の動向を追っていた不動産屋兼金貸しは、彼女と連絡を取り(彼女がまとまった額の金を用意できるのを待っていたのです)、金をゆすります。彼女も断ったりしますが、所詮向こうは彼女のかなう相手ではありません。追いつめられた彼女は、自殺しようかともいいますが、それを隣の部屋で俳優が聞いています。

事情を知った俳優は、静岡の不動産屋兼金貸しの事務所に談判に行き、静岡の山奥で再度会うことになります。不動産屋兼金貸しは、どうも怪しいと考えて、刑事に一緒に行ってくれと頼みます。まったく抜け目のない野郎です。

それで女性ら3人家族は山に行きます。俳優はあえて1人で不動産屋兼金貸しに会い、向こうを殺そうとします。が、不動産屋兼金貸しもさるもの、すぐ反撃して、俳優をがけに落とします。途中でかろうじて踏みとどまる俳優の手を踏んだりしていると、女性が駆けつけます。お前も殺してやるといって殺そうとすると、刑事が走ってきて拳銃を威嚇射撃をしたら、あせった不動産屋兼金貸しはがけから落ちてしまいます(このシーンは、かなり拙劣でした。もうすこしうまく落ちないと)。何とか助かった女性と俳優は、あらためて愛を確かめ合い女性は「自首します」といって、ドラマは終わります。

それで原作を読んでいる人は、たぶんこう思うんじゃないんですかね。

「原作と全然違うな」

原作の主人公は男だし、また同情するには値しない設定です。それに対してやはり倍賞千恵子に、そんな血も涙もない人間は演じさせるわけはないよね(苦笑)。ましてやこのドラマは、彼女が所属する松竹の制作です。

また原作は、詳細には書きませんが、助かったと思った主人公がひょんなところから犯罪がばれるという落ちです。前にこんな記事を書いたことがあります。

1965年の加賀まりこ

その記事で取り上げた山田風太郎の小説「棺の中の悦楽」も同じようなものでしょう。助かったと思ったらやっぱりだめだったという落ちです。もっとも「棺の中の悦楽」の落ちはあんまりうまいとは思いませんでした。主人公を裏切るのが、彼が関係した女だったら、映画では加賀まりこが演じた人物以外にありえないし、そしてやっぱりそうだったわけで、これはネタがすぐばれちゃいます。

しかしこのドラマの方は、ラストでやっぱり自首しようということになり、俳優の夫の方も「待っているよ」と言ってくれるわけです。これは上のあらすじ紹介のところではあえて書きませんでしたが、俳優が離婚した元奥さんが、息子を無理やり車で引き取ろうとしたり(子どもも実の母親と一緒に行動するのを嫌がっているくらいだから、相当ひどい母親の設定です)するというシーンが2回もあります。いくら原作が長くないとはいえ、73分のドラマでこのエピソードは不要だなと思いますが、これも倍賞千恵子を引き立たせるためのものなのでしょうね。

というわけで、このドラマは、松本清張の小説を原作にしているというよりは、ほとんど「悪いことをした人間が、たまたま犯人であることを知っている人物に顔を見られたので困る」というようなコンセプトをいただいただけで、ほぼオリジナルといっていいものだと思います。原作とは、ほとんど関係ないドラマです。むしろ原作の名をいただいただけかも。

さっそく他の映像化を見てみますと、Wikipediaによれば、映画化が1回、ドラマ化は、最初が1958年(原作発表の2年後)、以後1959年版、1960年版、1962年版。1963年版、1966年版、1978年版(TBS)、1978年版(倍賞版)、1982年版、1999年版、2009年版、2013年版と実に12回もテレビドラマになっています。

それで、映画、78年の2作品、1982年版、1999年版、2013年版が女性が主人公です。映画で女性が主人公なのは、岡田茉莉子を売り出すためでした。78年から女性が主人公になっているのは、たぶん時代の変化なのでしょうね。他の作品を観ていないのでめったなことは言えませんが、たぶんこの倍賞千恵子バージョンが、いちばん原作から自由な内容なのではないかという気がします。ほかの作品は、主人公はなんらかの世俗的な成功を勝ち取ろうとしている過程でのつまづき、とでもいうべき立場でしょうが、この作品は、もちろん裕福な人間との結婚というのは、主人公にとっても良いことですが、むしろ主人公が自分の秘密を隠し切れない苦悩とかを前面に出してきています。そういうのも、松本清張の基本コンセプトとはずいぶん違います。だいたい清張の作品は、『ゼロの焦点』とか『砂の器』などのように、自分の地位、立場を守るために犯罪をする、というのが1つのパターンですが、このドラマでは、主人公はこのままでは夫らに迷惑がかかるということに苦しむわけです。

そういうのも時代背景の違いとかいろいろ興味深いですね。ここはやはり、山田洋次監督で倍賞千恵子主演の1965年版『霧の旗』と西河克己監督で山口百恵主演の1977年版『霧の旗』を見比べてみようかなと思います。こういうのも面白そうです。山口百恵の映画は原作ものが多いので、他の女優が演じてるものを見比べたりするのも面白いものがあります。『伊豆の踊子』なんていう古典的なものでなくても、『泥だらけの純情』での吉永小百合との比較もしてみようかなと思います。なお『泥だらけの純情』には、渡辺満里奈のバージョン(テレビドラマ)もあります。1991年放送とのこと。

記事発表日の追記:bogus-simotukareさんが、この記事についての補足となる詳細な記事を発表してくださいました。ありがとうございます。

倍賞千恵子が主演した松本清張原作のテレビドラマ『顔』は、だいぶ原作とテイストが違った(ボーガス注:松本清張『顔』のネタばらしがあります)

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