ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

三波伸介も、やはりシリアスな方向へもシフトしようという意思があったのだと思う(ご存命なら今月90歳)

2020-06-11 00:00:00 | 映画

bogus-simotuakreさんの記事を読んでいてちょっと気になるところがありました。まずは下の動画を。

『ダメおやじ』 あの頃映画松竹DVDコレクション

1973年に公開された野村芳太郎監督、三波伸介主演の実写映画『ダメおやじ』の予告編です。野村監督は、翌年かの『砂の器』を発表しています。その後はサスペンス系の映画が主になりますが、本来彼は職人肌の監督で、『砂の器』の発表前数年間は、喜劇映画の監督が多い時代でした。

このスチール写真のシーンが、上の予告編の動画にもありますね。

で、内容は、私は未鑑賞ですのでその良し悪しを論じられませんが、予告編をご覧になればわかるように、初期の原作のえげつなさと比較すればだいぶマイルドなようです。それは当然で、あんなのそのまま映画化できるわけがない(笑)。だいたい主人公の奥さんが倍賞美津子なんだから、そんなにひどい奥さんにはなりません。またこれも当然ながらマンガの主人公と三波伸介ではだいぶ印象も異なります。

それで三波伸介は、この映画に出演した時期は、たとえば東宝の『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』で1972年に主演をしたり、73年~74年にかけて連続26回のテレビドラマ『てんつくてん』で主演を務めています。が、75年に映画『吾輩は猫である』(市川崑監督)に出演した後、いったん映画とテレビで役者をすることと一線を引きます。三波はもっぱら司会業で大成功をおさめます。この時点でどうして彼が、映画とテレビでの役者稼業を1時中断したのかは当方知識がありません。彼の伝記を読めば書いてあるのかもですが、結果論としてはやはりもったいなかったと思います。

そして彼が52歳となった1982年、彼は本格的に映画とテレビの役者に復活します。テレビでは彼は、TBSの2時間ドラマで、『刑事ガモさんシリーズ』を始めました。2本製作され、1本目は7月に放送、2本目は、83年の元旦に放送される予定でしたが(つまりそれだけTBSも期待したドラマだったわけです)、82年の12月8日に三波が急逝したので11日に緊急放送となりました。

さらに映画でも、この82年に彼の遺作となる作品が公開されています。このブログでも数回記事にした『誘拐報道』で、彼は読売新聞の新聞記者役でした。映画では神戸支局長を演じており、映画のWikipediaにも

>神戸支局長を演じる三波伸介は映画出演は7年ぶりで最後の映画出演

とあります。前回出演したのが、上の『吾輩は猫である』のわけです。

この映画は、Wikipediaによると2月クランクインだそうですから、82年の段階で、三波はシリアスな役も演じる俳優に活動をシフトしようと考えていたのだろうなと思います。この年人気があったNHKのバラエティ番組『お笑いオンステージ』が4月4日の放送をもって終了しています。どういう事情で終了になったのかはともかく、三波自身は、Wikipediaによれば50歳ころからテレビでの活動を減らし舞台での活動に力を注ぐようになっていたということで、たぶん彼としては、テレビもMCよりも役者としての活動に力を入れていきたいという考えではなかったのではないですかね。7年ぶりに映画に出て、しかもドラマも本格的なものはほぼ8~9年ぶりくらいで、ほかにもテレビドラマ版の『幸福の黄色いハンカチ』で、映画では渥美清が演じた警官役も引き受けています。なお三波は、渥美には相当なライバル意識があったのとのこと。

となると、1982年というのは、三波にとってやはり芸能活動をチェンジするための重要な年であったということですね。そうすると彼の急逝が非常に残念です。正直『誘拐報道』での三波の演技は、彼の演技が悪いというよりシナリオと演出がいかにも昔ながらの「鬼記者」(?)というイメージのものであって、今一つ感心しなかったのですが、彼ならいろいろな映画やドラマにチャレンジしていろいろな役柄をやってくれたでしょう。彼は、1930年6月28日生まれとのことなので、タイトルにもしたようにご存命なら今月90歳になります。さすがに主演他は難しいでしょうが、しかし「三波さんさすがだな」といわれるようなすごい演技を見せてくれただろうなと思うと、あらためてその死を悼みたいと思います。

さてそう考えると、前に私が書いた記事

志村けんが亡くなった

で書いた

>どうしてもコメディアン、漫才、その他もそうでしょうが、大成功して大御所になると、バラエティ番組やトーク番組など、司会業にシフトします。ビートたけししかりタモリしかり明石家さんましかり。ここで名前を出したのは、世にいう「お笑いBIG3」ですが、現在引退していますが、島田紳助などもそうでしょう。そちらのほうがテレビ局なども使いやすいし、また本人の負担も軽い。

というタイプの1人であったということでしょう。しかし三波は、あえて映画やテレビの俳優業に再チャレンジし、また舞台での活動にもさらに力を入れようとしていた。上のお笑いBIG3 や島田紳助らよりも、三波のほうがやはりコメディアンとしてのアイデンティティが強かったのかもしれません。志村けんほど徹底はしていなかったとしても、彼には司会業だけでは満足できない何かがあったのでしょう。

この記事のヒントをくださったbogus-simotukareさんに感謝して記事を終えます。また『ダメおやじ』のDVD購入希望の方はこちらをクリックしてください。


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4 コメント

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Unknown (フルフル)
2020-06-14 06:17:45
三波伸介さんというと
NHK番組の番組を想いだします。

始めにお子さん達だけが出て
親ごさんの口、鼻、目などの特徴を聞きながら
似顔絵を書き、出来上がってから

お子さん達が親ごさんを呼び
そこで親ごさんが登場する内容でしたが 
ほのぼのとしていて好きな番組でした。
Unknown (通行人A)
2020-06-15 09:07:15
「てんぷくトリオ」メンバーだった伊藤さんに影響を受けたのですかね。伊藤さんもお笑い番組からバラエティー番組、その後はドラマ番組に軸足を移したように。三波さんも役者に比重を置こうした最中に亡くなったのは残念です。その後も元気であれば伊藤さんとのドラマでの共演があったかもしれません。
>フルフルさん (Bill McCreary)
2020-06-17 23:48:15
仰せの番組が

>『お笑いオンステージ』

ですかね。MCとしてもすぐれた能力のあることを証明した番組ですかね。今と違って芸能人もわりと気楽に自分の子どもをテレビに出した時代です。
>通行人Aさん (Bill McCreary)
2020-06-17 23:50:55
伊東四朗も考えてみれば、そっちに比重を移したいとでしたね。彼などまさに国民的スターになりましたからね。三波も、彼以上の存在になりえる能力があったかと思います。

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