拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

暗譜は間に合いそう?

2024-08-27 09:27:09 | 音楽

イスカンダル星から地球に帰還する宇宙戦艦ヤマトとの通信が復活した地球側は「間に合った!」と言って喜んだ。私(横野好夫)の場合は、リート会までもうじき2か月となるこの時期に暗譜ができれば「間に合った」と言えるのだが。よし、カーサ某のセッションを最終試験場としよう。ここでダメだったら暗譜は諦めよう、と思って、前回、歌詞カードをお守りのように置いておきながらメロメロになった「美しい水車屋の娘」の第1曲に挑戦。二箇所で歌詞がとんだ。もにょもにょになった。が、特筆すべきことに、すぐに元に戻った。これは大成功である。今回完全に暗譜で歌えても本番でとんで止まってしまってはダメである。が、とんで戻ったということは本番でも止まらずに歌いおおせる道筋が見えたということである。

それにしても、なぜこんなに暗譜で苦労するのか。大半の理由は脳の劣化であるが、他にも理由があると思ってる。それは、ドイツ語の詩特有の言い回しである。例えば、「Das hat nicht Rast」(川の水は休み(Rast)を持たない=川は休みなく流れる)の箇所。どうしても「Das hat keine Rast」と言いたくなる。私がおかしいのか?そこで、古い文法書を引っ張り出す(古くて大丈夫かって?あのね、「水車屋」の詩はもーっと古いですのよ)。「nichtかkeinか」と言うおあつらえ向きのコラムがある。ほらやっぱり。「kein」は肯定文なら「ein」(不定詞。英語の「a」)を使う文章を否定する場合のほか、名詞が無冠詞の場合(物質名詞、抽象名詞等)の否定にも使う、とあった。「Rast」は抽象名詞である。「kein(e)」と言いたくなるのが人情だと思う私は人が言うほどのバカではなかった。歌詞(ミュラー作の詩)が「nicht Rast」と言うのは詩特有の言い回しなのだろう、だいたい、歌詞(詩)ってやつは、ドイツ語の文法の時間だったら先生に怒られるような用法が目白押しである。

と思っていたら、興味ある事実を発見した。ディズニー+で「猿の惑星」の平成に入ってからのリブート作品を視聴していたときのこと。私は、ディズニー+の音声はドイツ語にしてあるのだが、猿のリーダーのシーザーが、謀反を起こしたコバという猿に対して「お前は猿ではない」と言ったときのドイツ語が「Du……bist……nicht……Affe」であったのだ。普通なら「Du bist keine Affe」というべきところである。思うに、否定のときになんでもかんでも「nicht」を使うのは、ドイツ語を勉強したての外国人などにはありそうである。「猿の惑星」の猿も言葉を覚えたてだからそういう台詞にしたのかもしれない。そのことが「水車屋」の第1曲にどう関係するかは分からないが、少なくとも、そういう言い回しが別にも存在した事実は事実である。件の「nicht Rast」も観念してひたすら覚える所存である。

昨夜のセッションではほかにも何曲か歌ったのだが、その中に「水車屋」の第10曲があった。粉屋見習いが水車屋の娘との初デートにこぎつけて、二人並んで川面を覗いていると(二人がいる場所がサイゼリヤでないことは、国と時代の違いによる)、粉屋見習いの目に涙があふれた。すると、娘が「あっ、雨だ、帰ろう!」と言って帰ってしまう。涙が川面に落ちて生じた波紋を見て娘が雨だと勘違いしたのである。なんと鈍感な娘だろう。だが、ここで、私は告白しなければならない。かく言う私も、この詩を読んで、本当に雨が降ってきたと思ったクチである。きっと、娘と気が合うのは粉屋見習いではなく、私なのだろう(国も時代も違うが)。