拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

Achtung,bitte!

2012-04-24 21:51:38 | インポート
突然ですが問題。「アテンション・プリーズ」の主人公がCA(シーエーって最初なんのことだか分からなかった。理科好きだったらカルシウムです。ドイツ語ではチルカ、「約」の意味)になった動機を述べよ!え?「スチュワーデス物語」ではないですから。そんな去年か一昨年(嘘)やってたようなドラマの話はしません。40年前ですよ、ふーっ。なんでそんなこと思いついたか。梅ちゃんは案の定試験に受かって、で、これから失敗をしながら立派なお医者さんになるというドラマの王道をいくんだなー、と思ったら、同じような王道をたどったこのドラマを思い出したわけ。このドラマで覚えてること。主人公(きのひろこさん)が初めて教室に入ったら、1年留年した先輩(はんぶんじゃくさん)が座ってたシーン。CAになれるかの試験で、主人公の英語について、ある教官が「(こうしたブロークンの方が)逆に分かりやすいじゃないだろーか」と言うと、他の教官が、「○○(忘れた)じゃないんだから」と言うシーン。はれてCAになって飛んでるさなか、客に眼下の山は何かと聞かれて○○山ですと答えると、その息子が「お父さんは○○山だって言った」と言って、直後に機長のアナウンスが入って、お父さんが正しかったことが判明するシーン等々。で、その主題歌ですが、どうしても、歌おうとすると、大田裕美さんの、こーいーびとーよー、になってしまう。一つ確かなのは、曲の後半で、4拍目(アウフタクト)に「でも」が入ること。この「でも」は、ドイツ語の「aber」ではなく「doch」です。否定的なことを言った後の「でも」ですから。因みに、オペラの歌詞には「doch」が多い(語呂もいいし。)。まっさきに浮かぶのは、フィデリオの最後のシーンで、大臣が、(無実の罪で牢につながれていた)フローレスタンの鎖をロッコに切ってやれ、と言ってすぐ「doch halt!」(ちょっと待て)と言って、「Euch・・」(フローレスタンの妻のレオノーレにそなたこそふさわしい(euchだからって君たちなんて言ったらだめです。)と歌うシーン。ドラマの話に戻って、はんぶんじゃくさんは、その前のドラマのサインはVにも出演されていて。当時、バレーボールを扱う番組としてもう一つ、アタックナンバーワンがあって(こっちは最近CMに使われた。)、で、うちの父親、サインはVは実写だから見ていいけど、アタックナンバーワンはマンガ(アニメ)だから見ちゃだめ!と。この理屈の通らなさ(今や、マンガやアニメは日本が外国に誇れる一大文化です。)。因みに、父親の兄弟(私から見て伯父さん)は、巨人の星が大好きな私に、あれはほんとの話じゃないんだよ、と。え?そんなのあったりまえじゃん。で、ノン・フィクションはよくてフィクションはだめってこと?これも理屈が通りません。いきなり梅ちゃん先生の話にとんで。同級生の中にどっかで見た顔だと思って、どこだったかなー、と。あ!わたおにに出てた「まひる」さんだ!

ジョンとヨーコのバラードとハリンリヒ・シュッツ(繰り返しの魔力)

2012-04-24 10:49:30 | インポート
トッカータとフーガニ短調(ラソラー。ソファミレ#ド、レー)は、就職して寮生活してるとき練習した思い出の曲。オルガニストのSさんが、カシオのポータ・サウンドで楽しそうに弾かれるのをみて、プロでも楽しそうなんだからいいんだろ、と思ってポータ・サウンドを買いました。その大きさは、3畳の寮の部屋でいじるのに丁度よかった。ビートルズの曲の話に戻って。ポール・マッカートニーの曲はメロディーがほんとにきれい。そこへいくと、ジョン・レノンのはするめというか、噛めば噛むほど(聴けば聴くほど)味のある曲で。「ジョンとヨーコのバラード」もよかった。一見(聴)単調なメロディー((階名で)ソソソソソファミソーソー×2。♭シシシシシラソシーシシシシラソシーシシシシラソシードーラドラ空(変換ミス)ーファー・・)。これを何度も何度も繰り返します。繰り返すごと、だんだんハーモニーがついてきて、最後は二重唱になります。繰り返しの魔力。クラシック(の中のほんとにクラシック)音楽には繰り返しが多い。演奏家も繰り返しに苦労されるそうで。カラヤンが日本でベートーヴェンのシンフォニーを振った時、スケルツォの繰り返しのたびにちょっとずつニュアンスを変えてた、と実況の解説の人が言ってた。ベートーヴェン自身も伝統に則って繰り返し記号を入れてたけど、とうとう第九の第1楽章、提示部の繰り返しを放棄。もともと長いから、これ繰り返してたら偉いこっただった。問題は、エロイカの第1楽章。長い上に伝統に則り繰り返し記号がついてます。カラヤン(その他多くの昔の指揮者)はこれを無視。最近は、原典主義がはやってるので、繰り返す演奏をよく聴くようになりました。カルロス・クライバーも繰り返しは嫌いだそうで、バラの騎士の第2幕(ベートーヴェン等の古典派と違って、まんまの繰り返しはないはずですが)、同じような部分はすっきりカットで他の指揮者より演奏時間が短いんだと(そうでなくともクライバーのテンポは速い。)。あー、あの部分ですよ。マーラーの巨人をぱくった部分(マーラーの奥さんのアルマが怒ったという部分)、2回出てくるはずが、クライバーのだと1回きりです。でも、繰り返しの魔力は存在する。ベートーヴェンより200年前の作曲家のハンンリヒ・シュッツの宗教的合唱曲集(Geistliche Chormusik)の中の「Herzlich lieb」(古いドイツ語は、必ずしも今の文法があてはまりません。)、おんなじメロディーをなんどもなんども繰り返す。あー、終わった、お疲れ様・・と思ったら、また「ドーシーラー」と始まる。でも、ずーっと聴いてるうち(oder歌ってるうち)、とてつもない気分になります。「ジョンとヨーコのバラード」と同じだ(とか言ったら、古楽ファンがぶーたら言いそう。)。