暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

令和5年の初釜・・・(4)終章

2023年02月04日 | 暁庵の裏千家茶道教室

       (厳冬の富士・・・孤高にして秀麗な!その姿   右側は大山です)

 

つづき)

濃茶同様に薄茶席も2席です。煙草盆と干菓子が運ばれ、台子の薄茶点前が始まりました。

1席目の点前はY氏です。

台子の稽古は他に習練する科目が多いためなかなか出来ず、いつも12月になってあわててお稽古するのですが、皆さま、自主稽古をされて初釜に臨んでくださるようで、とても嬉しいです。

台子の薄茶では必ず柄杓をかまえて釜の蓋を開けたり閉めたりしますが、台子の濃茶では「柄杓をかまえて蓋」はありません。

濃茶では蓋を開けてから柄杓を杓立から取る、または杓立に柄杓を入れてから釜の蓋を閉めます。

Y氏が基本をきちんと押さえた端正なお点前で薄茶を⒉服点ててくれました。

主茶碗は京焼の祥瑞、次茶碗は京焼の人形手で、三客様からは水屋からお持ち出しです。

薄茶は金輪(丸久小山園)、干菓子は初なすびと兎の和三盆でした。

正客から棗と茶杓の拝見が掛かりました。

棗はあけぼの棗、茶杓は大徳寺・藤井誠堂師の銘「丹頂」です。

 

   (台子薄茶点前・・・火箸を扱っています)

     (初なすびと兎の和三盆)

あけぼの棗のことを書いておきます。

あけぼの棗は裏千家11代玄々斎精中が長男の一如斎の点前始めの披露として好んだ棗です。

利休好みの香次棗の形をとり、華やかな洗朱塗の甲には黒漆で立鶴が一羽、胴には松と亀が描かれ、蓬莱文様を意匠とし、八代中村宗哲の作です。表面・盆付(ぼんつき:棗の底のこと)は朱塗、内側に黒塗りで、蓋裏に玄々斎の在判があります。

当初は二十八個好まれ、大変評判になったため、多くの写しを宗哲に作らせていますが、区別するためか、写しの盆付を黒塗りにしています。

玄々斎が後妻・照(認得斎の次女)との間に37才の時に初めて男子・千代松(一如斎)が生まれ、その喜びが伝わってくるような曙棗です。

将来を大いに期待され、その期待に応える多くの働きを今に伝える一如斎ですが、文久2年8月に17才で突然逝去してしまいます。

53才にして最愛の一人息子を失った玄々斎の悲しみは如何ばかりであったか・・・・想像するのも辛いことです。

玄々斎は悲しみは悲しみとして受け入れ、10代認得斎に託された裏千家茶道の道燈を守っていくのでした・・・。

   (あけぼの棗・・・玄々斎お好みです)

 

薄茶2席目の点前は若武者F氏の予定でしたが、前夜に体調不良の電話があり、急遽欠席となってF氏も私も残念無念!でした。

Sさんがピンチピッターを引き受けてくださって助かりましたし、頼もしいです。

主茶碗は白楽で銘「小鷺」、次茶碗は上野焼で銘「荒磯海(あらそみ)」でした。

     (白楽茶碗で薄茶を点てています)

 

これにて初釜は終了ですが、最後に初釜引き出物の扇子をお渡しし、くじ引きをしました。

外れくじはなし、鶴と亀のくじを引いた人のみ景品手渡しで茶杓と香合を用意しました。

その他のくじには景品(軸、茶碗、蓋置など)が書かれていて、後で差し上げることにしました。

当たった人を思い浮かべながらあれこれ考えるのがとても楽しかったです。新品でも高価なものでもありませんが気に入って使ってもらえると嬉しいですね・・・。

 

     (くじ引き・・・何が当たるかな??)

 

こうして令和5年の初釜が無事に楽しく終わりました・・・ 

どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

 

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