(「ふじのさと茶の都ミュージアム」からの遠望・・・手前が大井川です)
時々、旅へ出たくなります。
・・・でも、膝と腰痛のせいで電車や路線バスを乗り継いでの旅は今一つ自信がありません。
それで、ツレ運転の愛車の旅が専らの私の希望です。運転者付の旅行は本当に贅沢なことですが、茶友Yさんに「今のうちに二人の旅を楽しんでね!」とエー ルをもらっています。
今回は静岡や焼津方面への1泊旅行で、旅の目的は次のようなものです。
1.1年近く会っていない焼津在住の親友Mさんに会いたい! 一緒に旅を楽しめたら・・。
2.前から宿泊したかった焼津観光グランドホテルに泊まって温泉でゆっくりしたい
3.大河ドラマ「どうする家康」の舞台である静岡方面の城跡や博物館をまわってみたい
順不同ですが、思い出すままに書くことにしました。
2日目からです。ホテルからMさん宅へ寄って、Mさん丹精の野菜(大根、里芋、ブロッコリー、浅葱、つまみ菜など)のお土産を車に積み込んでから、小山城(吉田町)を経て「ふじのさと茶の都ミュージアム」(島田市金谷富士見町)へ向かいました。
途中、茶畑がどこまでも続く牧之原台地を通ります。広大な茶畑には先端に扇風機の付いた柱がたくさん立っていて、「牧ヶ原台地にやってきたなぁ~」と思う光景が広がっています。
「葉が焼けないように夏の暑さ対策かしら?」と言うと、その扇風機は「防霜(ぼうそう)ファン」だそうで、新芽の出る頃に遅霜が発生すると、お茶の葉が痛んでしまうので、扇風機を回して畑の空気をかき混ぜ、遅霜の発生を防ぎます。その時期になると、「防霜ファン」が明け方に一斉に回り始めるそうです。
「ふじのさと茶の都ミュージアム」は牧之原台地の一画、大井川を見下ろす高台にあり、雄大な眺めが楽しめます。
今回で4回目でしょうか・・・とてもお気に入りのミュージアムです。名前も経営者も変わり、今は静岡県が運営しています。(以前は「島田市お茶の郷博物館」)
日本のお茶の歴史や世界各国で日常的に行われている"喫茶"について分かり易く展示されています。以前には中国茶の実演などが楽しめたのですが、今はだいぶ内容が変わりました。
一番のお目当ては静岡県とゆかりの深い小堀遠州公を記念して造られた庭園と茶室です。
庭園は、徳川幕府が小堀遠州に作事を命じてつくらせたという仙洞御所の東庭を模してつくられた池泉回遊式庭園です。
(観月台)
茶室は鎖の間と小間ががあります。
鎖の間(広間)の縦目楼(しゅうもくろう)は、遠州が住んでいた伏見奉行屋敷と、松花堂昭乗が住んでいた石清水八幡宮滝本坊を合わせたもので、寛永時代の建築物を図面から起し、復元しています。茶室には書院もいくつかあり、遠州公のお好みを今に伝えています。
(鎖の間(広間)の縦目楼(しゅうもくろう))
鎖の間・縦目楼でお茶体験をしました。2つのコースがあって、一つはお点前指導をしてもらい自分で抹茶を点ててみる、もう一つはお点前を拝見しながら点ててくださった抹茶をいただくです。後者のコースをお願いし、3人で茶席へ入り、Mさんとツレに勧められて正客席へ座りました。
(三友棚にどっしりとした志戸呂焼の水指がステキでした)
一礼の後、お点前が始まり、お菓子が出されました。お菓子は練切の銘「初音」(だったと思う?)、薄茶銘は「新舟の風」(静岡県・岡部産)です。
帛紗が右着けでなく、すぐに裏千家流のお点前とわかり、期待していた遠州流ではなかったので少しがっかりですが、仕方がありませんね。でも、きれいなお点前で薄茶を点てていただき、幸せな時間でした。
お菓子も薄茶も美味しかった!です。
紅い釉薬の茶碗が珍しく手に取ってじっくり拝見していると、「こちらのお茶碗は森町に窯のある「森山焼」です。こちらの茶席では静岡県産のものを使うようにしておりまして、次客さま(ツレ)のは遠州七釜の一つ「志戸呂焼」、三客さま(Mさん)のは「賎機焼」(静岡市)でございます」・・・などと、窯の名前や場所、歴史などをお話してくれました。
(小間・友賢庵、長四畳台目席です)
その後に小間・友賢庵(ゆうけんあん)を拝見しました。長四畳台目の茶室で窓が11もあり、窓が多いのも遠州好みだそうです・・・こちらは「観月茶会」の時の本席だったところ、Mさんとその時のことを話しながらとても懐かしかったです。2011年10月1日ですからもう11年も経っているのですね・・・。
次は戦国時代に武田氏と徳川氏の城として攻防のあった「諏訪原城」へ向かいました。(つづく)
静岡の旅・・・(2)「諏訪原城跡」へ