樹齢1000年を越す「ナギの御神木」・・熊野速玉神社
(つづき)
新宮では先ず熊野三山の一つ、熊野速玉神社へ詣でました。
元々は近隣の神倉山の霊石「ゴトビキ岩」をご神体としています。
いつ頃からか現在地に祀られるようになったそうで、神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮と呼んでいます。

熊野三山の一つ、熊野速玉神社
境内にある「熊野御幸碑」を見てびっくり!
平安時代から上皇や女院たちが驚くほどの回数の熊野御幸をしていました。
907年、熊野へ初めて詣でた上皇は宇多法皇ですが、白河上皇が9回も熊野御幸されたことから熊野信仰が熱狂的な高まりを見せるようになりました。
一番多いのが後白河上皇の33回、次いで後鳥羽上皇28回、鳥羽上皇21回・・・。
女院たちも負けていません。待賢門院12回、美福門院4回、建春門院4回・・・。
現代、しかもバスに乗っても分け入るのが困難な道のりを京都から往復1ヶ月かけて
なぜ熊野だったのでしょうか、その理由はわからないそうですが、
中世の人々の内面に渦巻くエネルギーの凄さを感じます。

熊野御幸碑
鎌倉時代前期に熊野御幸を27回行った後鳥羽天皇(1180-1239)は、途中で
旅の慰めとして頻繁に歌会を催しました。
随行の人たちは与えられた歌題を和歌に詠み懐紙に認めましたが、
これが熊野懐紙と呼ばれ、30数葉が残されています。
先日の光悦会・京都席で寂蓮法師の和歌が書かれた熊野懐紙が本席の床に掛けられていました。
熊野速玉神社の熊野神宝館を見学して、またまたびっくり!
天皇・上皇・将軍家から奉納されたお宝がぎっしり、素晴らしい国宝や重要文化財も多いのですが、展示や説明、照明にもう少し力を入れてくださったら・・・と残念です。

佐藤春夫記念館 佐藤春夫の書斎
新宮市内は「佐藤春夫記念館」「丹鶴城址」など見所いっぱいですが、一番楽しみにしていた「西村伊作記念館」について書いておきます。

新宮市にある「西村伊作記念館」
西村伊作(1884~1963)は1884年(明治17)年、和歌山県東牟婁郡新宮横町で生まれました。22才のとき、当時米国で流行していたバンガローを新宮の日和山山頂に建築。これが、最初の居間を中心とした現代住宅で、以後、住宅建築家として活躍します。文化学院創設者でもあります。
行きつけの美容院のマスターから西村伊作の本「楽しき住家」を借りて、伊作が設計した温かみのある洋風の家やその設計思想についてマスターと語り合い、憧れていたのです。

南向きにある居間

庭から全景を写す
その西村伊作が自ら設計・監督した自邸が新宮市にある「西村伊作記念館」でした。
館内には伊作自筆の住宅設計図、油絵、自作の陶器、家具などが展示され、それらを自分の目で見れて、西村伊作について熱心なお話も伺えてとても満足しました。
ただ、老朽化が進んでいるのが気がかりです。
「西村伊作記念館」を後世に伝え残して欲しいと願っています・・・。

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(つづき)
新宮では先ず熊野三山の一つ、熊野速玉神社へ詣でました。
元々は近隣の神倉山の霊石「ゴトビキ岩」をご神体としています。
いつ頃からか現在地に祀られるようになったそうで、神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮と呼んでいます。

熊野三山の一つ、熊野速玉神社
境内にある「熊野御幸碑」を見てびっくり!
平安時代から上皇や女院たちが驚くほどの回数の熊野御幸をしていました。
907年、熊野へ初めて詣でた上皇は宇多法皇ですが、白河上皇が9回も熊野御幸されたことから熊野信仰が熱狂的な高まりを見せるようになりました。
一番多いのが後白河上皇の33回、次いで後鳥羽上皇28回、鳥羽上皇21回・・・。
女院たちも負けていません。待賢門院12回、美福門院4回、建春門院4回・・・。
現代、しかもバスに乗っても分け入るのが困難な道のりを京都から往復1ヶ月かけて
なぜ熊野だったのでしょうか、その理由はわからないそうですが、
中世の人々の内面に渦巻くエネルギーの凄さを感じます。

熊野御幸碑
鎌倉時代前期に熊野御幸を27回行った後鳥羽天皇(1180-1239)は、途中で
旅の慰めとして頻繁に歌会を催しました。
随行の人たちは与えられた歌題を和歌に詠み懐紙に認めましたが、
これが熊野懐紙と呼ばれ、30数葉が残されています。
先日の光悦会・京都席で寂蓮法師の和歌が書かれた熊野懐紙が本席の床に掛けられていました。
熊野速玉神社の熊野神宝館を見学して、またまたびっくり!
天皇・上皇・将軍家から奉納されたお宝がぎっしり、素晴らしい国宝や重要文化財も多いのですが、展示や説明、照明にもう少し力を入れてくださったら・・・と残念です。


佐藤春夫記念館 佐藤春夫の書斎
新宮市内は「佐藤春夫記念館」「丹鶴城址」など見所いっぱいですが、一番楽しみにしていた「西村伊作記念館」について書いておきます。


新宮市にある「西村伊作記念館」
西村伊作(1884~1963)は1884年(明治17)年、和歌山県東牟婁郡新宮横町で生まれました。22才のとき、当時米国で流行していたバンガローを新宮の日和山山頂に建築。これが、最初の居間を中心とした現代住宅で、以後、住宅建築家として活躍します。文化学院創設者でもあります。
行きつけの美容院のマスターから西村伊作の本「楽しき住家」を借りて、伊作が設計した温かみのある洋風の家やその設計思想についてマスターと語り合い、憧れていたのです。

南向きにある居間

庭から全景を写す
その西村伊作が自ら設計・監督した自邸が新宮市にある「西村伊作記念館」でした。
館内には伊作自筆の住宅設計図、油絵、自作の陶器、家具などが展示され、それらを自分の目で見れて、西村伊作について熱心なお話も伺えてとても満足しました。
ただ、老朽化が進んでいるのが気がかりです。
「西村伊作記念館」を後世に伝え残して欲しいと願っています・・・。

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