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暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

熊野の旅-3  熊野速玉神社と西村伊作記念館

2014年12月14日 | 
           樹齢1000年を越す「ナギの御神木」・・熊野速玉神社
(つづき)
新宮では先ず熊野三山の一つ、熊野速玉神社へ詣でました。
元々は近隣の神倉山の霊石「ゴトビキ岩」をご神体としています。
いつ頃からか現在地に祀られるようになったそうで、神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮と呼んでいます。

           
              熊野三山の一つ、熊野速玉神社

境内にある「熊野御幸碑」を見てびっくり!
平安時代から上皇や女院たちが驚くほどの回数の熊野御幸をしていました。

907年、熊野へ初めて詣でた上皇は宇多法皇ですが、白河上皇が9回も熊野御幸されたことから熊野信仰が熱狂的な高まりを見せるようになりました。
一番多いのが後白河上皇の33回、次いで後鳥羽上皇28回、鳥羽上皇21回・・・。
女院たちも負けていません。待賢門院12回、美福門院4回、建春門院4回・・・。

現代、しかもバスに乗っても分け入るのが困難な道のりを京都から往復1ヶ月かけて
なぜ熊野だったのでしょうか、その理由はわからないそうですが、
中世の人々の内面に渦巻くエネルギーの凄さを感じます。

            
                      熊野御幸碑

鎌倉時代前期に熊野御幸を27回行った後鳥羽天皇(1180-1239)は、途中で
旅の慰めとして頻繁に歌会を催しました。
随行の人たちは与えられた歌題を和歌に詠み懐紙に認めましたが、
これが熊野懐紙と呼ばれ、30数葉が残されています。
先日の光悦会・京都席で寂蓮法師の和歌が書かれた熊野懐紙が本席の床に掛けられていました。

熊野速玉神社の熊野神宝館を見学して、またまたびっくり!
天皇・上皇・将軍家から奉納されたお宝がぎっしり、素晴らしい国宝や重要文化財も多いのですが、展示や説明、照明にもう少し力を入れてくださったら・・・と残念です。

  
        佐藤春夫記念館                佐藤春夫の書斎

新宮市内は「佐藤春夫記念館」「丹鶴城址」など見所いっぱいですが、一番楽しみにしていた「西村伊作記念館」について書いておきます。

   
                       新宮市にある「西村伊作記念館」

西村伊作(1884~1963)は1884年(明治17)年、和歌山県東牟婁郡新宮横町で生まれました。22才のとき、当時米国で流行していたバンガローを新宮の日和山山頂に建築。これが、最初の居間を中心とした現代住宅で、以後、住宅建築家として活躍します。文化学院創設者でもあります。
行きつけの美容院のマスターから西村伊作の本「楽しき住家」を借りて、伊作が設計した温かみのある洋風の家やその設計思想についてマスターと語り合い、憧れていたのです。

           
                 南向きにある居間
           
                 庭から全景を写す

その西村伊作が自ら設計・監督した自邸が新宮市にある「西村伊作記念館」でした。
館内には伊作自筆の住宅設計図、油絵、自作の陶器、家具などが展示され、それらを自分の目で見れて、西村伊作について熱心なお話も伺えてとても満足しました。
ただ、老朽化が進んでいるのが気がかりです。
「西村伊作記念館」を後世に伝え残して欲しいと願っています・・・。
                                     
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熊野の旅ー2  熊野本宮大社と湯の峰温泉

2014年12月13日 | 
                大斎原(おおゆのはら)の大鳥居

日本一長い路線バスを下り、熊野本宮大社へお詣りしました。
社殿が4社並んでいて、第3殿だけをパスしたら、説明板を読んで主祭神とわかり、
あわてて引き返しお詣りしました。
主祭神は家津御子大神(素戔嗚尊、すさのおのみこと)です。

   

熊野本宮大社から約5分に大斎原(おおゆのはら)があり、巨大な鳥居が聳えています。人がとても小さい存在で、神妙に見えます。
もともとこの地(熊野川の中州)に本宮大社がありましたが、明治22年(1889)の大洪水により甚大な被害をうけ、現在地へ移されました。
社殿こそありませんが、大斎原は今も神気あふれる熊野の聖地でした。

その日は湯の峰温泉の湯の峰荘に泊まりました。
湯の峰温泉は、1800年前に開かれた日本最古の温泉場です。
硫黄を含む湯が肌に馴染んで心地好く、夕食前、就寝前、朝湯と露天風呂に浸かり、
久しぶりの温泉を堪能しました。

翌朝、宿のご主人に湯の峰温泉バス停まで送ってもらい、「つぼ湯」を見学しました。
「つぼ湯」は、室町時代から伝承されている「小栗判官物語」に登場する薬湯です。

             
              一心不乱に土車を押す照手姫
               伝岩佐又兵衛「小栗判官絵巻」(パネル展)より

「小栗判官物語」では、常陸の国の小栗判官は相模の国の照手姫と恋におちますが、
照手の父の怒りに触れ、毒殺されてしまいます。
地獄に落ちた小栗は閻魔大王の計らいにより餓鬼の姿でこの世に戻されました。
その後、照手と再会するのですが、
「耳も聞こえず目も見えず口もきけない」餓鬼の身となった小栗は、
照手の引く土車に乗せられ熊野・湯の峰温泉をめざし苦難の旅を続けます。

善男善女の助けを受けながら四百四十四日で湯の峰温泉に辿りつきました。
熊野権現の御加護と、「つぼ湯」に浴するうちに四十九日目に奇跡が起こり、
小栗は見事に元の姿に回復したと伝えられています。

   
小栗判官湯治場「つぼ湯」              「つぼ湯」の中

「つぼ湯」は天然の岩風呂で、今も熊野古道が通る川添いにあります。
入湯料200円也、小栗判官にあやかって蘇生したかったのですが、
時間がなかったのが残念! 次の新宮行バスに乗らないと長時間待たなくてはなりません・・・。

              
                  山本玄峰師の顕彰碑「玄峰塔」
              
                  玄峰師揮毫の看板・・・新宮にて

湯の峰温泉バス停近くで山本玄峰師の顕彰碑「玄峰塔」に出合いました。
山本玄峰師が湯の峰温泉出身だったことを思いだし、その数奇で偉大な生涯に思いを馳せました。
新宮市で「熊野(ゆや)」という菓子銘に惹かれて菓子屋さんへ飛び込んだら、
「十紀和屋」という玄峰師筆の看板が店に飾られていて、旅のご縁を感じました。
こんな出逢いも旅の楽しさですね・・・。
                                    やっと 

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熊野の旅ー1 日本一長い路線バスに乗って

2014年12月10日 | 
                  奈良県十津川村・谷瀬のつり橋

久しぶりに旅へ出ました。
前から行きたかった「熊野詣」へ11月の終わりに行ってきました。
12月に行く予定が、調べてみると交通の便が悪く、
12月になるとさらにバスの便数が減るので11月になったのでした。

京都から熊野へ入るルートはいろいろありますが、
大和八木駅始発の「日本一長い路線バス」に乗りました。
近鉄大和八木駅始発から終着の和歌山県・JR新宮駅まで紀伊半島を南北に縦断し、
上野地、十津川、熊野本宮大社を通り、6時間以上かかります。

             
              「日本一長い路線バス」に乗って見たくて・・・

最初の休憩は五條バスセンターで約10分、隣りのスーパーへ走り、
昼食の柿の葉寿司、惣菜、飲み物などを買い込みました。
古い街並みが残る五條新町を通り過ぎ、次第に山へ分け入っていきます。
紅葉・黄葉が美しく折重なり、この路線バスに乗った甲斐がありました。
狭い山道をこともなげに走り抜けていく、ベテランの運転手さんのなんと頼もしいこと!

             

その日は曇っていて時折小雨が降るような天気だったのですが、
バスが登るにつれて現われる山々や渓谷には雲や霧がかかり、幽玄深山の趣きに
12名ほどの乗客から歓声が上りました。

  万丈の山、千仭の谷、前に聳え、後に支う、
  雲は山をめぐり、霧は谷を閉ざす・・・唱歌「箱根八里」を想い出します。
・・・大正解です。この路線バスに乗ってヨカッタ!

  

上野地で20分の休憩があり、近くにある「谷瀬のつり橋」へ行きました。
上野地と谷瀬を結ぶ巨大なつり橋は長さ297メートル高さ54メートル。
十津川に架けた丸木橋が台風のたびに流されるので、1戸20~30万円出し合って、
生活のために必要な大吊橋を昭和29年(1954年)完成させたそうで、
今では十津川村の観光名所です。

20メートルも進んだでしょうか、つり橋の揺れに気持ちが悪くなりそうで
あわてて引き返しました・・・まだ2時間バスに乗らなくてはなりません。

次は十津川温泉で10分の休憩。
ここに足湯があったらどんなに嬉しいかしら・・・と思いました。
前の席のご夫婦も私たちと同じ湯の峰温泉の宿だそうで、常連さんらしく
「湯の峯荘の100%源泉かけ流しの風呂が素晴らしい!ですよ」
と教えてくださいました。

            

熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の一つ、熊野本宮大社で
路線バスを下りました。
約5時間かかりましたが、山々を紅葉、雲、霧がおおい、山間に暮らす人々の
暮らしをちょっぴり垣間見られた、印象深い熊野の旅のアプローチでした。
                                       

               熊野の旅-2へつづく