島田市お茶の郷博物館の観月茶会へ一泊で出かけました。
前回、お茶の郷博物館の茶室を見学した時に観月茶会のことを伺い、
「ぜひ行ってみたい!」と思ったのです。
10月1日(土)の第三席へ三名で申し込みました。
10月1日の朝、熱海行きの鈍行へ乗り、電車を乗り継いで
11時40分頃焼津駅に到着しました。
途中で、同行のHさんと合流しました。
大学時代からの親友Mさんが焼津駅まで出迎えてくれて
焼津魚センターと小泉八雲記念館へ案内して頂きました。
焼津漁港から水揚げされた魚たちが美味しそうに並んでいます。
キンメダイ、キンキ、カマス、アジ、イカ、タチウオ・・・。
遠洋漁業の基地でもあるので、魚センターの寿司屋おすすめの
中トロ海鮮丼で舌鼓です。
明日の朝食に、シラスの大根おろしとカマスの塩焼きを
Mさんにリクエストしちゃいました・・・秋ですね。
( 小泉八雲がスケッチした焼津の海 )
焼津小泉八雲記念館(焼津市三ケ名)へ寄ってみました。
展示によると、小泉八雲が松江、熊本、神戸を経て東京に住んでいた頃、
毎年夏になると、魚屋・山口乙吉さんの2階を借りて避暑に訪れたそうです。
1897(明治30)年の8月に初めて焼津を訪れてから
1904(明治37)年9月26日に54歳で亡くなるまで
6回の夏を焼津で過ごしています。
深くて荒い焼津の海と山口さんら土地の人との
あたたかく素朴な交流が気にいっていたとか・・・me,too.
東京のセツ夫人や子供たちへ宛てた手紙が展示されていました。
文豪・小泉八雲のイメージとは違う、子煩悩な父親の姿が
日本語で書かれた行間から滲み出ていました。
焼津の夏の日々を書いたという著書「東の国から 心」の
「夏の日の夢」を読んでみたい・・と思っています。
宿をお願いしているMさん宅で小休止してから着物に着替え、
「いざっ! 観月茶会へ」繰り出しました。
途中、Kさん(Mさんのご主人)が曼珠沙華がきれいだという場所へ
案内してくれました。
大井川支流の土手に赤と白の曼珠沙華がまっさかりでした。
この花は赤だけだとどぎつく感じるのですが、白い曼珠沙華がほどよく緩和して
こんなにきれいな群落は初めてです。
夕闇迫まる川辺を四人で散策しながら夢中でシャッターを切りました。
(観月茶会 (2)へ)
前回、お茶の郷博物館の茶室を見学した時に観月茶会のことを伺い、
「ぜひ行ってみたい!」と思ったのです。
10月1日(土)の第三席へ三名で申し込みました。
10月1日の朝、熱海行きの鈍行へ乗り、電車を乗り継いで
11時40分頃焼津駅に到着しました。
途中で、同行のHさんと合流しました。
大学時代からの親友Mさんが焼津駅まで出迎えてくれて
焼津魚センターと小泉八雲記念館へ案内して頂きました。
焼津漁港から水揚げされた魚たちが美味しそうに並んでいます。
キンメダイ、キンキ、カマス、アジ、イカ、タチウオ・・・。
遠洋漁業の基地でもあるので、魚センターの寿司屋おすすめの
中トロ海鮮丼で舌鼓です。
明日の朝食に、シラスの大根おろしとカマスの塩焼きを
Mさんにリクエストしちゃいました・・・秋ですね。
( 小泉八雲がスケッチした焼津の海 )
焼津小泉八雲記念館(焼津市三ケ名)へ寄ってみました。
展示によると、小泉八雲が松江、熊本、神戸を経て東京に住んでいた頃、
毎年夏になると、魚屋・山口乙吉さんの2階を借りて避暑に訪れたそうです。
1897(明治30)年の8月に初めて焼津を訪れてから
1904(明治37)年9月26日に54歳で亡くなるまで
6回の夏を焼津で過ごしています。
深くて荒い焼津の海と山口さんら土地の人との
あたたかく素朴な交流が気にいっていたとか・・・me,too.
東京のセツ夫人や子供たちへ宛てた手紙が展示されていました。
文豪・小泉八雲のイメージとは違う、子煩悩な父親の姿が
日本語で書かれた行間から滲み出ていました。
焼津の夏の日々を書いたという著書「東の国から 心」の
「夏の日の夢」を読んでみたい・・と思っています。
宿をお願いしているMさん宅で小休止してから着物に着替え、
「いざっ! 観月茶会へ」繰り出しました。
途中、Kさん(Mさんのご主人)が曼珠沙華がきれいだという場所へ
案内してくれました。
大井川支流の土手に赤と白の曼珠沙華がまっさかりでした。
この花は赤だけだとどぎつく感じるのですが、白い曼珠沙華がほどよく緩和して
こんなにきれいな群落は初めてです。
夕闇迫まる川辺を四人で散策しながら夢中でシャッターを切りました。
(観月茶会 (2)へ)