暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

雨の隣花苑と三溪園へ・・・(2)

2018年10月05日 | 暮らし

  雨に打たれるハスの葉が物悲しく・・・

(つづき)
久しぶりの三溪園は雨のせいで人気もなく静かでした・・・。
雨に打たれるハスの葉と台、池面をたたく雨音、もやっている孤舟が物悲しく、三重塔をバックに撮ってみました。
雨の三溪園も静寂に包まれてステキです!



滝口入道と横笛の悲恋を物語る「横笛庵」の前を通り、「旧矢箆原家(やのはらけ)住宅」を見学しました。
旧矢箆原家は元は白川郷(現高山市)にあり、昭和31年に国指定重要文化財になっていましたが、御母衣(みほろ)ダム建設で水没することになったため、昭和35年三溪園に寄贈、移築されました。



久しぶりの訪問でしたが、改めて由緒のある古民家の魅力を堪能しました。
「おいえ」(家族団欒の場)と「だいどころ」(調理や食事の場)の2ヶ所に囲炉裏があり、「だいどころ」の囲炉裏は今も年中火を焚いているそうです。


「だいどころ」の囲炉裏・・・自在に湯釜が掛かっていました

旧矢箆原家建物の特徴は、左半分が式台玄関を備えた格式ある書院造り、右半分が普通の農家造りになっていて、いずれも見ごたえがあり、お勧めです。
これだけの家を建て、維持する財力はどこから得たのだろうか?
雪に覆われた白川郷の風土を思い出しながら疑問に思っていると、ボランティアさんが「火薬を製造していたのでは?」と推理されて、興味深く拝聴しました。
(暁庵は特殊な生薬(きぐすり)の製造では?と思ったのですが・・・)


  中秋の名月のお供えがあちらこちらに飾られています

薄茶を喫みたくなって三溪記念館の呈茶席へ寄ると、観光バスで来園した中国(?)の方で満席でした。
50人近くいらしたのですが、全員がお菓子を食べ、薄茶を頂いたのでしょうか。
こちらの呈茶席は、裏千家流をはじめいろいろな流派の方が日替わりで受け持っていて、この日は表千家流の担当でした。
ようやく席が空いたので、一番前の席へ五葉会の6人が座りました。
席主のお顔を拝見して、ご近所のF先生とわかり、ご挨拶しました。

ちょうど人出も途切れたところだったので、社中やお仲間と十数年もこちらで呈茶を続けていること、
外国の方が一言でも母国語で話しかけられると笑顔を見せるので、外国語(たしか50国以上・・・)の挨拶を勉強して話しかけていること、
お持ち出しのお道具(李正子氏の生涯と高麗茶碗、「茶杓 源氏十二月即中斎作写」)・・・など素敵なお話をたくさんしてくださいました。

紅白の名物落雁と表千家流の薄茶を美味しく頂戴しました。ごちそうさま!



80代後半という年齢を伺って、一同、もうびっくり。
三溪記念館を訪れる外国人やお茶と御縁のない日本人をにこやかにお茶でおもてなしする、そのひたむきな御姿とたゆまぬ努力にただ圧倒され、心からご尊敬申し上げ、そして、お茶の道を歩む者として強烈な刺激を受けたのでした。 

この日一番の出来事はF先生とのお出逢いでした・・・。
ご近所なので改めてお会いできれば・・・と思っています。


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