暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

どくだみ茶会-2

2014年06月18日 | 思い出の茶事  京都編
                どくだみの花 (季節の花300)
(つづき)
ご挨拶のあと、夕食をご馳走になりました。
Kさんの茶会は「家のご飯と薄茶」が基本です。
でもね! その中にKさんならではエッセンスが凝縮されていて、
センスと個性が輝いている・・・と思うのです。

シンプルな献立ですが、こだわりが半端ではありません。
自家製野菜、野菜の栄養と旨味を引き出す切り方や調理、
直前に焼いて供される出し巻き玉子など、
より美味しく、見た目も好く、探求する姿勢に感動すら覚えます。
そんなエッセンスの話を伺いながら、Kさんちの夕食を平らげました。

ここで中立し、先ほどの外腰掛へ。
再びご亭主の迎え付けがあり、席入りすると、
ほの暗い茶室には燭台が置かれ、蝋燭が灯されていました。

             
              (写真がないので我が家のどくだみですが・・)

床にどくだみの花が生けられていました。
そこだけ白い花が浮き立って、十字架のようにも見え、
敬虔な修道女のようにも見えてきます。
花入は揖保川焼、池川みどり作。
古色ある敷板は、扁額を応用したお手製で、垂涎ものです。
友人が描いたという抽象画が掛けられていて、雨雲をイメージした絵だとか。

席入の時から音楽が雨の音のようにも聞こえ、
時に軽快であったり、時に物寂しかったり・・・聴衆のこころのままに。
炉には手取り釜がシュンシュンと湯気をあげていました。

「一年中、炉の流し点で薄茶をさしあげています」
・・・Kさんの諸事情でこのようなスタイルに完結したそうですが、
ゆるぎない信念がそれを後押ししていて、大拍手です。

一服目は濃茶のように緊張して、
二服目は薄茶独特のくつろいだ雰囲気で頂戴しました。

               

・・・そして、お茶を味わいながら、
「こんな素敵な茶会へもう二度と来ることはないだろう・・・」
と思い、なぜ何度も来たくなったのか、自問しました。

Kさんの茶会を、ひそかに「清貧の茶会」と呼び、敬愛しています。
余計なものを全て削ぎ落とし、必要かつfavoriteなものへ見事なまでに
昇華なさって、そこにお茶本来が持つ精神の高みを感じるのです。

もう一つは工夫の面白さです。
今回はどくだみの花が主役でしたが、毎回胸ときめく工夫やら
Kさんならではの茶会次第があり、無限の広がりを楽しめます。

決して高価なものを使わず、無理せず「清貧」の茶に徹している、
そんな茶会が大好きで、心地好い刺激とともに
「私も私の茶事をしよう!」といつも勇気づけられるのです。

今回も親友のKさんと一緒に風雅を味わい、善い気を一杯あびて、
「どくだみ茶会」を堪能しました。

後日、やさしい親友から電話があり、
「あれから、どくだみがKさんに見えてしまい、抜けなくなりました・・・」

                         
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