暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

北村美術館 「追憶の茶」

2012年10月20日 | 美術館・博物館
どこからともなく金木犀の香が漂ってくる秋の日の午後に、
ぶらりぃ自転車で北村美術館へ向いました。
9月25日~12月9日まで秋季取り合わせ展「追憶の茶」が開催中です。

9月28日の夕去りの茶事で茶入「廣澤」写をつかったので
遅ればせながら本歌「廣澤」を観ておきたいと、出かけたのですが、
とても見ごたえのある展示でした。

             
                   (北村美術館・四君子苑)

「追憶の茶」は、無学祖元禅師の墨蹟「鎖口訣(さくけつ)」を中心に
蒙古襲来の当時を偲んで・・・と企画された茶会形式の展示です。

無学祖元禅師(1226~86)は、南宋時代明州慶元府に生まれ、
中国臨済宗の法を嗣ぎ、弘安2年(1279)に執権・北条時宗の招へいで来日。
鎌倉五山一位の建長寺第五世として住し、弘安5年、鎌倉円覚寺を開山、
仏光(ぶっこう)国師の諡号があります。

「鎖口訣」とは、言葉で説明できない仏法の真理を文字に記さず伝える秘伝
というのが本義だそうです。

墨蹟「鎖口訣」は、後半に段を下げて、次のように書かれているそうです。
   右の鎖口訣は 元軍の難を逃れて雁山能仁寺にいた頃の作であって・・・
   (中略)・・・「参同契」に倣って少しだけ自身の見解を述べたのが
   この鎖口訣である 時に弘安9年(1286)7月25日
   無学祖元 建長寺得月楼において書す

肝心の「鎖口訣」の真理の解釈は謎のままで、
どうも、「鎖口訣」自体が寸断されている・・・らしいのです。
墨蹟は読むものではなく拝むものである・・・とも言われるそうで、
これ以上の詮索は無用なのかもしれません。

             
               鎌倉・円覚寺の舎利殿(開山堂 国宝)

茶事形式の展示は、寄付、濃茶(小間)、続き薄茶、懐石(広間)、番外
と分けられていますが、濃茶(小間)のいくつかを記します。

  掛物   円覚寺開山 無学祖元筆  鎖口訣   関戸家伝来

  花入   鍍金経筒  鈍翁受筒添        益田家伝来

  釜    古天明   霰傘地文

  水指   南蛮内渋芋頭 ハンネラ・青磁蓋添   益田家伝来

  茶入   中興名物 広沢手 本歌 不昧公文添  酒井家伝来
        袋   萌黄地撫子金襴  丹地筋金入
             剣先緞子     紺地唐草龍紋金襴

茶入「廣澤」と念願の対面を果たしました。
釉薬のなだれが池の面に映る月影のようにも見て取れ、さすが本歌です。
四つの仕覆はどれも時代を感じます。
特に、剣先緞子は上部が擦り切れ、緑色の裏地が見えるほどで、
一番好まれたのでしょうか?

朽木近江守へ宛てた松平不昧の文が添えられているのですが、
文をやりとりの状況がわからず、首をひねっています。
   ・・・・(略)・・・・
   広沢の月の詠めも金なくて
   たゝやミくもの かひものにする
           正月廿三日 不昧
   竜橋公 用事

茶入「廣澤」の伝来は、小堀遠州-松平備前守-土屋相模守-朽木近江守-
姫路酒井家-大原三楽庵-北村謹次郎-北村美術館 です。

                 

他にも展示の番外で、仙涯義梵筆「望蒙古山詩」の掛物が印象に残り、
次の三つの裂地が垂涎の的でした。

   裂地  宝尽唐子遊緞子    松岡家旧蔵
   裂地  花兎紫地上代紗    前田家旧蔵
   裂地  萌黄地二重蔓牡丹唐草印金

最後に、鎖口訣が吊るされている棒のことですが、
「大徳寺棒」というそうです・・・やっと拝見できました。

                                 

追記)今回の展示は、木下収館長の深い洞察と思いが詰まっており、
    詳しくは「茶道雑誌 平成二十四年十月号 追憶の茶」(河原書店)を
    お読みください。

   「四君子苑」平成24年秋季特別公開 
       10月23日(火)~28日(日)11時~15時



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