(蛍袋、ウツボ草、アケビを鉄灯明台花入へ生けました)
茶事で一番大事な濃茶が無事に終わって安堵しながら後炭をしました。
胴炭が割れると良いのですが、細目の胴炭を選んだにもかかわらず、すぐに割るのは諦めました。丸ギッチョ、枝炭1本と丸管を一緒に入れ、点炭を置きました。
月形に藤灰を埋め、香を焚き、釜を引き寄せ鐶を置くと、
「どうぞ風炉中の拝見をお願いします」と正客Yさま。
ありのままを見て頂こうと覚悟を決めていた灰形と、車軸釜や炭道具も見て頂きました。
立礼では濡れ茶巾を載せた薬缶の置き場がとても狭いので、少し真ん中に薬缶をずらして置き、水を釜に注いでから濡れ茶巾で釜を浄めました。あれこれ試行錯誤が楽しいです。
後炭が終わり、「薄茶は半東Y氏がお点て致します」と挨拶し、Y氏とお点前交代です。
Y氏のお点前をお客さまにじっくり見て頂きたくって、茶を掬う頃に替茶碗を持って半東の席へ座りました。
次客Nさまは裏千家茶道の入門コースでY氏を指導され、その後暁庵の教室へ紹介してくださったY氏の最初の先生でもあります。
きっとNさまはY氏が半東のお役をしっかり務めていらっしゃることを喜んでくださったことでしょう。Y氏の基本に乗っ取った美しい所作はNさまの厳しいご指導の賜物で、私もそのご縁が嬉しく感謝しています。
ふっくらと美味しそうに点てられた薄茶を3人のお客さまに運びました。
正客Yさまは青楓に杜鵑の画が描かれている平の楽焼茶碗です。何度も青楓と杜鵑が登場しているので恐縮ですが、「今日使わないと、この茶碗がかわいそう・・・」と。
次客Nさまも平茶碗、牡丹が描かれていて暁庵のお気に入りの一つです。
詰Mさまは青いガラスの茶碗、細かな銀の水玉が散りばめられていて、すぐに訪れるであろう梅雨空を連想しながら選びました。
同じお茶碗で2服ずつ、和やかにお話が弾みながら飲んでいただきました。
拝見で棗と茶杓のお話はY氏に一任しましたが、いろいろ考えてお話してくださったようで、今後のご活躍が楽しみです。
棗は早苗蛍蒔絵の大棗(宗しゅん作)、茶杓は銘「好日」(玉瀧寺・明道和尚作)です。
薄茶は坐忘斎家元好みの「舞の白」(星野園)、干菓子は金沢・諸江屋から取り寄せた「抹茶落雁」と季節の干菓子を蛍籠の菓子器に入れお出ししました。
・・・こうして、3人のお客さまをお迎えし、第1回の立礼の茶事が無事に楽しく終わりました。
3人のお客様Yさま、Nさま、Mさま、そして茶事を支えてくださった半東Y氏、懐石の小梶由香さん、ツレに心から感謝いたします。
いつまでできるわかりませんが、先のことをあれこれ心配しても仕方が無いので、出来る限り立礼の茶事を続けていきたい、暁庵とご縁があった方をできるだけたくさんお招き出来たら・・・と願っています。
そして自分自身を奮い立たせるために、大好きなサムエル・ウルマンの詩「青春」を再々掲します。
新しい「立礼の茶事」行脚の旅立ちのエールに・・・
青春
サムエル・ウルマン (作山宗久訳)
青春とは人生のある期間ではなく、
心の持ち方を言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
時には二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。
六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、
驚異に惹かれる心、おさなごのような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅遍が心にある。
人から神から美・希望・喜び・勇気・力の
霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ
悲嘆の氷に閉ざされるとき、
二十歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
八十歳であろうと人は青春にして已む。
「青春とは、心の若さである」角川文庫より