暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

能「西行桜」に魅せられて

2013年04月02日 | 歌舞伎・能など

   花見んと群れつゝ人の来るのみぞ
         あたら桜のとがにはありける    西行法師


(写真は、円山公園の奥(上)の方にあるしだれ桜です)


花見に大忙しの3月27日の夕刻、京都観世会館へ出かけました。
「能はわからないから・・・」と渋る主人を
「私も全くわかっていないけれど
 わからない、わかろうとしないのが能の好いところみたいよ。
 眠くなったら寝ててかまわないから・・・」と言いくるめ見にいったのは、
京都能楽養成会「平成二十四年度研究公演」でした。

そこで思いがけず、能「西行桜」との夢のような出逢いがありました。
もう、このような能は二度と見れないのではないかと思うほどです・・・。

「西行桜」は二度目ですが、初回は東日本大震災のために
3月末上演が延期され、八月末の暑い盛りの上演でした。
それで、願わくは花の盛りに見ておきたい・・と。


           
                 西行庵(京都市東山区)

「西行桜」のあらすじは
京都の西行の庵。
毎年春になると庵の桜が満開に咲き、大勢の人々が花見に訪れます。
西行は庭に通しますが、閑居を妨げられるので煩わしく思い、前掲の歌を詠みます。

その夜の夢に、桜樹の木陰から白髪の老人が現れて、
「非情無心の草木の 花に憂き世の科はあらじ・・・
 桜はただ咲くだけのもので、咎などあるわけがない」と言い、
「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行を諭します。

そして自分は桜の精だと名乗り、歌仙・西行に逢えたことを喜び、
名所の桜を讃えて舞を舞い、春の夜を楽しみます。
やがて夜が明けると、老桜の精は消え失せ、西行の夢も覚めます。
そこには老木の桜が雪のように花を散らしているのでした。


            
                  京都御苑のしだれ桜

         
舞台中央に桜樹が運び出され、いよいよ「西行桜」が始まりました。
西行法師(ツレ)がまどろみ始めると、桜樹の幕がはずされ、
老桜の精(シテ)が現われます。
腰掛に座っている姿からして、今までに観た能役者と違っていました。
なんと形容してよいやら・・・
老いてこそ、にじむように漂う品格・・・枯淡のあじわいでしょうか。
枯れ果てて、なお運命に従って咲こうとする老桜の命がありました。

踏みしめながら立ち上がり、西行の前に現われ、詠じる声を聞いて
さらに驚きは増してゆきました・・・老桜の精そのものなのかと。
後見が杖を持たせましたが、それがまったく自然の有様で、
寂びた舞がさらなる幽玄の世界へ、
春の夜の夢のようなまどろみへ心地好く誘います。

舞い終えて橋掛かりへ去ってゆく後姿のなんと雄弁なことか!
踏みしめる一歩一歩がいろいろなことを語りかけて来て、
ずっーとこのまま見ていたい、心に刻みつけたい・・と思いました。
能役者のすべてが最後の一歩まで凝縮されている舞台でした。
演じたのは片山幽雪です。


     風さそふ花のゆくへは知らねども
           惜しむ心は身にとまりけり    西行法師




            
                  西行庵(京都市東山)

(忘備録)
京都能楽養成会「平成二十四年度研究公演」  平成25年3月27日(水)
              於 京都観世会館
番組
 舞囃子 「田村」   今井清隆        
 舞囃子 「吉野天人」 樹下千慧
 舞囃子 「桜川」   大江広祐
 小舞  「細雪」    茂山千五郎

 能楽  「西行桜」  片山幽雪    囃子方  河村 大、前川光長
              小林努            曾和博朗、杉 市和