暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

茶杓「寧」のこと

2017年08月02日 | 茶道具
           
                   ギャラリー&カフェ「寧」の表札

皆さま お暑いですね・・・


  暑中お見舞い申し上げます    
            
                   暁庵



海外旅行から帰った次の日の朝9時のことです。
時差と疲れもあって泥のように眠り込んでいました。
「姫路のKさんから電話! 留守中にも電話があったので早く出なさい・・・」とツレ。

深い深い海の底の眠りから引きずり出されるように電話に出ると、

「Kです。お帰りなさい。お疲れでしょうから手短にしますね。
 ブログの「「染谷英明-茶盌展-」・・・屋敷森の「寧」にて」を読んでびっくりしました。
 カフェ「寧」と我が家の設計士さんが同じだったご縁で、昔、行ったことがあるのです。
 エントランスにあった「寧(ねい)」の字、丁寧の寧という字。
 実はあの字に惹かれて、暁庵さんが茶会にいらした時に掛けた軸「洗心」は「寧」の筆者さんに特別に書いてもらったものなのです」
・・・と一気にKさんは興奮気味に話します。

            
            
                    屋敷森のカフェ「寧」にて

「洗心」・・・もちろん覚えていますが、
確か筆者は障害のある方ということだったけれど、その字はなんの穢れも慾もなく、心が洗われるようだった・・・と、半分眠っている頭の中でかろうじて思い出しました)

「驚くやら嬉しいやら・・・暁庵さんとはやっぱりご縁があるのですねぇ・・・。
 このことをどうしてもお伝えしたくて・・・お疲れのところごめんなさい」
こうしてKさんからの電話が終わり、再び深い眠りに落ちていきました。 

           
                なぜか? 屋敷森の「寧」には猫の道しるべがあちこちに        

数日後、ギャラリー&カフェ「寧」で個展をされた染谷英明氏へ電話しました。
「スウェーデンから帰りましたので、そろそろ茶碗を送ってくださいませ。
それから・・・と、Kさんからの電話のことをお話しし、
ギャラリー&カフェ「寧」とKさん、見知らぬ「寧」の筆者さんとのご縁を感じて、「中心人物たる染谷氏に「寧」という銘の茶杓を削って欲しい」とお願いしました。
個展の時に染谷氏自作の茶杓を見せて頂いて、いつか是非お願い出来たら・・・と思っていたので。
染谷氏が私の勝手な依頼に快く応じてくださって、もう感謝感激!です。

7月の半ば、不思議なご縁に導かれるように茶碗と茶杓「寧」が我が家へやって来ました。
筒に「寧」と書かれ、素敵な布にくるまれています。
煤竹の華奢な作りの茶杓は一目で気に入り、茶碗とぴったりお似合いです。 

              
                    8月16日の五山の送り火 「大文字」         

急に茶事がしたくなり、8月16日に「大文字 夕去りの茶事」をすることを決意しました。
スウェーデンから帰国後、もう、だらだらと「ネブタ(?)」のように過ごしておりまして、猛反省もあり、かねて念願の茶事に取り組むことにしたのです。
(8月の茶事は暑さを理由に避けていました・・・2014年8月の秋待つ撫子の茶事以来かも?)
はじめてのテーマですが、遠く京都の五山の送り火に思いを馳せながら、縁のあった亡き人達をしのびたいと思っております。
私の消夏法とダイエット(?)にお付き合いくださいますお客さまへ、もうなんとお礼を申し上げたらよいやら・・・感謝の一言でございます。 

今は暑さと相談しながらゆっくり茶事支度を楽しんでいます・・・茶杓「寧」に見守られながら。 



「染谷英明-茶盌展-」・・・屋敷森の「寧」にて

2017年06月18日 | 茶道具

 「染谷英明-茶盌展-」 6月10日(土)~21日(水)
    ギャラリー&カフェ「寧(ねい)」への木洩れ日のアプローチ



 「寧(ねい)」のエントランスの表札
 
昨秋の韓国旅行で知り合った染谷英明氏から
「染谷英明-茶盌展-」(主に井戸茶盌を展示いたします)という案内の葉書が届きました。
6月16日(金)にFさんとギャラリー&カフェ「寧(ねい)」(埼玉県伊奈町大針635-4)へ出かけました。
大宮駅でニューシャトルに乗り換え、伊奈中央駅で下車、迷って炎天下をうろうろしたあげく、染谷氏に車で迎えに来て頂きました・・・。

ギャラリー&カフェ「寧」は宮崎駿監督のアニメ「となりのトトロ」に登場するような屋敷森に囲まれた場所にありました。
その入口に立った時から個性的な表札や道案内の猫たち、緑あふれるアプローチや古木に心が躍り、
「なんて素敵な場所なのだろう! ここで個展をするなんて、どんな茶盌と出会えるのかしら?」と。
それまでは、「どうして大宮ではなくこんな辺鄙なところで個展をするのかしら?」
と道に迷い汗だくになりながら思っていたのですが・・・。


   100年椿のパワーを感じる、見事なコブの造形


    母屋のギャラリー

母屋がギャラリー、所々に花が飾られ、その花入も染谷英明作でした。
染谷さんは高校時代から絵を画いていましたが、定年退職後に作陶を始められたそうです。
根津美術館で開かれた特別展で織田有楽斎所有と伝わる大井戸茶碗「有楽」に感動し、
後に心の中で細かく再現できるほど見つめ尽したそうですが、
これを機に全く経験のなかった焼き物に取り組み始めました。




        染谷英明氏の作品


「井戸茶盌のマチエール(肌合い)に魅せられて」
苦節12年間、ひたすら井戸茶盌を極めたい!と向き合ってきたそうです。
ギャラリーには今年の春に釜焚きした作品が並べられ、釜焚きの2回目(1回目は全滅?)にやっと自分で腑に落ちる井戸茶盌ができた気がしているとか。
展示品を観る間に、染谷氏から作陶への熱い思いを伺ったり、作品の感想を述べたり、抹茶とお菓子を御馳走になったり・・・とても充実した時間でした。


 染谷英明氏 (井戸茶盌や半泥子作品の話が尽きません)


 ピンボケですが、暁庵お気に入りの井戸茶盌


井戸茶盌の他にも楽茶碗、水指、ぐい飲みや汲み出しなども展示されていました。
渾身の井戸茶盌は一つ一つ個性が違い魅力的でしたが、白楽茶碗が1個だけあり、一目見た時から気になりました。
本阿弥光悦の「不二山」長次郎の赤楽「白鷺」を連想する雰囲気のある茶碗です。
白釉に黒っぽい灰釉がかかり、素朴かつモダンな味わいに惹かれ、この茶碗で濃茶を点てて喫んでみたくなりました。


   ユニークなカフェ「寧」への道案内


   「寧」のカフェでランチを頂きました

その後に「寧」のカフェで頂いた野菜料理のランチ、デザート(オレンジチーズケーキ)、珈琲も美味しかったです。
6月21日まで「寧」(埼玉県伊奈町大針635-4 TEL:048-723-7371)にて開催中です。
よろしかったら是非ご高覧くださいまし。

染谷さん! 来年も「寧」で個展を開催してくださいね。楽しみにしています。


同期生からの志野の汲み出し

2016年08月27日 | 茶道具

    思い思いの表情が個性的で愉しい・・・


夜毎のBGMが蝉しぐれから虫の音に変わってまいりました。
少し長めの夏休みをとっていましたが、8月24日から自宅稽古が再開です。
ブログも夏休み状態でしたが、お蔭様で、第3回お茶サロンも満席となり、御礼申し上げます。
お茶サロンでは、秋野を駆けめぐる風のささやきに皆で耳を傾けたい・・・と思いを巡らせています。

        


 24日の夜、電話が鳴りました。
思いがけず大学の同期生のA君からでした。
「遅くなっちゃったけれど、去年の同期会で頼まれた志野の汲み出しが出来上がったので送ります」
「えっ! 覚えていてくれたのね。 ありがとう!」 
嬉しくって飛び上ってしまいました。

昨年11月15日に静岡県掛川市で開催された同期会のことを思い出しました。
何十年ぶりかで参加したA君は二十数名の参加者全員に自作の志野ぐい飲みを配ってくれたのでした。
その時、たまたま宴席が近かったので
「今、お茶を頑張っているのだけれど、茶事に使う汲み出しを作ってくれないかしら?」
と気軽に頼んでしまったのです。
それを忘れずに・・・それだけでも感激でしたが・・・。

26日に汲み出しが到着。
開けてみると、5個ずつ2セットの汲み出しが大切に梱包されて入っていました。
そして、手紙が・・・忘れたくないので記しておきます。

 A君からの手紙
昨年の同期会で依頼のあった志野の汲み出し湯呑、やっと焼きあがりましたので、お送りします。
通常の焼き物(酸化或いは還元)はほぼ一日の焼成で済みます。
志野焼の場合はその三倍の三日ほどかけて焼成します。

私の属しているクラブでは、10年位前までは年に7回位は志野焼をクラブ員が主体となって焼いておりました。
ところがクラブ員の老齢化と体力の衰えにより、数年前からはプロの陶芸家に焼成を委託するようになりました。
他人任せのためもあり、各人の思い描いた焼き上がりが期待できなくなったためか、
だんだんと作陶する会員も減り、作品もなかなか数が揃わなくなり、
年に1回焼成できるかどうかといった状態になりました。





  白釉薬の向こうにある文様や指あとに温かさを感じて・・・

今回3種の志野の釉薬を使って60個ほど窯に入れてもらいましたが、出来上がりはいまいちといった状態でしたが、何とか2種2セット確保できました。
形、大きさ、色合い、それぞれ若干の不揃いがあるかもしれませんが、手作りであることを考慮いただき、ご容赦ください。
アサガオ型の湯呑の胴には、「○○○」(暁庵の姓)と下手な字ではありますが隠し柄として入れさせていただきました。
ご愛用くだされば幸いです。       Aより



  くずし字の隠し柄・・・読み難いのがまた好し


手紙で作陶の御苦労の一端を知ることができ、おもわず涙が出て来ました

A君のご厚意がありがたく、一回でも多く茶事に使いたいもの・・・とウズウズしています。

                          


古染付・・・祥瑞詩入筒茶碗  その2

2016年06月17日 | 茶道具

                    
  呉須で書かれた漢詩が一層の味わいを・・・

                    

(つづき)
調べてみると、作者の違う2つの漢詩が書かれていることがわかりました。
王安石(北宋)の「元旦」と韓愈(かんゆ、唐)の「早春」です。
読みと意味が載っていたので記しておきます。

   元日    王安石(北宋)

   爆竹声中一歳除
   春風送暖入屠蘇
   千門万戸瞳瞳日
   総把新桃換旧符


    爆竹声中 一歳除(つ)き
    春風は暖を送りて屠蘇(とそ)に入らしむ
    千門万戸 曈曈(とうとう)たる日
    総(すべ)て新桃(しんたう)を把(と)りて旧符に換ふ

    爆竹が鳴りひびくうちに旧年は尽き
    春風は暖気を送って屠蘇の盃もあたたかい
    すべての家に初日がかがやくこの日
    どの家も魔除けの新しい桃の木の符(ふだ)に取り換える


   早春    韓愈 (唐)

   天街小雨潤如酥
   草色遥見近却無
   最是一年春好處
   絶勝煙柳満皇都


    天街は小雨(しょうう)酥(そ)の如く潤う
    草色は遥かに見るも近づけば却って無し
    最も是れ一年春の好き処
    絶だ勝る煙柳の皇都に満つるに(はなはだまさるえんりゅうのこうとにみつるに)

    注)天街とは都の目抜き通り、皇都は都長安。

                  
 「虫喰い」と呼ばれる「ほつれ」も見られます・・・

小ぶりの筒茶碗ですが、「元旦」や「早春」の漢詩を詠じながら、正月や極寒の侘び茶に使ったら・・・その年は間違いなく「心清長寿年」でしょうね。
古染付特有の「虫喰い」と呼ばれる「ほつれ」(焼成により釉薬の一部がわずかに欠けた部分)が数か所見られ、これも「痘痕にえくぼ」でしょうか。
見れば見るほど、数寄者が好みそうな一碗です。それに、火入に使ったらステキ!でしょうね。 

                  
 祥瑞詩入筒茶碗の仕覆


最後に仕覆のお話です。
格子柄の仕覆(綿?)が素朴であり、モダンでもあり、どんな由来の裂地なのか・・・気になっていました。
仕覆づくりをしているNさんに写真をお送りしたところ、ご丁寧なメールを頂戴しました。

   仕覆の裂地ですが、実物を拝見してルーペで糸を見ないと何ともいえませんが
   渡りの島木綿、下のリンクは望月間道の画像ですが、この格子部分の仲間では
   ないか?または、それを模して日本で作られたものかも知れません。
    http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009089

   糸は、縦横双糸であれば、多分渡り島です。
   島物は種類が多く、固有の名前を持つものが少ないのが実情です。
   (格子柄も島物の仲間に入ります)
   曖昧なお答えで申し訳ありません。

仕覆の裂地もなかなか奥が深く、興味深いです。
N氏、Nさん、いろいろお教え頂き、ありがとうございました!  


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古染付・・・祥瑞詩入筒茶碗  その1

2016年06月15日 | 茶道具

                       
   古染付の祥瑞詩入筒茶碗


骨董好きのN氏が毎回お稽古に、貴重な茶道具や骨董品を一つだけ持参して見せてくださるので
これを機に少しお勉強しなくては・・・と思い始めました。

前から好きだった古染付(こそめつけ)。
調べてみると、古染付は中国・明時代の末期、天啓期(1621~1627)を中心に崇禎期(1628~1644)頃までの間に景徳鎮民窯で焼かれた染付磁器の一群をいいます。
日本には多くの古染付が伝世しますが、中国や他国にはほとんどみつかっておらず、日本の茶人からの注文によって作られたと考えられています。

「虫喰い」と呼ばれる「ほつれ」(焼成により釉薬の一部がわずかに欠けた部分)が見られ、一見すると粗雑な作りに見えますが、形も絵も自由奔放、おおらかでさりげない趣があり、当時の日本(江戸初期)の茶人の好みに合い、あこがれの器だったのでしょう。

古染付の生まれた天啓期(15代憙宗天啓帝 在位1621~1627)は、300年続いた明朝の末期で国力が最も衰微した時期です(16代毅宗崇禎帝の時に明は滅亡 在位1627~1644)。
乱世という社会情勢の中で、景徳鎮では官窯に代り、民窯の活動が盛んになった時期でもあります。
古染付の絵には、長寿、子孫繁栄、立身出世、富貴栄華など庶民の願いを描いたものや、
文人たちの理想社会を描いた山水文様が多く、乱世を生きる作り手たちの願いが込められているとか。

作られた時代の歴史を紐解くと、古染付への理解が進み、作り手の息遣いが聞こえてくるようです。
そんな折、「古染付の祥瑞詩入筒茶碗」を見せて頂きました。
小ぶりの筒茶碗で、すこしいびつ、白地に呉須で漢詩が書かれています。
どうみても下手な字ですが、おおらかな味わいを醸し出し、詩の世界へいざなってくれます。

「えっ! これが祥瑞なの??」
祥瑞といえば、白地に呉須で描かれた特有の模様(丸紋、幾何学模様など)がありますが、どう見てもそのイメージとは全く異なる茶碗です。
すると、N氏は持参の「小さな蕾」(趣味の古美術専門誌N0.177)を開いて
「詳しくはここに書かれていますので読んでください。写真も載っていますが、これがその本歌です」

                         
    施釉した生がけの生地を削った高台廻り


伊藤祐淳氏が「小さな蕾」の「古玩隋語」に書かれた冒頭の部分を書きだしておきます。

     祥瑞詩入筒茶碗  伊藤祐淳

 拙著「古玩隋語」の中の「祥瑞小皿」の項で、祥瑞の主たる特色を列挙した中に
「施釉した生がけの生地を削った高台廻りが鈍いこと」を挙げ、
「この高台削りが特に重要で、染付模様が如何に祥瑞的でなくても、時代さえそれに合致すればこれを祥瑞と呼びます」という一項があります。
 少々説明不足のような気がして心のつかえが残っていましたが、幸いに実物が出て来ましたので、補足する意味でおめにかけることにします。
ご覧のとおり、形も染付も全く祥瑞の意匠とは無関係で、七言の詩を書きなぐっただけのものです・・・(後略)。
   (つづく)


       古染付・・祥瑞詩入筒茶碗  その2へつづく