石手寺・・・中門前にある橋は「洗い石」と呼ばれ、遍路は通ることができません
弘法大師が渡ったとされ、石の裏側に経文が刻まれているそうです
つづき)
5月28日12時半頃に第51番石手寺に着きました。
その日は雨模様、しかも5月末のオフシーズンのせいか、正面入り口にある回廊の店は閉めらえれていて、いつもの賑やかさはありません。
あわただしく本堂と大師堂にお詣りしました。
大わらじが奉納されている仁王門(国宝)で一礼
その頃から雨が激しくなってきて、待ち合わせ場所の駐車場へ急ぎました。
すると、傘をさした女性がたたずんでいました。
「こんにちは。暁庵と申しますが、Sさまでしょうか?」
「はい、Sです。初めまして・・・ようこそ松山へいらっしゃいました」
「雨の中をお待たせしてすみません・・・。今日はお世話になります。
このような姿(白装束)ですが、お許しください」
松山城や坂の上の雲ミュージアムへ行くというツレと別れ、Sさまの車に乗り込みました。
石手寺の三重塔・・・右手の赤い旗のある建物が「茶堂」(休憩所)
金糸梅 (季節の花300)
松山城北側にあるSさま宅へ伺うと2匹の陶器の番犬がお出迎えです。
見事な石組のある庭に面した八畳の茶室へ通されました。
広い床の間、書院棚、戸棚に貼られた裂地など、凝った造りに目を見張りながら御軸を拝見すると、
「和気兆豊年」
たしか雲林院寛道筆とお伺いしました。(「雲林院」とは能がお好きだというSさまらしい・・・です)
見も知らぬ遍路中の暁庵を自宅へ招いてくださった上に、「和気・・・」の御軸を掛けて歓迎してくださったSさま・・・お気持ちが素直に伝わって来て、嬉しく思いました。
乾漆でしょうか、瑞々しい緑の「胡瓜」香合が荘られていました。
自宅の庭のものなの・・・という花は、縞葦、ホタルブクロ、京鹿の子、七段花、金糸梅。
唐物四方籠に華やかに生けられ、雨模様の陰鬱さを吹き飛ばしてくれました。
ホタルブクロ (季節の花300)
点前座は、唐銅の道安風炉に筒釜が掛かっていたように思います(なんせ、必死に思い出していますの・・・)。
宗旦好みの黒塗丸卓に朝鮮唐津の水指がシックな雰囲気を醸し出していました。
棚の上に置かれている棗が目を惹きました。
朱塗なのですが、とても落ち着いた色合い(うるみ朱?)で、あとで拝見するのが楽しみです・・・。
私の膝を心配して、小さなテーブルと椅子が用意されていて、そこに座らせて頂きました。
先ずはお菓子を頂き、Sさまのお点前(裏千家流)で薄茶を頂戴しました。
たっぷりいただくと、まろやかな薄茶が喉を優しく潤してくれました。
茶碗は、時代のある高麗青磁のようで落ち着いた色合いが好ましく、見込に魚が3匹泳いでいます。
替茶碗でもう一服頂戴しました。
八ツ橋でしょうか、菖蒲が美しく華やかな替茶碗は今岡妙見作でした。
お仕舞になり、棗と茶杓の拝見をお願いしました。
先ほどから気になっていた棗は、朱塗の中棗で蛍蒔絵があり山中塗です。
手の中に棗を入れると、蛍が一瞬、光を放ったように見えて楽しい棗でした。
茶杓は自作で、「仮の宿」というご銘でした。
・・・遍路途中の「仮の宿」で、素晴らしい庭を眺め、雨音を聞きながら、薄茶一服を堪能しました。
京鹿の子 (季節の花300)
薄茶のお接待の後、共通の知り合いの茶人さんの茶事の話しで大いに盛り上がりました。
きちんと茶事ごとの写真や記録をファイルしていらして、ご亭主をよく知っている茶事の記録も多く、Sさまとの御縁を改めて感じた次第です。私もその茶事に同席しているようで楽しかったです。
お別れの時が近づいてきました。
お土産に持参した「あられ糖」(岡田製糖所)と茶杓をお渡ししました。
茶杓は大徳寺高桐院・松長剛山師の銘で「二人静」です。
「能がお好きと伺っていたので「二人静」の茶杓を選びました」
「何よりのお土産です。早速、茶事で「茶杓荘」をしたいと思います」(喜んでくださってヨカッタ!)
Sさまから木工の三匹のカエルをお土産に頂きました。
「四国遍路を結願して、無事に横浜へカエルように・・・」と。
何よりのお土産をありがとうございました! お蔭様で無事にカエルことができました。
車で四国遍路 次へつづく 前へ戻る この項のトップへ