令和6年4月から立礼の茶事を再開します。
令和5年10月29日に「野月の名残りの茶事」(立礼の茶事)をした時に、炉の時期は茶事をお休みし、来年風炉の時期が近くなったら茶事をするかどうか決めよう・・・と思っていました。
先のことは何があるかわからないからです。
思いがけず手術入院がありましたが、入院中も茶事のことを考えていました・・・。
あと何回出来るかわからないので、1回出来たら、また1回とやって行きたいのですが、茶事はお客さまのためにするので、お客さまが決まらないと先へ進めません。
(鶯神楽、蕗の薹、藪椿)
4月中に今年第1回の立礼の茶事をすることにし、お客様のご都合をお伺いしたところ、すぐに快諾してくださって嬉しい限りです。
お客さまは15年くらい前に出逢い、七事式や茶事を通していろいろご指導頂いた先輩方なので、今からお会いするのがとても楽しみです。
特にお正客様から私の茶事を最優先にして日程調整をしてくださるとのご返事を頂き、茶事が始まる前からもう!感激しています。
(大紅と蕗の薹)
茶事をする時は約2か月前にお客さまへメールでご都合のお伺いをします。本当は1ヶ月前で良いのでしょうが、忙しい方もいらして2ヶ月前でも遅すぎたかしら?と思うほどです。
第2回目は5月中を予定していて、今まさにお客さまのご都合をお伺いしているところです。
古いブログの記事を読み返していると、その時の茶事の悩みや迷いを思い出すと同時に、心に入って来る文章に出合うことがあります。茶事のお正客様が決まらずに不安を感じていた時だったので、何か天の啓示を得たような気がしました。
(如来三尊像(北魏) 根津美術館にて)
禅心茶話・・「捨てる」と「放つ」」(淡交2006年7月)に書かれた次の文章が心に入って来たからでした。
私たちの心は、時として不安やストレス、様々な欲望、嫉妬や羨望、優越や劣等といった悪心を内に詰め込み、自らの行動を縛りあげてしまっている。
心がちっとも片付かない。
片付かない心は、意志と決断が緩慢になるから、必然的に自己中心に向かってゆく。それしか方向がないのだ。
「放つ」ということは、心を片付けるということだ。
片付いた心は、自ら信じる道筋に沿って、幸も不幸も、成功も失敗もすべて、その場その場の心のピュアなはたらきとして受け入れていくのである。あるがままに。・・(後略)・・
すべてをあるがままに受け入れて、私は今やれることを全力で尽くせばよいのだ。そう自分に言い聞かせると、心が片付いてすっきりしました。
昨日、新たなお正客様から嬉しいご返事を頂き、5月の茶事を全力で頑張ろう! お客さまやスタッフの方たちと一緒に大いに楽しもう!と思っています。