マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『ピカソ展』・・・ピカソの絵の変貌はピカソの日記でした。 そして 『新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。』

2016-07-02 19:52:10 | 絵画。写真。

 天才ピカソ 23歳


外目にも、好男子だったのですね。知りませんでした。

天才の秘密を解く鍵・・・そのⅠ『名前がユニーク』

洗礼名が、パブロ、ディエゴ、ホセ、フランシスコ、デ・パウラ、ファン・ネオムセノ、
マリア・デ・ロス・デメディオス、クリスビン、クリスビニアノ、デ・ラ・サンティシマ、トリニダーノ、11個。
そして 父方の姓・ルイス と 母方の姓・ピカソ。 熱心なキリスト教徒でした。
天才といえども、自分の名前のすべては覚えられなかったとか?


『ピカソ、天才の秘密』  -ピカソ芸術の根幹に迫るー
『ピカソ絵画展』に行ってきました。

天才・ピカソの秘密を解く鍵…そのⅡ『その創造の秘密』


皆様!天才ピカソの絵というと、皆様はどんな絵を思い浮かべますか?

①色々の形がパズルのように組み合わさった絵。
②まるで福笑いのように、目や鼻や口がおかしな位置についている絵。

そんなイメージがあるかもしれません。
天才だから、普通の人には分からない絵が描けるのだ。という人もいるでしょう。
でも、ピカソは最初からそのような絵を描いていたのではありません。


皆様!
今日は、『年代順ピカソの世界』をお楽しみ下さい! 
  『The Secret of Picasso's Genius ピカソの天才の秘密』 『本』を参考にしました。

第1章:『少年時代』:1874年~1901年:13歳~20歳

美術教師だった父の手ほどきで、みるみるうちに早熟の才能を発揮したピカソ。


『自画像』     1896年(15歳)作品 

美術学校の教育に飽き足らず、美術館で先達の作品に学びながら成長していく。
10代にして、多彩な作風、人や社会への鋭敏なまなざし。 驚嘆するほかありません。

ピカソ曰く:
『私は子供らしいデッサンを描いたことが全くない。決してね。どんな幼い時もだ。』


天才・ピカソの秘密を解く鍵…そのⅢ『私の作品は日記のようなもの』

ピカソの創造の秘密は、『ピカソの日記』を読み解くようなものです。

ピカソは、子どもの頃から、早熟な才能を発揮はしていましたが・・・
天才が天才と呼ばれるようになるまでには、人生の様々な道のりがあり、
そのつど一人の人間として、悩み、苦しみ、歓び、そして挑戦するという日々の積み重ねがあったのです。


第2章:『青の時代』:1901年~1904年:20歳~23歳

1901年、ピカソの『青の時代』が始まります。

親友の自死によるショックや、無名画家としての貧しい生活は、
ピカソのカンヴァスを、メランコリックな青い色調で覆います。


『青い肩掛けの女』   1902年(21歳)作品 

同時に、
社会的弱者へと目を向けさせ、『人間に対する深い洞察力』を培っていきました。


『海辺の人物』  1903年(22歳)作品
痩せ細った家族。目が見えないのか?息子の頭に手を任せる父親。

『青の時代』の作品からは、
ピカソの制作の原動力というべき、
『人間への共感』そして『生へのあくなき関心』 が伝わってきます。

ピカソ曰く:
『カザンジェマスの死について考えながら青色の絵の具で描くようになったんだ。』


第3章:『バラ色の時代』:1905年~1906年:24歳~25歳

1904年の春から、ピカソはパリに住み、技術仲間と共同生活を送り始めます。
美しい恋人もでき次第に心の安定を取り戻したピカソの絵は、
ピンクを主調色としたものに変わり、
道化師や市井の人々を、繊細な叙情性をもって、描くようになりました。


『青の時代』から、『バラ色の時代』へ。
『技法』も『被写体』も変わって行くのです。


『扇子を持つ女』  1905年(24歳)作品

『バラ色の時代』の初期の作品は、
色彩は女性の服の青緑が一番強く、全体的に青っぽい印象を受けます。
『青の時代』の作品と見間違いがちです。
しかし、
同じ女性像であっても、描かれる対象は、
『青の時代』を特徴づけていた社会の下層に生きる女性ではない。


『パンを頭にのせた女』   1906年(25歳)作品
恋人・フェルナンドとピレーネ山脈の小村・ゴゾルに滞在。
『恋人が村の衣装を着た作品』。

『バラ色の時代』の作品に・・・
自らの人生のリアルな体験や感情を制作の本質とし続けた
『人間』ピカソの足取りをみることができます。

ピカソ曰く:
『私の内面は、否応なく私の絵画に表れる。』


第4章キュビズム時代』:1907年~1920年:26歳~36歳

1907年、ピカソのとどまるところを知らない創作意欲は、
美術界を震撼させる『新たな作風』を誕生させます。 『キュビズム』の始まりです。


『頭部』   1909年(28歳)作品

描く対象を、さまざまな視点から分析・解体して、再構成した奇妙な絵。
しかし、
それもまた、ピカソにとっては必然であり、生涯続く挑戦のワンステップでした。


『ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙』  1913年(32歳)作品

人生の新たな展開とともに、ピカソの作品はその後も、更なる変貌を遂げていったのです。

ピカソ曰く:
『あらゆる創造活動は、まずなによりも破壊活動である。』

そんな中・・・


『オルガ・ピカソの像』  1918年(37歳)作品
美しいロシアの貴族の娘と結婚。

幸せな結婚生活の中で・・・『新古典主義の時代』へと向かうピカソ。
画法が、又、進歩していきます。


『母子像』   1921年(40歳)作品

第5章:その後・・・ピカソは91歳に至るまで、変貌の創作活動をつづけました。

以上。
楽しみいただけましたか? 長々と。お粗末様でございました。

色々の形がパズルのように組み合わさった絵。とか
福笑いのように、目や鼻や口がおかしな位置についている絵。等。
と、考えていた私の『ピカソへのイメージ』が、まるで間違っていたことに気づいた感動を、
皆様にお伝えしたかった次第でございます。 

『ピカソ、天才の秘密』をお知らせしたかった次第でございます。
ありがとうございました。


そして。
今日は、7月2日。年間第十三土曜日。
 『今日の福音書 イエスの言葉』

『新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。
そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。

新しいぶどう酒は、新しい革袋へ入れるものだ。
そうすれば、両方とも長もちする。』  
マタイ福音書 9章14-17


 こういうことでしょうか?

キリストは、
それまでのユダヤ教を、更に進展させて、新しい精神、新しい考え方をもたらしました。
それは、救い主の到来がもたらした、『救い主の時代の喜び』です。

私達は、
キリストのもたらした『新しい救い主の時代の喜び』を受け容れるためには・・・

今までの精神や考え方に捕らわれれていては、
イエスの考えは私達の理解を超えているので、私達の心は破れてしまうのです。

全く、新しい気持ちで、イエスの良い知らせを受け容れなければなりません。

ピカソも、
自分の今までの心の在り方を変えて、新しい自分になった時に・・・
『新しい日記』が生まれ、『新しい技法』が始まったのです。

私達も、
新しい自分になるために・・・
今までの考え方を否定するのではなく、
『新しい心の定規』を持つことが問われるのではないでしょうか? 頑張りましょう!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、美術館や博物館の訪問がお好きですか?
私は大好きです。
そこで、自分の感性や美意識が高まり・・・『新しい心の定規』が育っていくのが分かるのです。

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本日のランニング:8㎞    7月ランニング合計距離:8㎞


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