マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

旧約聖書・・『天地創造』

2011-11-11 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

旧約聖書:創世記:1章1節 『初めに、神は天地を創造された。』


   11日:金曜日午後
 聖書通読会・新クラススタート。
”3年間半後の聖書完読に向けて頑張ろう!!” 13人で気勢。男3人。女10人。

今日の通読箇所:
旧約聖書1章と2章だけ。 神の、『天地創造』の順序、が書かれている。


1章1節
『初めに、神は天地を創造された。』 聖書の始まりの言葉。

創造の初日:
全ての最初に、『「光あれ。」 こうして、光があった。』  『光』を創造されます。
2日~5日:
「大空』→『海』→『草木』→『太陽と星』→『生き物』 と、順次、毎日一つづつ、創造されます。
天地創造最後の6日目:
『神は御自分にかたどって人を創造された。男と女に想像された。』(1章27節)


  神は、天地創造の最後の日に、人間を創造されました。

聖書通読会クラス:
当日の聖書通読箇所の、読後の感想を述べる。一人ずつ。参加者全員。神父も同様に。それだけ。説明はご法度。

私の今日の感想:
疑問ばかり。疑問も、大いなる感想です。 と言われる。

「何故?何のために?神は人を創造なさったのだろうか
聖書の最後の最後の言葉(ヨハネ黙示録・22章21節)は、『主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。』と締めくくられる。
神は、ご自分の愛の対象として天地創造で人を造り、ご自分の恵みと愛をすべての人に与えたかった。のではなかろうか

人は、自分の愛の対象が、欲しいものです。 独りでは寂しすぎる。独りはむなしい。
・・『人が独りでいるのは良くない。彼にあう助ける者を造ろう。』 と神も考えた。
神は、『女を造り上げ、彼女を人のところへ連れて来た。』 『二人は一体となる。』
神も、ご自分の愛の対象として、人を創造なさったのだろうか?


「何故? 神は、結果として、エデンの園(天国)からエデンの東(この世)に、人間を、送り出したのだろうか

『エデンの園の中央には、『命の木』 と 『善悪の知識の木』 を生えいでさせられた。』
『善悪の木からは、決して食べてはならない。 食べると必ず死んでしまう。』   天地創造より。

『善悪の木』のおいしそうな実を食べ・・園から追い出されるという霊的死を向かえ・・エデンの東(この世)に住むようになった人。

日本のことわざ:「可愛い子には旅をさせ」
聖書:旅に出て、初めて、父(神)の偉大さに気付く放蕩息子。(ルカ福音書15章18節)
・・子供(人)は、世間に出してつらさや苦しの体験をして、初めて、本者の人間になれる。という親(神)心から、一度、別世界へ送り出したのだろうか?


「この世に70年100年と生きる=人の人生の意味と目的=は何なのだろうか
聖書の最後の書(ヨハネ黙示録・22章14節)に、人生の意味と目的が書かれている。 ように思います。
『命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を清める人は幸いである。』とあるように・・。

『命の木』の権利を・・エデンの東(この世)での70~100年の人生の後・・神の恵みによって与えられ・・エデンの園(天国)へ帰還する人間。


  人の人生の目的は・・エデンの園(神の元)への帰還。 と聖書は語る。


「この世の人生を、どのように送るべきなのだろうか」 難問が心を離れない。


  な~んて・・今日の私の感想のかいつまみです。 恐れ入ります



   11日:金曜日夜
夜9時半出発・夜行バス 孫守のため、新潟向けてGO!GO!
  8時間の旅。 誰にも何にもじゃまされない、”読書タイム!”と準備万端


   準備した本  『孔子』 

井上靖:晩年82歳・没前3年・最後の作品です。

 車中・・読書灯をつけて・・一気の完読でした。5時間。


書中
偶然にも用意された=「この世の人生を、どのように送るべきなのだろうか」=答。孔子が語る。


「確かに自分は五十にして天命を知った。」
「天、何をか言うや。四季の運行は滞りなく行なわれ、万物は成長する。併し、天は何も申しません。」
・・孔子はそれについては一言も説明なさいませんでした。 それぞれ自分で考えよということでございましょう。

・・雷鳴、雷雨の”迅雷風烈”に対しては、孔子は居住いを正して、それを迎えるようにしています。
「疾風、迅雷、豪雨といったものは、天の怒りであると考えるのが、一番自然のようである。
天の怒りであるとするからには、人間は心を虚しうして、それに対さなければならない。
そういうわけで、自分はいつも居住を正し、ひたすらにその天の怒りの声に耳を傾け、その鎮まるのを待っている。
いずれにせよ、他の何物にも替えることのできぬ、自分の心を洗いきよめる大切な時間になっております。」

「このみだれにみだれた世から眼をほかにそらせてはいけない。
どんなことがあっても、人間が生きひしめいているこの現世から足を外してはいけない。
そうではないか、この人という名で呼ばれているやからと共に生きるのでなくて、他の何ものと共に生きようというのであるか。
所詮、鳥獣の群れに入ることはできないのだ。」

「この地上に生まれた以上、やはり生まれてよかったと思うものを、人間は持たなければいけない。それには、どうしたらよいか。」
・・これが孔子が、毎日のようにお考えになっていらしゃることであろうか。と思います。



以上。 すべて、『孔子』 の転記です。
  長くなりました。陳謝!

『聖書』(神)も、『孔子』も、答を出さない。 考える事が良し。 人それぞれの答。 それぞれが良し
読書三昧の一日。良いものです。ご意見頂戴いたしたくお待ち申し上げます





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