4月21日。木曜日。雨。
今日は
久しぶりの雨。
庭に咲き出した・・・ 『都忘れ』
『別れ』の花言葉を持つ『都忘れ』
『ボルボと別れの朝 都忘れの咲きにけり』
息子家族からあずかっていたボルボ車
”車庫ができたので、引き取るね。
今までありがとう。”
との息子に、今日ボルボを引き渡しました。
ボルボには2年間ほど
乗っていたのだろうか? 預かっていたのだろうか?
My『愛車』となった車との別れは、いつもつらい。
私は、超シンプルな車、
動くための機能だけを備える車を、
自分の運転能力を最大限に使って、
重厚なエンジン音を聞きながら運転するのが好きです。
一方、
息子のボルボ車は、超ハイテク車、
数々のボタンを押せば車が勝手に動いてくれるような車で、
エンジン音もないほどの静かな運転でした。
18歳から始まった『My自動車人生』
My『愛車』履歴は10台になります。
愛したMy愛車との別れに、その度に涙する。
高齢者となった今・・・
今までのような馬力のある自動車ではなく、
年相応のおとなしい自動車にしましょうか!?
いやいや、
『My自動車人生』に終止符を打ちましょうか!?
To be, or not to be, that is the question.
その昔・・・
「女の子が自動車運転は危険が多い
せめて成人になってから」
と言った私の父親。
「女の子が・・・。とは心外ですね。
女と男の差があるのですか?」
と言った私の母親。
結果は・・・
母親の勝利で始まった私の自動車人生です。
私の年になったら・・・
「危機感を持って、
自動車運転は終わりにしたら?」
と、父だけでなく母にも言われそうですね。
今日、
私と同じ年のアスリート仲間から・・・
『私は心身共におばあちゃんになってきましたが、
あきらめが悪く、もう暫く走れたらと思っています。』
と、昨年12月のマラソン大会の『勇姿』の写真が
送られてきました。
今日もいろいろと迷って・・・
To be, or not to be, that is the question.
自分の結論を出す。
それが生きている感じが強くて、楽しいのです。
感謝!感謝!
そして。
今日は4月21日。復活の木曜日。
『今日の入祭唱』
『主よ、死の国から救われた人々は、
力強い御手を、心を合わせてほめたたえた。
知恵が、口の利けない者の口を開き、
幼児にもはっきり語らせた。 アレルヤ。』
知恵の書 10章20-21節参照
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『きょうこそ神が造られた日、喜び歌え、この日をともに。』
詩編 118章24節 アレルヤ、アレルヤ。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、
道で起こったことや、
パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
こういうことを話していると、
イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、
「あなたがたに平和があるように」
と言われた。
彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。
そこで、イエスは言われた。
「なぜ、うろたえているのか。
どうして心に疑いを起こすのか。
わたしの手や足を見なさい。
まさしくわたしだ。
触ってよく見なさい。
亡霊には肉も骨もないが、
あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」
こう言って、
イエスは手と足をお見せになった。
彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、
イエスは、
「ここに何か食べ物があるか」と言われた。
そこで、
焼いた魚を一切れ差し出すと、
イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
イエスは言われた。
「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、
必ずすべて実現する。
これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」
そしてイエスは、
聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。
「次のように書いてある。
『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
また、罪の赦しを得させる悔い改めが、
その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。
エルサレムから始めて、
あなたがたはこれらのことの証人となる。」』
ルカによる福音書 24章35-48節
復活されたイエス様は、
二人の弟子たちと共に、エマオまで歩きました。
その後、
今日のイエス様は、
他の弟子たちの前に現われ、復活を確認させました。
二人の弟子は、
イエスの受難後、自分の村・エマオへ帰って行きました。
その道中で、イエス様が現われ、共に食事をしました。
その時に、イエスの復活に気づき、『信仰』ができたのです。
他の弟子たちは、
戻って来た二人の弟子の『信仰の証』を聞きました。
しかし、その時はまだ『信仰』ができませんでした。
そんな所に、イエス様が現われたのです。
イエス様は、
『あなた方に平和があるように』と言われました。
それでもイエスの復活を疑う弟子たちの前で、
焼いた魚を食べました。
その上で、『聖書の言葉』を思い出させた時、
イエスの復活を確信して、『信仰』ができたのです。
復活なさったイエス様は
いつも私たちと共にいてくださいます。
しかし、
そのお姿を見ることも、感じることはできません。
イエス様がご自身を現すことがあります。
その時は、イエス様が分かり、見えるのです。
イエス様は、弟子たちの前に現われました。
弟子たちは、
※その時から、『イエスの復活の証人』となったのです。
復活されたイエスから、
※その時に、その事実を人に伝える『使命』を受けたのです。
私たちも、
イエスの御姿が見えなくても、
※イエスは、いつも、誰とも、一緒にいてくださること。
※私たちの生活の中で、一緒にいてくださること。
を信じたいものです。
祈りましょう。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
これからはしばらく『菜種雨』と云われる、雨模様が続くようです。
雨模様の中での美しい花々の開花を楽しみましょう。 お元気で!
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