マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

母となる驚きと楽しみと苦しみと悲しみ そして 喜び。 そして 『聖母の訪問』

2016-05-31 20:32:12 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

今日は、一日中、
聖母マリアや我が友人や我が亡き母の、母親の愛情の深さを考えていました。涙もちょっぴり。

『天使は言った。
「あなたは身ごもって男の子を産む。」』


『受胎告知』         エル・グレコ作品

『天使は、ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされた。
そのおとめの名はマリアといった。
天使は、彼女のところに来て言った。
「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

マリアは言った。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
そこで、天使は去って行った。』 ルカ福音書 1章27-38


若かった私にも、私の友人にも、マリア様同様に、天使のお告げがありましたよ。
「あなたは身ごもって、男の子を産む。」と。 驚きましたが、嬉しかったですね!


そして。
今日は5月31日『聖母の訪問』の祝日です。


『聖母の訪問』

『今日の福音 天使(神の御使い)の言葉』

『天使は(マリアに)答えた。
あなたの親類のエリザベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。
不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。

マリアは出かけて、ザカリアの家に入ってエリザベトに挨拶をした。
エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。
「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子様も祝福されています。」

マリアは、三か月ほどエリザベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。』
       ルカ福音書 1章35-56


私と私の友人は、同じころに結婚し、同じ頃に身ごもりました。
私達は、同じ学校で同じ東京で育ち、偶然にも同じ会社に勤める伴侶達に出会い、
遠い神戸の地に嫁ぎました。
で・・・
知り合いのいない神戸の地で身ごもった私達は・・・
マリアやエリザベト同様に、お互いに訪問しあい、励まし合いました。嬉しいことでした。


月満ちて。
イエスの誕生。


『イエスの誕生』

『そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、
ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、
布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。』 ルカ福音書 2章1-7


赤ちゃんの誕生。
産まれるまでは心配な赤ちゃん出産ですが、無事出産で一安心、嬉しく幸せですよね。
飼い葉おけにイエスを寝かせるマリアも、私達・友人と私も無事の出産で、幸せでした。


よちよち歩きの赤ちゃんイエスを見守る『聖家族』は、幸せいっぱい、幸せの象徴です。


祖母・聖アンナと母とイエス。  そして  父母に話しかける幼子イエス。


幼子イエスも育ち・・・


『仕事中の父に光をかかげる少年イエス』

『イエスは、両親に仕えてお暮しになった。
イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人に愛された。』 ルカ福音書 2章51&52


ヨセフとマリアの子イエスは、背丈が伸び、元気に育っていきました。
私の子供も同様に、元気に、どんどん大きくなっていきました。楽しみでした。
ところが。
神はどんなお考えがあったのでしょうか? 
私の友のお子さんは重度の障害をもって産まれました。大きくなるのは難しいことでした。


私は学生時代にクリスチャンとなりました。
友人ご家族は、お子さんの誕生後に、「この子のお蔭で神に出会えました」と、聖家族となりました。
神様の計らいは極め難いですよね。
『あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。』と言われる神です。
    ヨハネ福音書 15-16


友人夫婦は、
ヨセフとマリアの生き方を自分達の生き方とし、お子さんを大事に育てました。
神の御心が理解できないことは、『これらのことをすべて心に納めて』 (ルカ書2-51)、前に進みました。

お子様は生まれつき、片目がない。舌と足が短い。他にも色々。順次の手術の連続でした。
勉学もなかなかはかどりませんでした。友人がつきっきりで教えていました。


そして。

イエスは、『永遠の命への道』を人類に開くために、人類に御自分の命を差し出されました。


『十字架のそばに立つ母マリアと二人のマリア』

『イエスの十字架のそばには、
その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。』
  ヨハネ福音書 19章25節


『イエスの降架』               ルーベンス作

イエスの体を支えるように、手を伸ばす母マリア。

母マリアの苦しみと悲しみは、頂点に達し、他者には計り知れません。
母になることは、マリアも友人も、耐えがたい試練の連続です。

母マリアは、我が子を抱きしめることしかできませんでした。

『ピエタ』                        ミケランジェロ作

つくづく思います。

母になるということは、
受胎告知以来・・・
驚きと楽しみと苦しみと悲しみ そして 喜びの連続です。


私の友人・聖家族は、
(私の幼友達である)母親は、我が子を思う心労が重なり、我が子への思いを残しながら、55歳にして亡くなりました。私の友人は、神を信じ、我が子のために自分の命を差し出しました。
父親は、エンジニアの仕事を終えた定年後に、「これが神の御計画であったか?」と、
神学校に入学し、ラテン語やギリシャ語に苦しみながらも卒業して、牧師になりました。
大事な一人息子さんは、不自由の身が我が身であると信仰によって受容し、
素晴らしいことに母親の献身的な努力のお蔭でしょう、健康な人と共に大学での学びを終え、今は父親と共に教会の運営に携わっておられます。

友人家族は、
聖母マリアをはじめ、諸聖人方や友人達の信仰や愛の模範に励まされ、
祈りの内に、信仰の歩みを続けられたのです。 御立派です。私の信仰の模範です。

聖母マリアは、
イエス亡き後は、夫ヨゼフも亡くなっていましたので、イエスの愛する弟子・ヨハネと共に生涯を全うされました。
『イエスは愛する弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」
その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。』 ヨハネ福音書 19章27節 
マリアとイエスが一番愛した弟子との生活は、イエスを誰よりも愛する者同士で、きっと心の平安が保つことができたのではないでしょうか? お幸せであられたと信じます


私は、

友人家族と共に歩みながら、友人の御苦労を聖母の悲しみと苦しみと重ねて考えながら、
友人家族から、『神の計画』の不思議を学びました。
学生時代~結婚~出産~子育て~友人の死と夫たちの定年~今まで。と友人と縁が続く不思議をも、考えさせられます。

『神の計らいはかぎりなく、生涯わたしはその中に生きる。』 詩編90章
 

人の一生は、終わってみなければ、その意味が分からないところがありますよね。
しかし、
聖母マリア様や友人のように、揺るぎない母親の信仰心と海よりも深く空よりも大きな母親の愛情が、子ども達のタレントを生かす力となるということだけは、人の一生に於いて確かなことです。

 
『今日の拝領唱』
『いつの代の人もわたしを幸せな者と呼ぶ。力ある方が、私に偉大なわざを行われた。』
  ルカ福音書 1章48&49

聖母マリアの人生も私の友人の人生も、幸せでした。
確かに、力ある方が、二人に偉大なわざを行われました。 
   
   

 
『熊本地震』の被害に遭われている皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
何事にも、『お言葉どおり、この身に成りますように。』と返事のできる信仰が欲しいものですね!


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