8月11日。木曜日。快晴。
今朝は、
5時の『早朝ウォーキング』を中止。
更に早く、
4時半から『木々の剪定』を始めました。
あの木もこの木も
猛暑の中、涼しいのがよかろうと
切り込みました。
スッキッリクッキリと切り込まれた・・・ 『棕櫚』

朝4時半。すでに28度の暑さ、それでも空気はさわやかです。
昨日・10日。
厚生労働省の確認で、
『新型コロナウイルス新規感染者』:『25万0403人』
過去最多を更新した。
過去最多を更新した。
一日当たりの新規感染者が25万人を上回るのは初めて。
これまで最多だった前週水曜日(3日)に比べ約600人の増加となった。
いよいよ、『ウイズ・コロナ』
コロナと共存の生活を模索するときが来ました。
私の ※『ウイズ・コロナの毎日』※ は、
コロナをきっかけに、
※大好きな旅行や登山やマラソン大会への参加の『機会を失った。』
※運動は、人のほとんどいない5時の『早朝ウォーキング』のみとなった。
※運動量大幅減少のために、
太らないように、又 免疫力低下とならないように、
『食生活』に気をつけるようになりました。
一方。
手入れも何もいらない・・・『多年草』

毎年、何の手入れをしなくても、可憐な花を品よく咲かせる。かわいい♡♡
『ウイズコロナ生活』
何もかも、マイナスの方向に心が向きそうです。
それでは、コロナに負けたことになります。ダメです。要注意です。
コロナに負けない生活の模索です。
今までと同じではなく、♡『新しい生活』♡ の始まりです。
何よりも大切なことは、個人の楽しみがいつまでも続くこと以上に、
一人一人の『命』をいかに守るかではないでしょうか。
そのための『新しい生活』はどう変わるべきか?
今日も、私は、一日中『Stay Home』。
『ウイズコロナ生活』です。
それでも、
3時間の木々の剪定仕事を終えて、
運動量の補充ともなり、幸せです♡♡
美しくなったMy『庭園』を眺めて、幸せです♡♡
感謝!感謝!
そして。
今日は8月11日。年間第十九木曜日。
『聖クララおとめ 記念日』

1193年。 イタリア中部アシジの貴族の長女として生まれました。
1211年。18歳。同じ町に生まれた聖フランシスコの説教を聞きます。
そこで、「イエスの愛に生きよう」という熱い望みを抱き、
すべてのことを捨てて歩む決意を固め、
フランシスコに従って清貧の生活を送ります。
1215年。22歳。フランシスコの助力を得て、女子修道女会(クララ会)を創立した。
謙遜と愛徳に満ちた生涯を送った。
1253年。60歳。 死去。
『毎日の読書』より
『今日の入祭唱』
『若者よ、おとめよ、老人よ、幼子よ、主の御名を賛美せよ。
主の御名はひとり高く、威光は天地に満ちている。』
詩編 148章12-14節
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『御顔の光をあなたの僕の上に輝かせてください。
あなたの掟を教えてください。』
詩編 119章135節 アレルヤ、アレルヤ。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。

「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、
何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
イエスは言われた。

「あなたに言っておく。
七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
そこで、天の国は次のようにたとえられる。
ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
決済し始めたところ、
一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。
しかし、返済できなかったので、
主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って
返済するように命じた。
家来はひれ伏し、
『どうか待ってください。きっと全部お返しします』
としきりに願った。
その家来の主君は憐れに思って、
彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。
ところが、この家来は外に出て、
自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、
捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
仲間はひれ伏して、
『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。
しかし、承知せず、
その仲間を引っぱって行き、
借金を返すまでと牢に入れた。
仲間たちは、
事の次第を見て非常に心を痛め、
主君の前に出て事件を残らず告げた。
そこで、
主君はその家来を呼びつけて言った。
『不届きな家来だ。
お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
わたしがお前を憐れんでやったように、
お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
そして、主君は怒って、
借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。
あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、
わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、
ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。』
マタイによる福音書 18章21節~19章1節
今日のイエス様は、
『イエスの弟子であるなら、どんな時も兄弟として互いに許しあいなさい。』
又 『許さない人は、神に許されないであろう』
と、ペトロの質問に答えました。
ペテロは、
自分に罪を犯した人なら、7回も許せば、非常に寛大であり十分ではないか? と考えていました。
すると、
イエス様は、
『七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。』 と言われたのです。
考えてみれば、
私たちだって、
2~3回は許せても、4回以上は許せないで、一言文句を言い始めることでしょう。
神様は、
神さまに返済は無理な膨大な借金を抱えている私たちを、
神から赦しをいただく資格のない私たちを、
憐れに思い、許してくださるのです。
至らない私たちを、
もっと良い生活をするようにと、
信用して、何回も許してくださるのです。
私たちも、
たぶん、自分は誤っていないと思って、人を許せないのでしょう。
ところが、自分もお人同様に弱いものだ、罪を犯す者だ、と認めることが出来れば、
人の弱さを理解でき、お人を許せるのでしょう。
それ以上に、
自分はその資格はないのに、いつも神様から赦しをいただいていることに気づくなら、
神の慈悲を思って、お人を何回でも許すのです。
祈りましょう。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
どうぞ、コロナ感染にも熱中症にも、くれぐれもご用心の毎日をお送りください。
毎日が穏やかな日々でありますように。 お元気で!