4月8日。月曜日。暖かい日差しの穏やかな日。
満開・・・ 『明石城の桜 桜のトンネル』
昨日に続いて、今年二度目の『観桜会』
信濃松本藩主であった小笠原忠真が、苦心して築城したことで知られている『明石城』
1617年(元和3年)。濃松本藩主より明石藩主となった小笠原忠真は、
明石川河口西岸にあった船上城に入城。その後、苦心して明石城を築城する。
それから、17代にわたる歴代城主、257年間続く。
1874年(明治7年)。廃城令により、最後の城主・松平直致で、廃城となる。
見事な桜が素晴らしい
夫と二人で・・・ 『心が洗われるね!』
夫が、突然、歌を詠みだした。
“願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃”
西行は、
”どうか、春の、桜の花の咲く下で死にたいものだ。”
”あの釈迦が入滅なさった二月十五日・釈迦の入滅の日頃に。” と願いを込めました。
そして、日頃の念願どおり、二月十六日:現行暦の3月24日桜咲くころ、にこの世を去りました。
夫は、どんな気持ちをこめて、この『歌』を口ずさんだのでしょう。聞きませんでした。
私達夫婦で、同居した私の母と『桜のトンネル』をくぐったことを思い出し、今日もくぐりながら、
私達のこれからを、しみじみと語り合いました。
桜が心を洗ってくれるのが素晴らしい
花見といえば・・・ 『ちらし寿司』
桜の下で、今朝作ったちら寿司、おいしく頂きました。
あれこれあれこれと、話も進む。
話も食事も楽しくしてくれる桜が素晴らしい
桜の下・・・ 『夫婦の散歩』
”来年も再来年も・・・今まで通りに来ましょうね!”
日本人の桜を愛でる心が素晴らしい
昨日は友人と観桜。今日は夫と観桜。
二つはまるで違う時間が流れる。
二つの時間を持てる私は幸せ者です。 感謝!感謝!
そして。
今日は4月8日。四旬節第五月曜日。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。
「わたしは世の光である。
わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」』
ヨハネ福音書 8章12-20節
『光』とは何か?
光といえば、周りを明るくしてくれる。暖かい。そんなイメージです。
では、信仰の世界での『光』は、何を意味するのか? 疑問がわきます。
私が疑問を持つと・・・
ひも解く愛読書:『キリスト教のシンボル』を、今日も開いてみました
昭和41年第2版発行。100円。編者:福岡サン・スルピス大神学校。
『ろうそく』の項を見てみましょう。
『「天地創造の最初に、『光あれ。』と神は言われ、神は光を見て良しとされた。」
創世記1章3&4節
『光』創造の時以来、時代や民族にかかわりなく、
『光』は、神聖と善のシンボルとされてきたのである。
『私は世の光である。私に従う者は暗闇の中を歩かない。』
と、イエス・キリストもご自分について、仰せられている。
教会は典礼儀式に必ず『ろうそく』を用いることによって、
全世界にこの『真理』を宣言してきた。
御復活祭前夜の聖式での『新しい火』と『復活祭のろうそく』の祝別を重要視します。
この『復活のろうそく』には、『死からよみがえり給うたキリストの象徴』 として、
御復活から40日間『火』をともすことになっている。
洗礼の時に、『火』のともったろうそくを受洗者に持たせるが、
これは洗礼の秘跡によって、霊魂が霊的によみがえったことを意味している。
『火のともったろうそく』は、『キリストご自身』を象徴するだけでなく、
信仰による『照明』をも意味する。
天の御父に栄光を帰するために、
『聖ヨセフ』 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作品
自分の生活の場で『光』になること、
これこそがキリスト信者一人ひとりに与えられた基本的な使命なのである。
以上。『キリスト教のシンボル』より。
天地創造以来・・・
『光』に守られて、現在に至る。ということですね。神に感謝!
『光』はキリスト。 私も、ろうそくのように身を削って、世を照らす『光』にならなくてはね。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私たちも光を仰ぎながら、暗闇に迷うことなく、明るい毎日を過ごしてまいりましょう。 お元気で!