マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

♪ちいさい秋みつけた♪  旅編 その④  娘二人

2014-08-30 21:05:46 | 休日(GW。夏休み。冬休み。休暇。)
    ♪ちいさい秋みつけた♪ 旅編 も終わりです。

 すべてのことに、嬉しい初めがあり そして 寂しい終わりがある。
『♪ちいさい秋みつけた♪ 旅編』 にも、寂しい終わりの時がきました。

 旅の終わりの寂しい時に見つけたのは『愛』です。 『娘二人』です。
    『愛』 こそが、寂しさを埋めてくれます。

      私には、『二人の娘』 がいます。

その一人は 『お嫁ちゃん』
旅の最後の夜。
 嫁と姑。 二人だけで・・・  
         『COEDO』

お互いの夫はすでに就寝 
   女だけで飲みましょうか? と。お嫁ちゃん。
  飲みましょう!飲みましょう! と。私。

    気心の知れた者同士は、
特別の話題はいらない。 一緒に座っているだけで良い。楽しい。
 新しく購入した『電子レンジ』の話題であったり・・・。
               それで嬉しい。

お土産をお持ちくださいね。 と。お嫁ちゃん。
       『手造り味噌』

関西人のお嫁ちゃんも、すっかり名古屋人?  
            『赤味噌』 です。 ありがとうね

もう一人の娘は 『My娘』
やはり・・・
別れの時。
 もって帰ってね。 と。   
別れ間際に摘んだ    『手造り野菜』

忙しい日々でも、手造り野菜を作る娘。  ありがとうね
   思い出します。
私も、娘が5歳の頃に貸し農園で車で水を運んで、野菜作りをしましたよ。

      母と娘は、
お婿さんが”そっくりです”と言う。 顔も声もそっくりです。楽しい。
 子育てを終え、今では、負うた子に教えられ日々であったり・・・。
                 それで嬉しい。

以上。
『♪ちいさい秋みつける旅♪』  終わりです。帰宅しました。
そして
  今日は8月30日。      
楽しい思い出を沢山作った 『♪2014年夏休み♪』 も終わりました。

皆様!
御訪問に心より感謝申し上げます。
『My夏休み旅日記』への御訪問にも、改めて、感謝申し上げます。 8月最後の31日を素敵にお過ごしください。 





♪ちいさい秋みつけた♪  旅編 その③  歴史散策・岐阜城

2014-08-30 04:22:14 | 休日(GW。夏休み。冬休み。休暇。)
             『岐阜城』

1567年(永禄10年)9月。 ちょうど447年前。 織田信長33歳。
   『稲葉山城の戦い』
かねてから美濃攻略を狙っていた織田信長が、稲葉山城下に進攻。 
城主:斉藤龍興(斉藤道三の長男&父親を殺害&妹・帰蝶は信長の正妻)は、城を捨てて長良川を舟で下り、伊勢長島へ逃亡した。
    念願かない・・・ 
信長は、本拠地を、小牧山城から、稲葉山城に移転。
古代中国で周王朝の文王が岐山によって天下を平定したのに因んで・・・
  稲葉山城と町の名を 『岐阜』 と改めた。

    この頃から・・・
信長は、『天下布武』 の 『朱印』 を用いるようになり、
    本格的に天下統一を目指すようになりました。

      『天下布武の朱印』


       天下統一の始まりです!!

私は、数多い武将の中で、『織田信長』 が大好きです!  
    私が好きな理由ですよね!
      勿論、文句なしに、『日本統一を目指した最初の人』 だからです。
    『戦国時代の終結』 に最大の影響を与えた人物の一人です。
信長の政権 豊臣秀吉による豊臣政権 徳川家康が開いた江戸幕府へ。 続いていきました。

      人は・・・
 『大事』を考え、夢見ることができます。 それが大切なことです。 美しいことですよね。
      しかし・・・
『大事』を実行に移す人=改革の全ては、苦しみと屈辱。裏切りと孤独。鉄の心と意志。を要求します=は限られます。 事実です。

皆様!
今日は・・・
 織田信長が、天下布武の大事を考え、夢見て…実行に移していく最初の拠点:『岐阜城』。
        ご一緒に、見学いたしましょう!  よろしくお願いいたします!


まずは・・・
民間パーキング場(ここしかない)に駐車。

目の前に・・・    『岐阜公園』

息子夫婦と私達夫婦。                    雨の降る夕方5時の訪問です。                     
      『信長公 道三公 ゆかりの 岐阜城』
『のぼり』がたなびく・・・  『参道』        

織田信長が、
斎藤龍興から奪取した稲葉山城を破却して、新たに造営したのが 『岐阜城』 です。
               城跡は、『岐阜城跡』 として 『国の史跡』に指定されています。

    急勾配の山頂に建立された『岐阜城』
公園から城まで…4つある『登山道』で登るのか? あるいは 『ロープウエイ』で登るのか?
    4つの『登山道』
①『七曲り登山道』:1900m・60分 ②『めい想の小径』:2300m・60分 ③『百曲り登山道』:1100m・45分 ④『馬の背登山道』:1100m・35分
     ・・・私は、迷わず、②『めい想の小径』を登りたい。

でも・・・
今日は
大雨で薄暗い夕方。 で・・・  『ロープウエイ』 

上りは・・・   外が見えませんでした。
幸いに。
下りは・・・   雨が小雨に!
美しい景色が眼下に広がりました。    『長良川 と 城下町』

織田信長は、歩いたの?  それとも  ロープウエイ  籠?

    『山城』
京都に対して東の要所に位置し、『難攻不落の名城』 として知られていますが・・・
   実際には、歴史上、7回の落城 にあいました。
山頂部の平坦面は少ない。 井戸も雨水を蓄える。 そんなため・・・
   戦国時代末期の大人数による 『長期籠城戦』には本質的に不向きであった。 ということです。

    『岐阜城』
岐阜城は、小牧城、安土城と同じく、城下町を見下ろす景観に優れる。
   合戦のための城でなく、基本的に、『城主の居住空間』 であり 『見せる城』 でした。
織田信長時代には、山頂部には、信長の家族や人質が暮らしていました。
   1569年(永禄12年)に、来岐した宣教師ルイス・フロイスの書簡 に書かれています。

ロープウエイ『至山上駅』に到着。

駅あたりは・・・    『一ノ門跡』

巨石や石垣が、一部残ります。                  
               雨の夕方。私達4人だけです。
                      信長を偲ぶには、もってこいです。

巨石を道沿いに立て、並べていた様子が 分かります。        


       『道三、信長 の戦国のロマン』 です。

とうとう・・・
木々の合間に見えてきました。   
            『天守閣』


天守閣を囲む   『石塀』

急斜面の高所の築城。               権力の象徴です。
 
   『岐阜城』
     1201年(建仁元年)
二階堂行政が、稲葉山に砦を築いたのが始まりとされます。
     続いて・・・
行政の娘婿・佐藤朝光→ その子伊賀光宗→ 光宗の弟・稲葉光資 が砦の主となり支配。
    二階堂行藤の死後、廃城となる。

それでも・・・
  15世紀中頃 (1450年頃)
 美濃守護代・斎藤利永が、この城を修復して居城とする。

更に・・・
   120年程が流れ。
 1567年(永禄10年)9月。 信長33歳。 
        織田信長の居城となりました。

城の中。
2階。 私達を迎えてくれました。   『織田信長』

1階は資料館です。

3階は・・・       『信長公の間』

                       強い意志を感じさせますよね。

4階。最上階。   『全貌の間』(←私の命名です)


北側。     
美しく・・・ 『長良川』             城を取り囲むように流れます。   

           はるかかなたに・・・  私が今年の7月に登った『木曽御嶽山』
西側。
美しく・・・  『雲の間の陽光』

高みから・・・                     織田信長も眺めた『陽光』『長良川』

以上。
織田信長が『天下布武』の『一心』を、形にし始めた『岐阜城』訪問記でした。   
                  ご一緒していただけまして、感謝申し上げます

改めて・・・
『織田信長の半生』
   1567年(永禄10年)9月 信長33歳
信長は、本拠地を、小牧山城から稲葉山に移転。
   この頃から。
信長は、『天下布武』の朱印を用いるようになり・・・

          本格的に天下統一を目指すようになりました。
9年後。
 1576年(天正4年)  信長42歳
信長は、息子・織田信忠を岐阜城の城主とし、織田家の家督及び美濃、尾張の2ヶ国を譲る

更に。
6年後。
 1982年(天正10年)
     5月29日
信長は、中国遠征の出兵準備のために上洛し、本能寺に逗留していた。
 ところが・・・
     6月2日
秀吉への援軍を命じていたはずの明智軍が、突然京都に進軍。 本能寺を襲撃する。

  100人ほどの手勢しか率いていなかった信長。
    初めは自ら槍を手に奮闘した。
     しかし・・・
  圧倒的多数の明智軍には敵わず、居間に戻った信長は自ら火を放ちます。
    燃え盛る炎の中で自害しました。
       享年49歳。 没。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
歴史散策は、自分の生涯を見直す機会になりますね。織田信長に倣って、夢見る『大事』に命をかける人生も良いかもしれませんね! 
皆様にとって、かけがえのない週末となりますように!