2ヶ月ほど前、今流行の「断捨離」の第一弾として、
チューナーやスピーカーなどのアナログオーディオセットやレコード、
初期のビデオデッキやノートパソコン、
LD(レーザーディスク)デッキやLDソフトなどを処分した。
当時は最先端な機器だったが、技術の進化でゴミと化していたものである。
他にも色々と必要でないものがある。
私の場合は引き継ぐものがいないので、
永年貯めてきた「思い出のアルバム」もやがてはゴミになる運命にある。
どうせゴミになるなら、私の手で処分しようと、
アルバムの半分ほどをスキャナーにかけてデジタル化した。
デジタル化の終了したものは順次裁断しゴミになる予定である。
そんな中から一時代前に所属していた「海上自衛隊時代」の写真の一部を載せてみました。
巻頭の写真は私が勤務していた頃の「海上自衛隊下総基地」で、
駐車している車に古き時代が偲ばれます。
下の写真は叔母が劇場内の売店を経営していたため良く遊びに行った浅草の「国際劇場」。
劇場の横にあった従業員用出入口の守衛さんに叔母の名前を言うとフリーパスだったのであるが、
今は国際劇場もなく、優しかった叔母は彼岸に行ってしまった。
写真は松竹歌劇団(SKD)によるグランドフィナーレ。
当時の下総航空基地の「基地祭」。
中央に立っているのは当時のアイドル的存在だった歌手の中村晃子で、
この年か翌年に大ヒット「虹色の湖」が生まれている。
この当時は外出は制服と決められていて(現在は制服での外出は禁止されているらしい)、
よく制服のままでサイクリングに出かけたものである。
下の写真は友人と筑波山までサイクリング時のもので、バックの山が筑波山。
下の写真の、当時は新鋭機だった航空機(対潜哨戒機)も今は引退している。
尾翼についているマークが、私の所属した航空隊のシンボルマーク。