MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

写真展見学と撮影行(みいさんぽ-No.84)

2010年11月17日 | あらかると
昨日、
友人が住む高級マンションの自治会主催の「文化祭」に招かれた。
この文化祭は毎年行なわれていて、住民の文化度の高さが伺える催し物でもある。

何十年振りに会ってから3回目の見学だったが、
友人の確かな知識に裏づけされた「写真」は何時でも秀悦で
ブログのための写真になってしまっている私には学ぶものが多かった。

文化祭を見学後、マンションの付帯施設の一つである「森のカフェ」でティタイム。
巻頭の写真のように窓の外は森で、
高原リゾートのような雰囲気で四方山話を楽しんだ。

ティタイムの後は例年のように「カメラを持って散歩」
基本的には友人の地元を案内していただていてるのだが、
私には未知の世界なのでいつも「わくわく」しながら後についていく。

途中のコンビニで昼食用のパン2個と飲料を買って、
水戸街道の6号線に出てまもなく「珍しいものがある」
と言うことで「北星神社境内」に・・・・・


ななななんと・・狛犬ならぬ「狛亀?」が


なぜ「亀」なのか調べてみると、
神社となる前は「妙見信仰」により「妙見菩薩(北斗七星や北極星という自然が神の姿になったもの)」を祀っていて、
妙見菩薩が亀に乗って空を飛び回っていたため「亀の石像」も神社を守っているようだ。
高松塚古墳壁画の北斗を示す玄武の亀と同じ意味合いがあるとされている。

神社の扉には神紋の「九曜」があるが、これは北斗七星と北極星と太陽を表しており、
そういう意味では「妙見菩薩」そのものであり、神仏混合も垣間見られる。
九曜紋は「妙見菩薩」を信仰したと言われる千葉氏一族系の家紋ともなっている。

更に調べると「北星神社」を管理しているのが、
我孫子総鎮守の「柴崎神社」で、こちらにも亀の像があるという。
やはり妙見菩薩を祭祀し、妙見社、北星社、柴崎神社と変遷したと言う。

更に、日本武尊が東征のおり戦勝を祈願したと言われ、
後世には平将門(平氏の姓を授けられた高望王の三男・鎮守府将軍平良将の子。桓武天皇5世)が
千葉氏の祖である平良文(将門の養子、実際は叔父で信仰していたのが妙見菩薩)とともに
戦勝を祈願したとも言われている。

と「平将門」とも縁のある神社だったと言うことが判った。
また、手賀沼を挟んで柏市岩井と我孫子市日秀に「将門神社」があるなど・・・・興味津々である。

柏側の将門神社は将門の三女「如蔵尼」が祭祀したと言われている。
また「如蔵尼」は生まれ故郷(将門が政庁をおいた場所)には「国王神社」も建立している。
さらに、この両方の地名が今でも「岩井」となっているのも面白い。
時間があったらもう少し調査してみたいと思っているが・・・・


北星神社で昼食を取り、6号国道から手賀沼に注ぎ込む「大堀川土手」に出た。


「被写体を探しつつ」大堀川の上流を目指して歩いた。
最終的にはJR柏駅前に出る予定だったが、
街中よりは自然の中がいいと言うことで途中で引き返し対岸に渡った。


午後3時ごろから風が出てきて、氷点下のような寒さに襲われた。
何とか日のあたる場所に出てきて一息ついたら、真上に「彩雲」が現れた。
残念ながらすぐに消えてしまったため、シャッターを切ることが出来なかった。

ススキが暮れ行く逆光の中で輝き始めた。


暮れ行く大堀川で活発に餌をとっていた番(つがい)の「オオバン」。
この写真を撮る少し前からやや大きな彩雲が出ていたが
今度は高圧線が邪魔になり撮ることができなかった。
今度は長時間消えることはなかったが・・・やはり高圧線が邪魔でした。
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