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バルセロナは、函館と同じ北緯41度にある街だ。だが地中海のおかげか、12月といっても北海道のように雪と氷に埋もれることはない。ただやたらと夜明けが遅く、午前7時でも真っ暗で、通勤の市民を乗せたバスは、ヘッドランプをつけたまま行き交っている。冬時間が設定されていないのか、日本より2時間ほど日の出が遅い感じだ。だから冬至のこの日でも日没は午後6時過ぎで、モンジュイックの丘は燃えるような残照に輝いた。
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さて午前9時の開門に合わせてサグラダ・ファミリアを再訪すると、さすがに入場待ちの列は短かった。建設途上とはいえ完成部分は一般開放されていて、受難のファサードから中央身廊へ入場して見上げると、石柱は天空に延びて大樹が枝を広げているようだ。厳粛な威圧感ではない軽やかな空間が心地いいのだが、自分が聖堂のどのような位置にいるのか見当がつかない。光の天蓋の中でキリスト像が浮いている。そこが祭壇なのだろう。
鐘楼の一つにエレベーターが通じていて、あっという間に塔の高みに連れて行ってくれる。エレベーターは、石造りの建造物がいかに堅牢かを教えてくれる。螺旋階段を登ることが高さを体感する方法なのだろうが、私はドイツのケルン大聖堂で苦難の体験をしているので断念した。石段を上ることに疲れ引き返そうとしたものの、登って来る人とすれ違うスペースがなく、登り始めたら何が何でも登り切らなければならなかったのだ。
塔上の狭い展望スペースから眺めると、眼下の街は見事に区画され、整然と延びる街路が石造りのビルを仕切っている。ローマ軍が拠点を築く以前からの歴史があるというバルセロナは、日本が明治維新を起こす少し前に大規模な都市改造を実施した。サグラダ・ファミリアが建つ一帯はその時に拡張された新市街地で、133メートル四方の区画が整然と並ぶ計画都市だ。聖堂はその1区画に、やや窮屈そうなレイアウトで建設されている。
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建設途上の大聖堂など、めったに入ることができないだろうから、探検気分で地下の展示施設まで見て廻る。外部のゴテゴテ感に比して内部は案外すっきりしたもので、美しい光を演出しているステンドグラスはモダンな幾何学的フォルムでまとめられ、軽快である。外壁に見られるガウディの、直線を排した種々の飾りとはやや異質に思われる。ここまでの指示は彼も出す間がなかったのかもしれず、そのシンプルさはむしろ救いだ。
これから私たちは、バルセロナ市街のあちらこちらに残されているガウディの建造物を見て歩くことになる。そのどれもが奇妙な魅力に満ちていることは承知しているが、サグラダ・ファミリアを実際に訪ねてみて、余りに過剰な装飾に辟易としている自分がいるのも事実である。中でもガウディが直接指揮した「生誕のファサード」の、隙間なく刻まれた彫像は日光東照宮と競い合うかのようだ。過剰もまたガウディだということであろうか。
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生誕のファサード側には、通りを挟んで池の広がる公園がある。そのベンチに坐り、池越しに聖堂を眺めながら見学疲れを癒す。公園の一角は子供の遊び場になっていて、遠足に来た小学生がかしましく遊んでいる。子供の動きは万国共通である。しかしこの大聖堂のように、数百年をかけて石を積み上げ、祈りの場を造ろうとするエネルギーは日本にはない。祈りをどこに求めるか、それぞれ異なる国民性があるということだ。(2011.12.18-22)
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さて午前9時の開門に合わせてサグラダ・ファミリアを再訪すると、さすがに入場待ちの列は短かった。建設途上とはいえ完成部分は一般開放されていて、受難のファサードから中央身廊へ入場して見上げると、石柱は天空に延びて大樹が枝を広げているようだ。厳粛な威圧感ではない軽やかな空間が心地いいのだが、自分が聖堂のどのような位置にいるのか見当がつかない。光の天蓋の中でキリスト像が浮いている。そこが祭壇なのだろう。
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鐘楼の一つにエレベーターが通じていて、あっという間に塔の高みに連れて行ってくれる。エレベーターは、石造りの建造物がいかに堅牢かを教えてくれる。螺旋階段を登ることが高さを体感する方法なのだろうが、私はドイツのケルン大聖堂で苦難の体験をしているので断念した。石段を上ることに疲れ引き返そうとしたものの、登って来る人とすれ違うスペースがなく、登り始めたら何が何でも登り切らなければならなかったのだ。
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塔上の狭い展望スペースから眺めると、眼下の街は見事に区画され、整然と延びる街路が石造りのビルを仕切っている。ローマ軍が拠点を築く以前からの歴史があるというバルセロナは、日本が明治維新を起こす少し前に大規模な都市改造を実施した。サグラダ・ファミリアが建つ一帯はその時に拡張された新市街地で、133メートル四方の区画が整然と並ぶ計画都市だ。聖堂はその1区画に、やや窮屈そうなレイアウトで建設されている。
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建設途上の大聖堂など、めったに入ることができないだろうから、探検気分で地下の展示施設まで見て廻る。外部のゴテゴテ感に比して内部は案外すっきりしたもので、美しい光を演出しているステンドグラスはモダンな幾何学的フォルムでまとめられ、軽快である。外壁に見られるガウディの、直線を排した種々の飾りとはやや異質に思われる。ここまでの指示は彼も出す間がなかったのかもしれず、そのシンプルさはむしろ救いだ。
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これから私たちは、バルセロナ市街のあちらこちらに残されているガウディの建造物を見て歩くことになる。そのどれもが奇妙な魅力に満ちていることは承知しているが、サグラダ・ファミリアを実際に訪ねてみて、余りに過剰な装飾に辟易としている自分がいるのも事実である。中でもガウディが直接指揮した「生誕のファサード」の、隙間なく刻まれた彫像は日光東照宮と競い合うかのようだ。過剰もまたガウディだということであろうか。
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生誕のファサード側には、通りを挟んで池の広がる公園がある。そのベンチに坐り、池越しに聖堂を眺めながら見学疲れを癒す。公園の一角は子供の遊び場になっていて、遠足に来た小学生がかしましく遊んでいる。子供の動きは万国共通である。しかしこの大聖堂のように、数百年をかけて石を積み上げ、祈りの場を造ろうとするエネルギーは日本にはない。祈りをどこに求めるか、それぞれ異なる国民性があるということだ。(2011.12.18-22)
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