今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

413 バルセロナ =3=(スペイン)

2012-01-20 20:38:12 | 海外
グラシア通りでミラ邸やバトリョ邸を眺めながら「もし街のすべての建物がガウディ様式であったら、そこは魔界か遊園地であろう」などと思った。線がうねり、平面は波打ち、怪し気なフォルムと色彩がのたうっているのだ。ジョージ・オーウェルはガウディの作品を「世にも恐ろしい建物」と呼んだそうだが、世界遺産に認定され、多くの見学者を世界中から引き寄せるその作品群は、確かにそんな思いにさせられるところがある。

        

いまでこそガウディの名を知らない日本人はいないだろうが、多くにその存在を知らしめたのは、80年代後半に放映されたテレビコマーシャルだった。私もその一人で、怪しげな造形の中で踊る、妖し気な道化たちの映像に目を奪われて、サントリー・ローヤルが飲みたくなったものだ。そんな程度の私にガウディの何をも語ることはできないけれど、そのモザイク模様に身を埋めるため、バルセロナに行きたいと思ったものだ。

        

そしてグエル(カタルーニャ語では《グエイ》が近いらしい)公園にやって来た。驚いたことに、その「のたうち回る」造形と色彩に囲まれてみると、思いのほか軽やかな気分がして心地よいのである。できることなら建築家になりたかった私としては、デザインのお手本は20世紀ドイツのバウハウスであり、コルビジェであったはずなのだが、それらとは対極といえそうなガウディの自然造形マジックに捕らえられてしまったようである。

        

そしてグラシア通りのブランドショップ街を歩き、ひときわ目立つカサ・ミラを見上げる。この巨大な建造物が個人の住宅として建てられたということがまず驚きである。グエル伯爵にしてもミラ夫妻にしても、莫大な資産をガウディの才能に注ぎ込んだことが世界遺産につながったわけだが、その富はどうやってこれらの人々に集中したのだろう。おそらく19世紀の《新大陸》からもたらされた、容赦のない搾取の結果なのだろう。

        

そうした貴族や事業家に蓄積された富は莫大なものだったに違いない。彼らは自分たちの街をより住み心地よくしたいと、日本が幕末を迎えた19世紀なかごろ、大規模な都市改造に着手し、整然と区画された新市街地を造り上げた。区画は133メートル四方で、いまも旧市街のゴシック地域を除くほとんどの市域がこの区画に従っている。私は石造りの街で暮らしたことがないから、そうした区画の中での暮らしが新鮮に感じられた。

        

区画の中は、道路に面していくつかの建物が並び建てられている。高さは5階や7階などまちまちだが、バルコニーの高さはほぼ統一されているから、街のラインは整然としている。そして建物同士は密着しているので、全体が一つの大きな建造物のようでもある。1階はほとんどが店舗で、その間に鉄扉のついた狭いゲートがある。よく見ていると住人なのだろう、暗証番号を押してゲートを開け、入って行く。階上はマンションのようだ。

        

石という素材をふんだんに用いることができるからだろうか、こうした街並みを形成することは合理的である。おそらく区画内には中庭が設けられ、外側の喧噪から隔離された生活空間が確保されているのだろう。私が暮らす東京近郊の駅近くでは、通りの両側に次々とマンションが建設されているが、それぞれが土地の容積率いっぱいに勝手なデザインを競っている。狭い国土と言いながら、合理性にはほど遠い街づくりである。(2011.12.18-22)

        







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