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駅から続く参道は歩道が拡張されつつあるようで、実に歩きやすい。ところが途中から狭くなって唐突に下り坂になる。気がつくと前方に、寺院の大屋根と丹塗りの塔の甍が望まれる。あれが成田山新勝寺であろう。参道の人波が増え始め、ずっと纏わりついている鰻を焼く匂いも濃さを増してきたようだ。江戸・葛飾で水戸街道から分かれ、市川や船橋の宿場を経由してきた成田街道は、佐倉の城下を経てようやく目的地にたどり着いたわけである。
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堂々たる総門を潜ると、本堂に至る石段が現れる。段の高さがキツイ方には、向こうに普通の石段があると親切な案内がある。建築基準法では「23センチ以下」と定められている「蹴上り」が、それよりかなり高い。城跡などでもこうした高い蹴上りの石段に出会うことがある。昔の人は現代より体格は小柄だったらしいけれど、階段を蹴上がる能力は高かったのだろう。登り切ると間口が100メートル近い大本堂が、二重の大屋根を広げている。
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節分会で、力士らによる豆まきが行われる毎年恒例の舞台がここなのだろう。そして初詣は参拝客で埋まる境内である。中央で煙を上げている常香炉で、外国人観光客の一行が煙を身体に浴びせている。「これが日本人のしきたりよ」と音頭をとっているらしいリーダーを真似るのだが、どうにもぎこちないのは致し方ない。ここまでの道中、立ち上る雰囲気が川崎大師に似ていると思ったら、どちらも真言宗智山派の大本山だというから当然だろう。
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地元の観光協会によると、新勝寺を訪れる参詣者は年間1000万人を超えるという。これほど多くの人がやって来るからには、この土地にそれだけ人を惹きつける力があるということだ。それはどんなパワーなのだろうと私の好奇心が疼いて久しいのだが、「ご不動様に願掛けする必要などない」と言いたがる不遜な性格が、これまで成田詣を阻んできた。今回、佐倉から鹿島神宮を目指す旅では成田は途上になる。いい機会だと立ち寄ることにした。
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寺伝によれば天慶3年(930年)、乱を起こした平将門の調伏を命じられた大僧正・寛朝がこの地に不動明王像を奉じ、護摩を焚いた。すると間も無く将門は戦死、乱は平定された。喜んだ天皇から寺号を賜り開山したのだという。ご本尊はもちろん不動明王で、寺では「空海作」であると信じて疑わない。様々な霊験が流布されて、江戸時代を通じて庶民にも信仰が広まったようだ。人気は今も衰えることなく、初詣の人出は川崎大師と双璧らしい。
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このように多くの人を惹きつける成田山のパワーは、どこから生まれるのか。それは「時間」ではないか。将門を負かした不動明王の由緒や霊験を頼りにやって来る人など、実際はほとんどいないだろう。それよりも平安中期の創建以来、1000年余の父祖累代が足を運んだ場は、身を浸すだけで「ありがたい安心感」に包まれる。それが成田山に限らず多くの古社寺の、人々を招き寄せるパワーに違いない。それは現代の信仰心と呼んでいいだろう。
私は1年前、神田明神を見物に出かけている。将門を祭神とする神田明神と、それを調伏した成田不動の両方に参るなど、節操のない行動であるけれど、どちらにも手を合わせたわけではないから、まあ許されるだろう。参道の店舗街に地元特産の落花生を売る店があり、店先に収穫した状態の土盛りが展示してある。越後西蒲原の私の祖母は、畑の隅で栽培する落花生を「ジモグリマメ」と呼んでいた。「地潜り豆」ということだろう。(2022.12.7)
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堂々たる総門を潜ると、本堂に至る石段が現れる。段の高さがキツイ方には、向こうに普通の石段があると親切な案内がある。建築基準法では「23センチ以下」と定められている「蹴上り」が、それよりかなり高い。城跡などでもこうした高い蹴上りの石段に出会うことがある。昔の人は現代より体格は小柄だったらしいけれど、階段を蹴上がる能力は高かったのだろう。登り切ると間口が100メートル近い大本堂が、二重の大屋根を広げている。
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節分会で、力士らによる豆まきが行われる毎年恒例の舞台がここなのだろう。そして初詣は参拝客で埋まる境内である。中央で煙を上げている常香炉で、外国人観光客の一行が煙を身体に浴びせている。「これが日本人のしきたりよ」と音頭をとっているらしいリーダーを真似るのだが、どうにもぎこちないのは致し方ない。ここまでの道中、立ち上る雰囲気が川崎大師に似ていると思ったら、どちらも真言宗智山派の大本山だというから当然だろう。
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地元の観光協会によると、新勝寺を訪れる参詣者は年間1000万人を超えるという。これほど多くの人がやって来るからには、この土地にそれだけ人を惹きつける力があるということだ。それはどんなパワーなのだろうと私の好奇心が疼いて久しいのだが、「ご不動様に願掛けする必要などない」と言いたがる不遜な性格が、これまで成田詣を阻んできた。今回、佐倉から鹿島神宮を目指す旅では成田は途上になる。いい機会だと立ち寄ることにした。
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寺伝によれば天慶3年(930年)、乱を起こした平将門の調伏を命じられた大僧正・寛朝がこの地に不動明王像を奉じ、護摩を焚いた。すると間も無く将門は戦死、乱は平定された。喜んだ天皇から寺号を賜り開山したのだという。ご本尊はもちろん不動明王で、寺では「空海作」であると信じて疑わない。様々な霊験が流布されて、江戸時代を通じて庶民にも信仰が広まったようだ。人気は今も衰えることなく、初詣の人出は川崎大師と双璧らしい。
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このように多くの人を惹きつける成田山のパワーは、どこから生まれるのか。それは「時間」ではないか。将門を負かした不動明王の由緒や霊験を頼りにやって来る人など、実際はほとんどいないだろう。それよりも平安中期の創建以来、1000年余の父祖累代が足を運んだ場は、身を浸すだけで「ありがたい安心感」に包まれる。それが成田山に限らず多くの古社寺の、人々を招き寄せるパワーに違いない。それは現代の信仰心と呼んでいいだろう。
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私は1年前、神田明神を見物に出かけている。将門を祭神とする神田明神と、それを調伏した成田不動の両方に参るなど、節操のない行動であるけれど、どちらにも手を合わせたわけではないから、まあ許されるだろう。参道の店舗街に地元特産の落花生を売る店があり、店先に収穫した状態の土盛りが展示してある。越後西蒲原の私の祖母は、畑の隅で栽培する落花生を「ジモグリマメ」と呼んでいた。「地潜り豆」ということだろう。(2022.12.7)
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