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1133 新潟(新潟県)喜寿のジジババ同級会ではしゃぐ

2023-10-23 20:36:08 | 新潟・長野
新潟市の美術館に、『読書』と題するレジェのモザイク画が展示されている。私はその二人を15歳だと推察している。15歳といえば中学3年生である。大雑把に言えば「多感なお年ごろ」であろうか。本人たちは「もう子供じゃないモン」などと背伸びしているのだろうが、それから60年も経って卒業写真を眺めてごらんなさい、「ああ、こんなに幼気な可愛さであったか」と自分で自分に感動するに違いない。その新潟で、中学の同級会が開かれた。



喜寿を迎えたか、これから迎えるというジジババ14人が集まった。「団塊の世代」の前年生まれだから生徒数は多く、同級生は57人もいた。この参加比率を少ないと見るか、あるいはこの年齢でよくぞ集まったと言うべきか。コロナ禍で、やむを得ず3年間のブランクが生じたものの、奇特な幹事がいてくれたおかげで毎年欠かさず催されてきた。だからみなさんそれほど「お久しぶり」ではなく、すぐに馴染んで座は和やかに、話が弾んでいる。



こうした集まりには決まってマメな男がいるもので、今回は卒業写真を大判に引き延ばして持参してくれた。「おっ、これ俺だ」「いやだー、私ってこんなだった?」などとはしゃいでいるものの、しだいに「これ誰だっけ?」といった声が多くなり、なかなか思い出せない顔が残ってくる。同級会の参加者はここ10年ほどは14、5人に固定されてきて、顔ぶれも代わり映えしなくなってきた。卒業以来ほとんど会っていないというメンバーも多い。



同級生とは何だろう。同じ街で育ち、「子供」から「多感な少年・少女」に移行するころの2年間を、偶然、同じ教室で過ごすことになった間柄に過ぎない。とはいえ時を共有し、遊び学んだ事実は特別であって、たちどころに15歳に戻れるのが同級会なのだ。だがそんな間柄でも「気が合う、合わない」はすでに生じていたのであって、同級会の常連と非常連は、そうした人生の映し鏡かもしれない。だから無理に出席することなどないのである。



奇特な幹事ら、すでに何人かが鬼籍入りしている。名簿の在所不明の空欄も、埋まらないままだ。それでも返信用はがきに近況を書いて来る欠席者もいて、これを読むのがなかなか懐かしい。そんな中に、時折り思い出す男の1枚があった。彼とは小学校入学時から中学卒業まで、数度のクラス替えを乗り越え、ずっと同じクラスだった。結婚式に招かれて以来、会っていないのだが、筆跡が昔のままだから元気でいるに違いない。それを知るだけで嬉しい。



年齢相応か、今回の同級会はランチの会食で、東京からは日帰りできる設定になっている。だが私はこの後、中学1年時代の同級生と、二人だけの同級会を計画している。帰郷するたびに3人で会っていた一人が、この冬、死んでしまったのだ。独身を通し、全くの一人暮らしだった男の突然の孤独死だった。知った時には埋葬も済んでいて、「そう悪い人生ではなかったんじゃないか」と偲ぶしかなかった。こんな話が増えてくる齢になったのである。



新潟は雨が降り続いている。あと1ヶ月もすればそれは霙に変わり、暗い日本海気候の冬になるのだろうが、まだあの刺すように冷たい風ではない。新潟駅は大改造中で、来年の開業を目指している。新潟駅がこの地に移転・開業したのは65年前だそうだから、わが同級会と似たような老朽化である。そこで「俺らも潮時ではないか」との声が上がったものの、何となく「80歳までは」の空気が座を占め、「来年は東京で」となった。(2023.10.21)





(新潟駅の「忠犬タマ公」像)




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