灯台がボーボーと霧笛を鳴らすmistyな昼下がりだったからだろうか、「米町」を歩いていた私は奇妙な感覚に襲われ、何とも落ち着かなかった。ここは北海道、釧路川河口の左岸高台に広がる住宅地で、「釧路発祥の地」の栄誉が与えられている町内である。往時は商人が街づくりを指揮して道を開き、花街から嬌声が響いたこともあったというけれど、いまは人の気配は希薄で、寺と歌碑がやたらと目につくMystery Townだ。
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風景は凡庸であっても、不思議な雰囲気を漂わせている街というものがある。以前にも書いたが、かつて繁栄し、いつの間にか時代の変化に取り残され、人の流れが遠のいてしまったような街に多い。「よねまち」と読むここもそんな気配だ。結構な整備費をつぎ込んだらしい街路が続いていて、その先は霧に飲まれて消えている。
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港を見下ろす街の先端に公園があって、灯台をかたどった展望台が建つ。歩道のそこここに統一性のない歌碑が点在していて、そのすべてが啄木の歌であることが鬱陶しい。石炭トロッコが走り回っていたこともあったそうで、その名残りではないだろうが、石炭液化の工場に続く港からの引き込み線が太平洋と街を区切っている。
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外洋からの風が直接吹き付ける線路脇のビルから、コーラスが聞こえて来た。高齢者のケアハウスだった。地番からみると、このあたりがかつての遊郭のようで、胴巻きに札束を詰め込んだ漁師たちが、つかの間の快楽を求めて押し掛けて来たところらしい。そんな土地で啄木は「よりそひて深夜の雪の中に立つ女の右手(めて)のあたたかさかな」と詠う。ややこしい男だ。
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時が遷り、漁業基地の役割りが薄れるとともに花街は寂れ、やがて市民が移り住んで住宅地となり、さらにそこも空洞化して年寄りの終の住処になった。街の盛衰が、まるで人の一生であるかのように遷ろって行く。寺の甍が霧で煙っている。霧笛は依然として鳴り続けている。
「早くここを抜け出さなければ」といった気分になってバス停の時刻表を確認すると、バスは1時間も先だ。米町ふるさと館に立ち寄る。釧路最古だという明治期の商家を活用した資料館で、この地がクスリアイヌのコタンに近く、アイヌとの交易地「クスリ場所」として江戸時代からにぎわっていたことを知る。その歩みは北海道開拓史そのものだ。「釧路米町」をMy mystery townsに加えることにして、迷宮をようやく抜け出した。
ここまで来たからには釧路湿原を眺めておく必要があるだろうと、ノロッコ号に乗り込む。しかし湿原ではなく、霧を確認しに行ったようなものだった。湿原駅近くではコロポックルが雨宿りしていそうな大きな蕗が繁っていて、鮮やかな紫色を放つトリカブトが不気味だった。(2009.9.20-21)
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