
大阪に「大阪城」という《地名》があるとは知らなかった。城の北西「京橋口」から入城しようとして、「中央区大阪城3」という路上標識に気づいた。かつての富士山測候所だって「静岡県富士宮市剣ケ峰」という《住所》があったのだから、日本の国土はすべからく地番が付いているのだろう。従って城も例外でないわけで、調べたら「大阪城」という住所には郵便番号もあった。それにしても、余りに「そのまま」の町名ではないか。



城については触れないが、用いられた石の巨大さは何度見ても驚かされる。桜門枡形の巨石は36畳敷き130トンというから、スフィンクスもびっくりだ。家康の覚え目出たさを求め、岡山から運んだという大名の心根の矮小さに比べ、運ばされた民衆のさぞや辛かったであろうことが私の驚きの大半を占めている。日傘を差した白人の女性が、興味深気に解説文を読んでいた。


宮跡を出たところで、おばさんに上本町駅までの道を尋ねると、「歩いて行くなんて、あんた、何を考えているの」といったようなことを大阪弁でまくしたてられた。これをもってこの日の「聖なるライン踏破作戦」は挫折した。ただ大阪城を北端に、四天王寺まで続く「上町台地」を背骨として、そのラインが住吉大社への「大坂」を下ることで形成されたという街の構造は分かった。
ところで城の住所であるが、江戸城は「千代田区千代田」の皇居であり、郵便番号は100-0001だ。名古屋城は「名古屋市本丸」「名古屋市二の丸」という。本籍地はどこにでも設定できるようだから、本籍が「大阪市中央区大坂城1」という人もいるのかもしれない。太閤が健在であったら、「そこはオレのウチだぞ」と口を尖らせるのではないか。(2009.9.3)
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