
釧路の夏は霧が深く、寒い。釧路川が濃い霧に包まれた朝、街のシンボル「幣舞橋」をOLらしき女性が渡って行く。職場に向け急いでいるのだろう、しっかり長袖を着込んでいる。「釧路の夏を見つけた!」と、私はすかさずシャッターを切った。見事にそのチャンスを捉えたと思うが、いかがであろう。かくいう私は、想定外の寒さに持参したシャツをすべて着込み、襟が二重という哀れな格好である。何しろ日中の気温が16度なのだ。

道東の中心都市・釧路、と聞く。確かに霧多布の漁港あたりを旅して来た目には、大都会だと映る。しかしメインストリートである「北大通」は人影が少なく、閉めたままの店が目につく。デパートや大型店も閉店し、空きビルのテナントはなかなか見つからないようだ。


「でも情緒があって、いい街じゃないですか」と茶々を入れてみる。「そりゃあね、今となってはどこにも行きたくないよ」と、90歳は超えていそうなおばあさんがつぶやいた。「なぜ寂しくなったんですか」と突っ込むと、馬鹿な若造だねえといった表情を見せて「石炭と漁師だよ」と宣った。「漁師?」と愚かな若造が粘ると、「閉山と二百海里さ」と隣りのおばあさんが助けてくれた。
盛者必衰は世の理。街だって例外ではない。エネルギー政策の転換が街の経済基盤を揺るがし、海の資源を巡る国際競争が釧路港の水揚げを直撃する。そして市民の買い物は郊外の大型店に吸い取られ、中心街はビジネスホテルばかりが目立つようになった。


この街で、石川啄木は76日間だけ新聞記者をし、逃げて行った。言葉を紡ぐ天才とはいえ、この小難しい歌人の像など不要であろうが、釧路の人たちは心優しく、その足跡を懐かしんでいる。(2009.8.20-21)
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