今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

980 江ノ島(神奈川県)湘南の潮風いっぱい吸い込んで

2021-10-16 15:27:11 | 埼玉・神奈川
だいぶ以前のことになるが、江ノ島にやって来たことがある。弁天橋を歩いて渡り、せせこましい仲見世通りを抜けて石段を登り、いくつもある江島(えのしま)神社の宮々に辟易しながら丘頂に出て、展望灯台は一瞥するだけで帰った記憶がある。狭い小島にむりやり詰め込んだ俗悪なテーマパークという印象しか残らなかった。それでも再訪したのは、東京五輪のセーリング競技のせいだ。テレビ観戦していて、爽快な風を浴びたくなったのだ。



陸近くの海に浮かぶ小島という存在は、痛く人間の情念を揺さぶるものらしく、しかも「干潮時には細々と陸と繋がる」というに至っては、そこは神宿る地と崇めるのは何も日本人だけではない。世界で最も有名なのはフランスのモン・サン=ミシェルだろうが、日本も宮崎の青島は神話に遡る聖地だし、蒲郡の竹島は全域が弁天様の境内だ。いささか形状は異なるものの、能登の見附島にも神社が祀られている。だが国内最たる存在は江ノ島だろう。

(稲村ヶ崎から望む)

江ノ島は境川河口沖に浮かぶ周囲5キロ、標高60メートルの、比較的脆い地質で形成された小島だ。もともとは陸続きであったが、侵食により孤立したらしい。周囲は海蝕による崖や洞が多くみられ、古くから修行の島として参籠僧らを惹きつけたようだ。漁業従事者らの定住も早くからあったのだろうが、江戸時代には600人ほどが暮らしていたという記録があるようだ。現在は藤沢市「江の島」1、2丁目で、旅館や民宿などが密集している。



島は境川の河口からは500メートルほどしか離れておらず、干潮時には砂嘴(さし)が出現して歩いて渡ることができる。このとき現れる砂の道を「洲鼻(すばな)」と呼ぶのだそうで、現在の江ノ電・江ノ島駅から弁天橋までの観光商店街は「すばな通り」と名付けられている。明治になって桟橋が置かれたというが、大正になると神奈川県営の橋が架けられ、渡橋料2銭が徴収された。現在の車歩分離のコンクリート橋は、戦後になってからだ。



今回は石段は登らず、島の東に回り込む。東側には平坦な土地が広がって、ヨットハーバーや駐車場になっている。埋立地かと思ったが、関東大震災でほぼ震源域となった江ノ島は、島全体が2メートルも隆起して、海中の岩場が海面に現れたというから、そのおかげで生まれた平坦部かもしれない。江ノ島は古くから何度も地震に襲われた記録があり、そに都度水没するというより陸続きになるなどの「恩恵」を被っている珍しい島だと言える。



私はマリンスポーツに疎いから、ヨットハーバーなるものの運営がどうなっているのか、さっぱり分からないけれど、この日はほとんどのヨットが繋留されたままで、クラブハウスは閑散としている。おかげでゆっくり散歩して、前回の東京五輪の記念モニュメントを眺め、「さざえ島」までプロムナードを歩く。白い灯台が立つ突堤には、大勢の釣り人が竿を伸ばしている。対岸は稲村ヶ崎から逗子マリーナ、葉山の海岸まで、晴れ晴れと一望される。



湘南の海を満喫している私だが、実際は墓参に来たついでなのである。長いこと参らないと、静かに眠っているはずの母と前妻に「無沙汰が過ぎますよ」と天国から睨まれているような気分になる。この精神状態が加齢とともに強くなるのは、仲間入りする時期が近づいているからなのだろう。今年は前妻が逝って10年になるから、「みんなでお参りに行こう」と息子に提案しておいたのだがその気配がない。不幸者に育ててしまった。(2021.10.14)









(能登・見附島)

(蒲郡・竹島)

(宮崎・青島)














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