今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1083 真鶴(神奈川県)海と空どこまでも明るく太陽

2023-02-22 09:10:13 | 埼玉・神奈川
真鶴半島は相模湾の西に突き出す小さな半島だ。付け根の真鶴漁港から先端の岩礁まで、精いっぱい距離を測っても3キロに達しない。岬の高台に公園があって、名勝・三ツ石や初島を望むことができる。私は7年前にも隣接する中川一政美術館に来て、帰りのバスを待つ間、ここを歩いた。満開の河津桜や椿が美しく、妻を案内したらどんなに喜ぶだろうと思った。今回、柿田川湧水見物に出向く帰り、妻と真鶴岬の宿に一泊するプランを立てた。



私は「書斎派」を自認しているのだけれど、実は出歩いていないと調子が悪くなる飽き性でもある。コロナ禍が続くここ3年ほどは、外出は自粛気味に過ごし、せいぜい近場を彷徨して鬱憤を晴らしている日々だ。一方で長く山奥の工房で陶芸遊びを続けていたものだから「山は堪能した。今度は海を飽きるほど眺めたい」という思いが溜まっている。そんな折に、妻が「たまには私も出かけたいわ」と言い出したのである。何というチャンスだろう。



日程は偶然にも、7年前の翌日になった。あの日と同じように、満開の河津桜が待っていてくれるだろうと期待を膨らませる。あとの懸案は天候がどうなるかだが、こればかりは私の力も及ばない。結果から言うと、ピンポイントで狙ったような二日間になって、穏やかで、早春のような陽気である。半島の海は両岸とも凪いで、琵琶湖畔に泊まっているような気分になる。今年の桜は満開とはいかなかったものの、岬は陽光が溢れ、妻への思いは叶った。



ところでこの海は何と呼ぶのだろう。私たちが泊まったのは半島西側のホテルで、対岸は熱海から南へ伊豆半島が長く延びている。国連海洋法条約で定める湾口と水面の奥行きをもとにすると、真鶴岬を起点に、東の三浦半島城ヶ島を結ぶラインの陸側が「相模湾」ということになる。では岬の西側は熱海湾かと思いきやそうではなくて、伊豆半島先端の石廊崎と伊豆大島、そして三浦半島剱崎を大きく結んで「相模灘」と呼ばれているのだそうだ。



日が沈むと湯河原、熱海、伊東と続く温泉場の灯が輝きを増し、海はますます静かである。あまりの静けさに「海はやはり白波が打ち寄せるのでなければ」などと悪態を吐く私だ。ところが台風と高波が重なった昨秋、ホテルの眼下にあった岩礁が一夜にして波にさらわれ、小さな砂浜が出現したのだという。ホテルは「海がプライベートビーチを造ってくれた」と鷹揚だけれど、崖に張り付いくように暮らす町の人たちは、地震と津波が気がかりだろう。



ホテル下の岩場には、まだ薄暗いうちから釣り人が姿を現し始めている。土曜日の岩礁に陣取る太公望たちだ。公園では、まだ5分咲き程度の河津桜の足元で、とっくに咲き終えたツワブキがタンポポのような綿毛をつけている。朝のパターゴルフ場に高齢プレーヤーが続々やって来る。ちゃんと18ホールあって、最長のロングホールは70メートルある。気さくなジジィ(と言っても私より若そうだ)が「やらない? 面白いよ」「安いんだ、200円だよ」と声をかけてくる。



冬陽を浴びて芝生を歩き回り、新鮮な地魚で一杯やろうという爺さんたちだろう。港周辺の街の中心部は、傾斜地の住宅密集地を狭い道がクネクネと繋ぎ、暮らすのは大変そうだけれど、皆さん海との暮らしを満喫しているようだ。暮らしの中に楽しみを取り入れることは、海でも山でも街の中でも優劣はなく、人がそれを見出せるかどうかで決まる。とはいえ真鶴は羨ましい土地だ。中川画伯が「終のアトリエ」としたことが頷ける。(2023.2.17-18)









(2016年2月16日の岬の公園)

(同)

























コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1082 柿田川(静岡県)青光... | トップ | 1084 三島(静岡県)ちびっ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

埼玉・神奈川」カテゴリの最新記事