今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1002 土気(千葉県)外壁をのびのび伸ばし写実かな

2021-12-24 16:43:47 | 茨城・千葉
この建物を見たかった。空中に長く突き出した空洞は何なのだろう。なぜこのような造形が生まれたのか、内部はどんな空間になっているのだろうと、様々な想念が湧いてくる。写真で初めて知った際は「澄んだ空気の高原の、緑なす緩やかな斜面に建っている」イメージが浮かんだものだ。写実絵画を専門とする美術館だというが、その所蔵作品以上に「美術館」を見たいと思った。房総半島内陸の千葉市緑区あすみが丘にある「ホキ美術館」である。



実際にそこは、千葉市のだいぶ郊外にあたるニュータウンの奥だった。敷地はこぎれいな分譲住宅が尽きるあたりの細長い区画を占め、地上1階地下2階の展示施設が収まっている。さほど大きな構造体ではないのだけれど、大きな弧を描く外観は美しく、自然と階下へ誘われる内部構造もうまく設計されている。立地は「緑なす高原の斜面」でこそないものの、お隣の民家の洗濯物がはためくあたりは生活感があって、微笑ましいロケーションだ。



「究極の写実絵画はモナリザである」という出品画家の言葉が紹介されている。ルネサンス以降、テンペラや油絵具の普及で、ヨーロッパでは写実絵画が極められていく。現代日本にもこのジャンルに腕を振るう画家は多いらしく、展示作品はどれも技量の超絶ぶりに驚かされる。近づいて観ると、案外、絵筆の跡が残る勢いのあるタッチだったりするのだが、離れると風景も人物もまるで写真のようで、しかも写真以上に対象が「生きている」のだ。

(青木敏郎「デルフトの焼き物と果実」部分)

アテネだったかローマだったか、何れにしても古いお話。街に二人の評判の絵描きがいた。市民は「街一番」を決めようと二人に絵を描かせた。いよいよその優劣を決める日、壇上の一人がまず作品の覆いを取り除くと、ご馳走の並ぶテーブルが描いてある。見事な出来栄えに人々がため息をついていると、舞い降りてきた一羽の鳥が、ついばもうとして絵に衝突してしまった。鳥の目を欺くほどだから勝ちは決まったようなものだと人々は思った。

(島村信之「幻想ロブスター」部分)

しかしもう一方の作品も見なければと、人々は覆いを外すように促すのだが、立ったままの画家は一向に動こうとしない。先に披露した画家は腹を立て、近づいて覆いを取り払おうとした。そこで初めて人々は知った。その覆いそのものが「絵」だったのであるーー。いつどこで聞いた話だか忘れたが、「写実」と言うとこの話を思い出す。現実の世界を2次元の平面にそっくり写し取りたいという欲求は、人間の「描く衝動」の根源なのであろう。



しかし実は私は「写実絵画」はあまり好まない。絵画のベースに写実があることは認めるけれど、その対象が画家を通して揺らぎ、燃え上がり、その画家だけの造形となる、それが絵画芸術だと思っている。だから静謐な空気が満ちる風景画を前にすると、ゴッホならここからどんな揺らぎを叩きつけるだろうと思い、体温さえ感じられそうな人物画に出会うと、モディリアーニはこの女体を自分の魂にして、あの曲線に昇華させたと考えるのだ。



バブル経済の爛熟期だった。千葉のどこかに「億円」単位の分譲地が売り出されたと聞いて驚いたことを覚えている。それが「あすみが丘」だった。土気(とけ)駅で外房線に乗れば東京駅とは1時間ほどで結ばれるものの、都心への通勤はなかなか大変だろう。しかし街路は広々として緑も多く、空気は澄んでいる。働き盛りを頑張った世代がゆっくり暮らすには、恵まれた土地だ。房総半島を東に下れば、九十九里の大海原が広がる。(2021.12.15)
















(五味文彦「葡萄のある静物」部分)


(「モナリザ」ルーブル美術館にて)







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