今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

267 高松(香川県)・・・自転車がアーケード街をレースして

2010-02-12 16:13:30 | 香川・徳島

高松市の中心部に「丸亀町」という商店街がある。古くからの高松を代表する繁華街で、四国商人にとって「丸亀町に店を構える」ことが悲願だとされた時代があったのだとか。だからよく知られた街なのだろうが、47都道府県で香川県が最後に残った未踏の地である私に、そんな知識があろうはずがない。ただ、商店街が失ってはならない「歩く楽しさ」を感じることが心地よくて、キョロキョロぶらぶら歩いた。

その特徴ある町名の由来は知らない。同じ讃岐の城下町・丸亀市と何か関係があるのだろうか。街の「形」はごく平凡で、たいていの街には一つか二つは見かけるアーケード街だ。広島「本通り」や熊本「上通り」ほどの規模はないものの、人口42万人の市の旧街区としては賑わいをよく維持している。中央に広場があって、大きなドームがお洒落な演出をしている。仙台「一番町」や静岡「呉服町」あたりに似て、雰囲気が明るい。

車社会になって、地方都市の中心街はシャッター通りと化し、行政主導の「活性化策」が成功した例はほとんど聞かない。新潟「古町」、前橋「スズラン通り」、津「大門」など、賑わいが記憶だけになりつつある通りも多い。ここ高松「丸亀町」も、そうした街の仲間入りをしそうな危機があったけれど、商店主らが立ち上がり、街を造りかえることによって賑わいを取り戻したのだという。

商店街の全域が魅力的な「店揃え」になるようブロックに分け、老舗に対しても業種替えを求めて再開発を実行した。それを行政主導ではなく、住民が話し合いで実現したというのだから見事だ。中央広場の一角を占める三越高松店は、全国店舗網で超優良店らしい。三越の包装紙が高松出身の猪熊昡一郎画伯によるものだから、というわけではあるまい。大型店と地元商店がうまい具合に共存しているのだ。

再開発したビルにはマンションを併設し、商店街での暮らしを増やした。同じ試みが佐世保の「日本一長いアーケード街・三ヶ町商店街」でも進められていた。丸亀町方式ともいえる商店街再生策が、全国に広がりつつあるのだろうか。商店会には、各地から視察希望が絶えないらしい。確かに「通りは商店街、その上は住宅」という再開発は、空洞化する中心繁華街を抱える街にとって極めて有効な策に思える。

というのも旧繁華街が衰退し、賑わいが郊外のショッピングモールに移ることは、時代を反映した「街の移動に過ぎない」と見ることができるものの、せっかくインフラを整えた中心部が空洞化することは、街のバランスを欠くことになり、何よりも長い生活が磨き上げた街の文化が崩壊することにつながる。その影響を数値で表すことができれば、大変な経済損失が確認されるだろう。                          

大小のフェリー桟橋が整備された港から、高松城跡の玉藻公園を眺めながらJR高松駅まで歩くと、四国各地へ延びて行く鉄路のホームが整列している。そんな風景に「高松は四国の玄関」であることを実感する。だから四国に営業網を広げようとする企業は、こぞって高松に支店を置いた。そうした影響からだろうか、同じ四国で人口規模が最も大きい松山の方が、ローカル色を強く感じさせる。


二つの街の違いはこんな所にもある。自転車のルールだ。松山のアーケード街「銀天街」には腕章をしたおばさんが目を光らせていて、自転車の通行を見つけるや「だめだめ、下りて!」とストップさせる。しかし高松は平坦な街だからか、驚くほど自転車の利用者が多く、市民も寛容である。結構なスピードでアーケード街の人波を縫って行く様はいささか危なっかしいのだが、これも街の個性だろう。

「支店経済の街・高松」から、支店を引き上げる企業が増えているらしい。また瀬戸内海に橋が架かって「四国の玄関」も多面化した。これから高松は、どんな街になって行くのだろう。丸亀町を抜け、菊地寛通りを歩いていると、公園に水原、三原のユニホーム姿が建っていた。元野球少年としては、その像を見上げるだけで「すごい街だ!」と感じ入ってしまうのだった。(2009.11.11)
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