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「宇奈月」ではあるけれど、私は温泉に浸かりに来たわけではない。宇奈月温泉郷から黒部川を遡る黒部渓谷鉄道に乗って、国内有数だと言われる水力電源開発の歴史を実感したいとやって来たのだ。「80歳の壁」が見え隠れする年齢になって「何をいまさら」と思わないでもないけれど、この列島にドンと居座る北アルプスの巨大山塊に未だ脚を踏み入れたことがない、ということもいささか心残りになって、トロッコ電車に乗り込んだのである。
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越後の親不知あたりは驟雨と稲光りで恐ろしい空模様だったのに、標高200メートルを超える越中・宇奈月温泉に着くころには青空が覗き、吹き抜けのトロッコで雨中を突破する惨劇は免れた。温泉郷を出発すると生活臭は間もなく消えて、動いているのは私のトロッコと野猿専用の吊橋にたむろする群れ、そして国内屈指の透明度だというせせらぎだけになる。あくまで深い渓谷の、わずかに覗く空の陽光に輝く緑と、夏空を往く白雲が眩しい。
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黒部川は、北アルプス・鷲羽岳(2924m)から立山連峰と後立山連峰間の渓谷を下り、日本海へと注ぐ全長85キロの一級河川である。3000mの標高差を85キロで駆け下りるのは、河川として極めて急傾斜なのではないか。しかも山地は国内屈指の豪雪多雨地帯であり、上流部を下る膨大な水は、下流部に大きな扇状地を形成した。ただその人跡未踏の深山が、巨大なエネルギーを秘めていると着目されるのは20世紀に入ってからのことである。
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黒部川の水がアルミ精錬に必要な電力を生み出すのではないかと考えたのは高峰譲吉博士だった。博士は胃弱の夏目漱石が愛飲したタカヂアスターゼの開発者だとは知っていたものの、薬学の研究者であると同時に大実業家であったとは思い至らなかった。黒部川水系は現在、最上流部の黒部ダムまで6カ所のダムと18の発電所が築かれ、最大97万キロワットが生み出されている。どうやら博士は、黒部川水力発電の父のような存在らしい。
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宇奈月温泉が開湯し、工事用軌道の建設が始まったのが1923年。ちょうど100年前になる。私が呑気にトロッコに揺られている軌道は、20キロ先の欅平まで通じるのに15年かかっている。急流を渡り崖をよじ登る工事がどれほど過酷だったか、気が遠くなりそうである。軌道に沿って「冬季歩道」と書かれたコンクリートの壁が延々と続いている。ダムのメンテナンスなど冬季の作業員が行き来する狭い通路だ。片道6時間歩くのだという。
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私は安直に1時間ほど揺られ、標高443メートルの鐘釣駅に着く。対岸に堆積する雪渓が夏でも見られる観光名所ということだが、この夏の記録的猛暑は深山にも及んで、万年雪は溶け、黒く汚れた塊がわずかに転がっているだけだった。自力では行けそうにない大自然に分け入ってみたいというのは、多くの人が持つ好奇心なのだろう。トロッコ電車は1953年の旅客営業開始まで、便乗希望者は「安全は一切保証しない」条件で乗せたという。
現代の生活は電力なしでは成り立たない。それどころか満足を知らない社会の欲望は、需要をますます肥大化させていくだろう。水が落下する力でタービンを回す水力発電は、天然のエネルギーを電力に変換する優れたシステムだが、都市部への送電で発生するロスはかなりの量になる。発電所から険しい峰々を越えて行く送電線を眺めながら、高峰2世が出現し、ロスを限りなくゼロにする新媒体を発見してくれないものかと思う。(2023.8.24)
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越後の親不知あたりは驟雨と稲光りで恐ろしい空模様だったのに、標高200メートルを超える越中・宇奈月温泉に着くころには青空が覗き、吹き抜けのトロッコで雨中を突破する惨劇は免れた。温泉郷を出発すると生活臭は間もなく消えて、動いているのは私のトロッコと野猿専用の吊橋にたむろする群れ、そして国内屈指の透明度だというせせらぎだけになる。あくまで深い渓谷の、わずかに覗く空の陽光に輝く緑と、夏空を往く白雲が眩しい。
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黒部川は、北アルプス・鷲羽岳(2924m)から立山連峰と後立山連峰間の渓谷を下り、日本海へと注ぐ全長85キロの一級河川である。3000mの標高差を85キロで駆け下りるのは、河川として極めて急傾斜なのではないか。しかも山地は国内屈指の豪雪多雨地帯であり、上流部を下る膨大な水は、下流部に大きな扇状地を形成した。ただその人跡未踏の深山が、巨大なエネルギーを秘めていると着目されるのは20世紀に入ってからのことである。
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黒部川の水がアルミ精錬に必要な電力を生み出すのではないかと考えたのは高峰譲吉博士だった。博士は胃弱の夏目漱石が愛飲したタカヂアスターゼの開発者だとは知っていたものの、薬学の研究者であると同時に大実業家であったとは思い至らなかった。黒部川水系は現在、最上流部の黒部ダムまで6カ所のダムと18の発電所が築かれ、最大97万キロワットが生み出されている。どうやら博士は、黒部川水力発電の父のような存在らしい。
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宇奈月温泉が開湯し、工事用軌道の建設が始まったのが1923年。ちょうど100年前になる。私が呑気にトロッコに揺られている軌道は、20キロ先の欅平まで通じるのに15年かかっている。急流を渡り崖をよじ登る工事がどれほど過酷だったか、気が遠くなりそうである。軌道に沿って「冬季歩道」と書かれたコンクリートの壁が延々と続いている。ダムのメンテナンスなど冬季の作業員が行き来する狭い通路だ。片道6時間歩くのだという。
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私は安直に1時間ほど揺られ、標高443メートルの鐘釣駅に着く。対岸に堆積する雪渓が夏でも見られる観光名所ということだが、この夏の記録的猛暑は深山にも及んで、万年雪は溶け、黒く汚れた塊がわずかに転がっているだけだった。自力では行けそうにない大自然に分け入ってみたいというのは、多くの人が持つ好奇心なのだろう。トロッコ電車は1953年の旅客営業開始まで、便乗希望者は「安全は一切保証しない」条件で乗せたという。
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現代の生活は電力なしでは成り立たない。それどころか満足を知らない社会の欲望は、需要をますます肥大化させていくだろう。水が落下する力でタービンを回す水力発電は、天然のエネルギーを電力に変換する優れたシステムだが、都市部への送電で発生するロスはかなりの量になる。発電所から険しい峰々を越えて行く送電線を眺めながら、高峰2世が出現し、ロスを限りなくゼロにする新媒体を発見してくれないものかと思う。(2023.8.24)
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