今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1038 岩瀬浜(富山県)この街は『三津七湊』岩瀬湊

2022-06-09 22:25:58 | 富山・石川・福井

街の小さな公園で、ワンパクたちが駆け回っている。そこに下校途中の女の子が通りかかった。目ざとく見つけたワンパクの一人が駆け寄って来て、手にしたおもちゃの鉄砲で女の子を狙い始める。私はとっさに「こらっ、女の子をいじめちゃいかん」と声を発している。「証拠写真を撮ったからな」と怖い顔をしてみせると、わんぱく坊主もなかなかのもので、「いいもーん」と言ってマスクの上からアカンベエだ。まだこんな元気な坊主が残っている。

ここは神通川の河口に広がる富山港が、北前船の寄港で栄えていたころの、廻船問屋など古い街並みが残る富山市・岩瀬地区だ。子供たちは近くの小学校の同級生だろうか、女の子は彼らの悪さには慣れっこのようで、「バカねぇ」といった感じで相手にしない。こんな具合に女の子はどんどん大人になるのに、男の子はいつまでたってもワンパク坊主だ。変わらないものだなあと、私は半世紀以上も昔になる自分のワンパク時代を懐かしんでいる。

富山は何度か訪れている街なのだが、帰ってからいつも首をひねることがある。「港はどこにあったのだろう」と考えるからだ。私の北陸の知識は大雑把な地図程度なので、「富山市は海沿いの街だから、市中を歩けば港はすぐ近くにある」と思い込んでいた。しかしいつも帰ってから「港の気配はなかった」と気が付くのである。富山市は海に面しているけれど、市街地は私の認識よりかなり内陸にあるのだった。今度こそ港まで行こうと地図を見る。

富山は、トラム路線が発達していることで知られる街だ。富山駅からまっすぐ北へ延びる路線がある。富山港線というのだろうか、終点が「岩瀬浜」である。海水浴場が近く、夏は市民で賑わう砂浜らしい。その砂浜と並んで富山湾に面する岩瀬漁港があり、富山名物のホタルイカやシラエビが水揚げされるという。漁師さんたちの家々らしい路地を行くと、岩瀬運河に出て大漁橋を渡る。私は『三津七湊』にある「岩瀬湊」を歩いているのだろう。

日本海側の街ではいたるところで「北前舟」の痕跡に出会うことになるが、室町時代の海洋法規集だという『三津七湊(さんしんしちそう)』には、当時の十大港湾として安濃津(三重県津市)、博多津、堺津とともに十三(五所川原市)、土崎(秋田市)、今町(上越市)、岩瀬、輪島、本吉(白山市)、三国(坂井市)の七つの湊が挙げられているという。いずれも河口に設けられた港で、放棄され砂に埋もれた十三湊を除けば現代の街へと発展している。

昭和初期まで、ここは東岩瀬町といった。廻船問屋の馬場家と森家の屋敷が軒を広げる通りは豪壮なもので、近世日本海交易がもたらした巨大な富に驚かされる。明治初期には大火があって、千戸の街並みの半数以上が消失したというが、「岩瀬5大家」と呼ばれる問屋や船主の財力は、一気に街並みを復興させたという。市は観光にも力を入れているようで、大通りには地銀や第2地銀、信用金庫の支店などが並び、湊繁栄の余韻は今に続いている。

富山港展望台に登ってみる。日によっては北アルプスの大山嶺が望まれるようだが、今日は岩瀬の瓦の波で我慢だ。富山港はささやかな港湾に見えるけれど、「伏木富山港」という運用がされている。高岡市の伏木港、射水市の富山新港、そしてこの富山港の3地区で総合拠点港に指定され、「外国商船入港隻数は本州日本海側で新潟を上回る1位です」と誇っている。あのワンパクたちは、街のこんな一所懸命ぶりを知っているだろうか。(2022.5.19)

 

 

 

 

 

 

 

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