ここは日本史少年に、特別の思いを抱かせる街(のはず)であった。「自由都市」のことである。貿易と商工業の富で豪商たちが、封建暴力社会において「自治」を確保した。そんな街が日本にもあったということに、少年は胸ときめかせたのである。老年の入り口にさしかかったいま、その街角に立ち、彼は抱き続けてきた歴史の華やぎを追った。しかしもはやそれは幻でしかなく、元少年は肩を落として帰るしかなかった。
「堺」が摂 . . . 本文を読む
スミヨシという響きを耳にすると、磯の香の漂い来たるを覚え、海を思い浮かべる。わがDNAには、スミヨシ=スミノエ=ミナト=ウナバラ・・・が環となって連綿と続いているらしい。そしてその環は決まって「神」で結ばれる。全国津々浦々、湊のあるところ、常に住吉の神が鎮座しておられる。津も浦も、ミナトである。「津々浦々」とは「住み善し」のことか。こんなことに感懐を覚える私は、海の民の末裔なのかもしれない。
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西国といえど晩秋の日没は早い。大時計が午後5時51分を指すJR神戸駅に降り立つと、駅前広場はすでに暮れていて、家路を急ぐ人々のシルエットが寒々と通り過ぎて行く。改めて駅舎を振り返る。シンプルながら重厚な建物が黒々とうずくまって、大きく駅名を掲げている。その文字列を見上げていたら、かつての社会科少年にこみ上げてくる感慨があった。「そうだった、ここが東海道本線の終着駅なのだ」
神戸は、いつも三宮駅 . . . 本文を読む
都市にはブランド力がある。それは「ふるさとの懐かしさ」といった個人的ブランドは抜きにして、「行ってみたい街」「住んでみたい街」となって一般化される人気ランキングのようなものだ。とすれば神戸は、最も高いブランド力を認められている街のひとつだろう。阪神淡路大震災は、その被害の甚大さが国民を茫然自失させたのだが、さらに「あの神戸という街」が崩れ落ちたというショックが、衝撃を増幅させたのである。
久し . . . 本文を読む
「明石」と聞いて「蛸だ鯛だ明石焼だ」と大騒ぎするほど、私は食いしん坊ではない。「明石」といえばやはり日本標準時・子午線の街であろう。というわけで駅を降りると、まずは東経135度のラインを探しに街に出た(はずだった)のだが、途中の市場街「魚の棚」で屋台のオバちゃんに篭絡され、タコのやわらか煮を頬張ることになってしまった。従って子午線にたどり着いたときには、晩秋の1日はすっかり暮れていた。
「子午 . . . 本文を読む