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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



JR彦根駅から、お城通りを西に真っ直ぐ歩き、滋賀護国神社の拝殿の前を左に折れると、彦根城の外堀に出る。



外堀に沿う「いろは松」の松並木の道をさらに進むと、二の丸に入る佐和口門の石垣と1769頃に建造されたという佐和口多門櫓(重要文化財)がある。



佐和口門のクランク状になった道を曲がると、Lの字になった馬屋(重要文化財)が今も昔の雰囲気を良く残している。



馬屋の前にある橋を渡ると表門で、その右側が彦根城の御殿を復元した彦根城博物館である。



博物館は、井伊家に伝わる武家用品の展示場と、藩主が政務を執り生活していた御殿で構成され、展示された美術品や江戸期の大名屋敷をじっくりと見学することができる。



御殿の前にある急な石段を登ると、天秤櫓(重要文化財)の高い石垣の前に出るが、この場所は今も時代劇の撮影によく使われている有名な場所である。



天秤櫓は、大手門と表門からの道が合流する位置にある櫓で、上から見ると天秤の形をしているので江戸期からそう呼ばれていたようであるが、1606年頃に内藤信成時代の長浜城大手門を移築したといわれている。



1854年に天秤櫓の大修理が行われた際、石垣の左側が新たに「落し積み」技法で積み直され、右側の築城当初からの「ごぼう積み」と好対照となっている。

天秤櫓の先は左に曲がる古い石段があり、その突き当たりには太鼓門櫓(重要文化財)がある。



この太鼓門櫓は、石田三成の佐和山城の城門を移築したという説があるので、それが本当であれば、三成がかつて見たことがある櫓が現存していることになる。



太鼓門櫓を通るとそこが本丸の中心、天守が聳え立つ天守台である。

1607年に完成したという天守は、1570年代に建造された京極高次の大津の城から移されたと伝えられているので、使われている材料は440年前のものである。



実際に天守の中に入ってみると、中は意外と狭く、曲がった丸太がそのまま使われるなど頑丈であるがかなり質素な建物であった。



しかしこの天守が400年もの間、落雷や火災に遭うこともなく現存しているとは、奇跡に近いことなので、国宝に指定されるのもうなずける。


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