野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



野鳥のつがいについて、東京大学名誉教授の樋口広芳氏が書いているので、カルガモの幼鳥写真と一緒に紹介しましょう。<・・・>は樋口氏の著書からの引用です。

<つがいと言うと一度つがいになった相手とずっとそのままの関係を持ち続ける、という印象をもたれるだろう>

<しかし、鳥のつがいは、必ずしもそうではない。全体としてはそうではない例の方が多いだろう>

<オシドリも例外ではない。オシドリ夫婦という言葉があるが、オシドリのつがいもよく変わる>

<一方で一生、同じ相手の鳥とつがいになっているものもいる。ツル類、ガン類、ハクチョウ類、タカ類、アホウドリ類などの多くがその代表>

<この鳥たちは大型で寿命が長い。寿命が長い鳥の場合には、長年連れ添っている相手と一緒にいたほうが子育て、採食、敵からの逃避、渡りなどいろいろな点で好都合であるに違いない>

<どうあれ、鳥の多くがつがいになって繁殖することに変わりは無い。しかし、つがいの雄と雌の関係はそう単純ではない。つがい以外の個体との交尾(つがい外交尾)が少なからず行われている>

<今日では、つがいで繁殖する鳥の九割が(つがい外交尾)とみなされている。おどろくべきことに、同じ相手と生涯連れ添う鳥でも(つがい外交尾)をすることが知られている>

<野鳥の雌は、自分のつがい相手の雄よりも優れた特徴を持つ雄と交尾する傾向があることが判っている>野鳥は、雌が優れた遺伝子を次の世代に残す行動を取ることで、ここまでの繁栄を続けられたのでしょう。

参考文献:鳥ってすごい! 樋口広芳著



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今朝、近所の干潟のある公園に行ってみると、鏡のような池の中に4羽のカルガモが休んでいました。

例年7月末頃から、北国で繁殖し南方の越冬地に渡る途中のシギが大阪に飛来してきます。カルガモは留鳥なので渡りはしません。

近くの干潟でシロチドリのつがいを発見。野鳥のつがいについては、明日詳しく紹介する予定です。・・・シロチドリは日本で繁殖し、秋に南方に渡る渡り鳥です。

さらに遠くの干潟に渡り鳥らしいシギを3羽発見しました。

ズーミングしてみると、どうやら北の繁殖地から渡ってきたばかりのキアシシギのようです。

さらに拡大。左にキアシシギ、右のやや小さなシギはイソシギでしょう。大阪のイソシギは留鳥なので渡りはしません。

中央のキアシシギよりも一回り大きいシギが左から歩いてきました。

どうやらアオアシシギのようです。このアオアシシギのクチバシは、口元が薄い黄色、先端部が黒と色分けされていました。

 

シベリアアオアシシギのクチバシがそうですが、この個体はアオアシシギの特徴が強いので、シベリアアオアシシギでは無いと思います。これから晩秋まで、大阪を中継地とするシギの飛来が楽しみです。

 



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空気の透明度が高い晴れた朝、シーサイドコスモを散歩してみました。左のドーム(なにわの海の時空館)の上に月が見えていますね。

これが廃館となった「なにわの海の時空館」壁面の上に沈む朝の月です。

今の「なにわの海の時空館」をワイドで見るとこんな景観でした。

月の下のドームの中に実物大の帆船が置かれたままで、「なにわの海の時空館」の活用方法はまだ決まっていないようです。

帆船が展示されたドームは、海の中に孤立した建物となっていて、中の帆船とドームの設置環境が再利用の障害となっているようです。月はドームの右肩に

ドームの向こうに沈む月の拡大です。

大阪港に入る船の背後を見ると、かすかに明石海峡大橋が見えています。

少しズーミングしてみましょう。明石海峡大橋の淡路島側主塔の左、山上にかすかな光る白い点が見えていますが、何でしょうか。

最大ズーミングしてみました。シーサイドコスモから38.1km(MAPIONキョリ測で測定)先にあるのは、海上保安庁の大阪湾海上交通センターの建物と塔でしょう。



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近所で孵化して幼鳥となったケリのその後を紹介しましょう。ケリ(親鳥)の体長は34~37cmくらいと言われています。鳩より少し大きいくらいですが足が長いのが特徴です。

早朝、ケリのいる空き地にいってみると、幼鳥は親鳥とほとんど同じくらいまで成長していました。親鳥にある胸の黒い帯は、幼鳥では薄い色をしています。

ケリの縄張りに近づくと、親鳥がすぐにスクランブル発進

空から親鳥の警戒する鳴き声が聞こえると、幼鳥は草むらの中で低い姿勢を取り、じっとして動きません。

別の幼鳥も草の中でじっと動きませんが、体が大きくなってきているので、根気よく探すと見つけることができました。

親鳥の警戒声がするあいだ、じっとしているケリの幼鳥。親鳥の眼は、明るいオレンジ色ですが、幼鳥の眼は茶色ですね。

こちらは地上に降りても警戒して鳴き続ける親鳥です。親鳥と幼鳥では少し体色が違いますね。

親鳥が連続して鳴くと、幼鳥は目立たないよう身を低くするようです。

これもケリの親鳥。なかなか美しい野鳥ですね。



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昨日、ATCからの景色を紹介しましたが、この日は空気の透明度がやや高いようです。そこでATCから見える遠景を紹介しましょう。

やや望遠で見ると、防波堤の沖、中央から左側に低く陸地が見えています。

昨日の写真では空気の透明度が悪く、防波堤の沖合はグレーの靄にかすんでいました。

さらにズーミングしてみました。船の向こうに建物が写っています。

もっとズーミングしてみると、関西空港管制塔周辺が見えているようです。

最大ズーミングすると、関西空港ターミナルビルの特徴ある屋根とその端部が見えています。Mapionのキョリ測で測ると26.5kmと出ました。

最大ズーミングした関西空港の管制塔。Mapionのキョリ測ではここまで27.8kmの距離があります。

ATCから直線距離で43.5km離れた関西電力多奈川第二発電所の煙突も見えています。この煙突、小高い丘の上にあるのですが、海面すれすれに写っているのは地球が丸いからでしょう。空気の透明度が高ければ、40km以上離れた煙突がちゃんと見えることが判りました。

この日の朝、高度が低い月が白くはっきりと見えていましたので、空気の都明度がかなり良かったのでしょう。



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ATCのデッキから早朝の西の海を見ると、空気の透明度が悪く、沖合は霞んでいましたが、近くの船は何とか見ることができました。写真の右端に小さく写っているのは入港するフェリーでしょう。

こちらに近づくフェリーは、船体の表示からマルエーラインの琉球エキスプレスです。このフェリーに乗って大阪から沖縄までの料金は、1等が36400円、2等が18200円、2等なら36400円で大阪から沖縄を船(3日間かけて)でのんびりと往復できるのです。ちなみに飛行機(LCCのピーチ)なら所用時間2時間、料金は最大1万9千円(早割なら5600円)とか

その前に、ATC前コスモフェリーターミナルに別府からの「さんふらわあこばると」が入港します。

「さんふらわあこばると」は、1997年6月竣工、総トン数は9245トン、全長153m、幅25m、航海速力22.4ノット、旅客定員710名という大型フェリーです。

「さんふらわあこばると」の前部甲板には、係留用のホーサー(ロープ)を担当する係員が3名見えていますが、ブリッジに見えるのは一人だけ。接岸まで、この人が一人で操船するのでしょうか。

「さんふらわあこばる」との左に琉球エキスプレスが那覇から奄美大島の名瀬を経由して南港の沖縄定航埠頭に入港する姿が見えています。公式HPを見ると、7月に那覇を出港する便のうち与論島、和泊(沖永良部島)、亀徳(徳之島)、名瀬(奄美大島)を経由する大阪便は4便、名瀬だけ経由する大阪便は2便でした。

これが那覇エキスプレス。那覇を16時に就航し、二日目の早朝奄美大島の名瀬港を経由して、三日目の6時50分に南港に入港する便でした。2003年竣工なので「さんふらわあこばると」よりも6年も新しい船です。なお総トン数は「さんふらわあこばると」よりも小さい6266トン、全長145.62m、幅22m、航海速力21ノット、旅客定員240名、乗組員23名

「さんふらわあこばると」の前方部が接岸、この段階でホーサー(ロープ)のガイドロープが陸上に投げられ、先端部がまずビット(又はボラード)に係留されます。

次に、後方の係員からホーサーのガイドロープが陸上に投げられ、陸上係員がそれを手繰って係留用ロープを係船ビットに固定、ウインチでロープを巻き取って船の固定が完了します。



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原敬は、総理大臣となったあとも爵位を辞退し続け、ついに「平民宰相」というニックネームで呼ばれた人物でしたが、岳父(妻の父)の中井弘(ひろむ18391894年)から大きな影響を受けていたようです。カルガモのひな鳥の写真と一緒に中井弘を紹介しましょう。

中井は、明治17年(1884年)に制定された華族令(公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の爵位授与)に苦言を呈し続け、爵位を受けなかった人物としても知られています。

明治27年(1894年)京都府知事の任期中に中井弘は逝去、明治天皇記は「京都府知事正三位勲二等 中井弘薨ず。その維新前後国事に尽力し、外国事務に鞅掌(おうしょう)し(意味・忙しく働くこと)、ついで工部大書記官・滋賀県知事・元老院議官・貴族院議員等に歴任して原官(京都府知事)に至る」

「その多年の奉職勤務を嘉(よみ)し(意味・ほめたたえ)、特旨を以って祭資金千円((当時の小学校教員や巡査の初任給は月に8~9円))を賜ふ、十三日その葬送に際し、勅使として主殿助(とのものすけ)宇田(うだ)淵をその邸に差し遣わし、白絹二匹を賜ふ」

逝去に当たって勅使が遣わされたのは、中井弘が明治天皇からも評価されていた人物だったからでしょう。

幕末から明治初期にかけ、坂本竜馬、大久保利通、木戸孝允などと親密な交流があった中井弘は、ユーモアにあふれた巧みな話術の持ち主で、人を楽しませ、富貴功名を求めることなく淡々と日々を過すという生き方を貫き通した生涯でした。

明治天皇記の「維新前後国事に尽力し、外国事務に鞅掌」とは、パークス事件の際に中井がとった行動などを指すのでしょうが、英国公使を襲ったテロリストと真剣で勝負し、最後にテロリストを殺してその首を刎ねた行為は、当時の政官界で広く知られていて、皆から一目置かれていたようです。

また中井は、物事の黒白をすぐ決めたがったり、しゃかりきになって善悪を問うというような狭量さからは抜け出した人物でした。

明治維新史にはあまり登場しない中井弘ですが、その人物を改めて評価する必要があると思います。

参考文献:明治の元勲に最も頼られた名参謀 中井桜洲 屋敷茂雄著



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7月の大阪で見ることができる(近所にいる)野鳥を紹介しましょう。・・・コサギ

コサギが魚の大物を飲み込もうとしていますね。

大物を飲み込んで腹いっぱいのコサギ

こちらはコサギよりも大きいアオサギ

ハクセキレイ

ハクセキレイが飛びたつ瞬間です。

カワラヒワ

足が異常に長いセッカ。鳴き声に特徴があります。

すっと立つコサギ



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パークス事件(1868年)で活躍した中井弘(ひろむ1839~1894年)のことを、近所で大きくなっているケリの幼鳥の写真と一緒にもう少し紹介しましょう。・・・ケリの親鳥

明治がはじまる直前の1868年1月、神戸事件をきっかけに新政府から外国事務局御用掛に任命されたのは、伊藤博文(数え年28歳以下同じ)、井上馨(33歳)、寺島宗則(37歳)、五代才助(33歳)、中井弘(31歳)と陸奥宗光(25歳)の6名、大隈重信(31歳)はそれから3か月も遅れで任命された後輩です。・・・ケリの幼鳥

王政復古後の岩倉具視が外国との交渉に欠かせない優秀な人材として任命した7名のメンバーの中で後に爵位を受けなかったのは中井だけなので(早世した五代を除く)、記録にはありませんが中井は爵位を固辞したと考えられています。・・・幼鳥が三羽

薩摩藩士だった中井弘は、若くして藩を出て土佐の後藤象二郎や坂本竜馬などと交流、中井が英国に留学できたのも後藤の支援があったからという説があります。

従ってパークス事件(1868年)の際、中井と後藤の二人が揃っていたのは偶然ではなく、気心の知れた同士がペアでパークス公使の接待役を務めていたということでしょう。

ところで平民宰相として有名な原敬(1856~1921年)が外務省に入省(1882年)したのは、当時外務省御用掛だった中井弘の誘いがあったからで、また原が結婚した相手は、中井弘の娘(貞)でした。(二人は中井弘の死後に離婚)

原敬(満27歳)の結婚式(1883年)には、中井の友人として山縣有朋参議、井上馨参議兼外務卿、吉田外務大輔(次官)など、錚々たるメンバーが出席、若き原敬は、明治政府の大物達の知遇を得て出世の糸口をつかむのです。

原敬は、岳父の友人だった陸奥宗光の引きで外務省で出世してゆきますが、陸奥の死後に外務省を退官して政界に進出、大正7年(1918年)には総理大臣となっています。

原敬が、何度も打診された爵位の受け取りを固辞し続けたのは、尊敬する岳父(中井弘)の影響があったと考えるべきでしょう。

参考文献:明治の元勲に最も頼られた名参謀 中井桜洲 屋敷茂雄著



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以前は飛行機に乗ると、離陸前にCA(キャビンアテンダント=スチュワーデス)から「携帯電話やデジタルカメラ等のすべての電子機器の電源をお切り下さい」という注意を聞かされていましたが、最近そのアナウンスが無くなっています。

実は2014年(平成26年)9月に規制が緩和され、デジタルカメラでの撮影ができるようになっていたのです。御存じない方もいるかもしれないので、伊丹から高知まで乗ったボンバルディアDHC8-Q400型機の離着陸写真と一緒に紹介しましょう。

国土交通省のHPを見ると<携帯電話やデジタルカメラ等の電子機器は、従来航空機の安全な運航に支障を及ぼすおそれがあるため、航空法に基づく告示で航空機内での使用を制限されていました「航空機の運航の安全に支障を及ぼすおそれのある電子機器等を定める告示」(平成15年国土交通省告示第1346号)>

<このたび、欧米において航空機内における電子機器の使用に関する方針が変更されたこと等を踏まえて、航空機の安全な運航を確保しつつ、旅客の利便性を向上させるため、この制限を見直し、2014年91日から使用の制限を緩和いたします>

<主な見直し点は、電子機器から発射される電波に対する航空機の耐性に応じて航空機を区分し、その区分ごとに使用可能な電子機器と時間帯を拡大します>

それまでは、飛行機が上空を安定飛行している間だけデジタルカメラでの撮影が許可されていましたが、今回の緩和でデジタルカメラ撮影は、ヘリコプター等を除いて大型機、小型機ともに常時(離着陸時も)使用制限はなしとなりました。従って(シャッター音などで)他の乗客に迷惑とならない限り、今回のような写真は自由に撮影できるのです。

但し、航空機外の通信設備と無線通信を行う電子機器(携帯電話、PHS、スマホ、タブレット端末、電子ゲーム機、パソコン、モバイルWi-Fiルーター)は、引き続き使用禁止となっています。

しかし <着陸の後、滑走路を離脱し誘導路に入った時注)から、全ての電子機器が使用可能となります。 注)誘導路がない空港については、着陸の後の滑走が終了し駐機場に向かった時>

とあるので、携帯電話、PHS、スマホ、タブレット端末、電子ゲーム機、パソコン、モバイルWi-Fiルーターでも着陸の後、滑走路を離脱し誘導路に入った時からは使用ができるよう制限が緩和されています。



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野生のカルガモのひな鳥は警戒心が強く、近くに寄って写真を撮るのは難しいのですが、近所のカルガモは例外でした。

何と、このくらいまで近づいて撮影させてくれました。

これ以上近づくと、ヒナが口を開けて威嚇してきます。

こちらもヒナが威嚇しているところ。この口で噛みつかれてもたぶん痛くないでしょうね。

人に馴れてきたせいか、威嚇行為が無くなったので、顔の拡大写真を撮ってみました。

これもカルガモのヒナ鳥の顔の拡大写真です。

手前の個体にピントが合っているようです。眼の両側を通過するこげ茶色の過眼線の形状が1羽つづ違うので個体識別に使えそうです。

今回最大ズームで撮影した写真。

これくらいまでズーミングすると、なかなかピントが合いませんね。



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ケリの棲みかに近づくと、親鳥がけたたましく鳴きながらスクランブル発進

親鳥は飛び続けるのではなく、ときどき休憩のため地上に下りてきます。地上での姿もなかなか美しい野鳥ですね。

ケリの幼鳥は、人の姿が見えて親の警戒する声が聞こえると急いで草むらに駆け込みます。

幼鳥は蔦の葉が茂った中に隠れ頭だけ出しています。こうなると幼鳥を見つけるのが大変です。

この写真では幼鳥は2羽ですが。

実はこの翌日に撮った写真には3羽の幼鳥が写っていました。

体ぼ大きさは、ほとんど成鳥と同じくらいだと思います。

こちらを見て、口を開けて威嚇しています。

このままちゃんと巣だって欲しいものですね。



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イギリス外交官アーネスト・サトウ(1843~1929年)は、明治15年(1882年)まで日本で勤務、そのあとバンコク総領事、バンコク公使、ウルグアイやモロッコでの勤務を経て、明治28年(1895年)日清戦争後の東京にイギリス公使として再度赴任しています。

その後清国イギリス公使を務め、明治39年(1906年)45年間に渡る外交官生活に終止符を打って帰国、母国イギリスで23年間もの長い引退生活を送って亡くなっています。・・・カルガモの親子

そのサトウの著書にある1868年のパークス事件は前回紹介しましたが、徳富蘇峰も著書「近世日本国民史」にそれを書いていますのでカルガモのひな鳥と一緒に紹介しましょう。<・・・>がその引用・・・カルガモの翼鏡部

<(中略)道路狭隘、転折(Uターン)するの余地無ければ、パークス公使を始め後藤象二郎(土佐藩士・当時30歳)等も道路の混雑何事なるを知らず。中井弘(鹿児島藩士・29歳)は最初前導(先導)に在りて、はるかに後列の変を見やるに、一人の暴徒が列を衝き、すでに騎兵を斬りし体にて>・・・左のひな鳥がまだ短い翼を広げていますね。

<なお白刃を持って襲撃せんと進み来れば、(中井)あわやと驚き急に馬上から飛び降り、佩刀を抜きかざし、飛鳥の如く馳せ返り撃斥けんとするに、暴徒抵抗し、中井に立ち向かいて烈戦す>・・・中央のひな鳥も翼を広げています。

<中井と等しく真っ先に前導せし土肥真一郎、宇都宮靭負の両官吏はこの急変に狼狽し、中井の危機を援けんとはせず、(中略)駆け出して三条大橋の方に至る>・・・右のひな鳥の翼

行列の真っ先にいた土肥真一郎(宇和島藩士・当時30歳)と宇都宮靭負が本来の護衛者で、英国留学経験のある中井は外国事務局接待役であり、警護の役目では無かったのです。・・・ひな鳥達は、かなり寛いでいますね。

土肥真一郎、宇都宮靭負という要人警護のシークレットサービスが逃げてしまい、代わって外務省高官(中井)が真剣を抜いて戦い、暴漢を制圧したのです。これで命を救われたパークスが中井と後藤を激賞した理由が判ります。・・・1羽だけクローズアップしてみました。

ところで土肥真一郎とは、後に第七代大阪商工会議所の会頭を務めることになる土居通夫のことで、彼の伝記「土居通夫君伝」には、土居は田宮流剣法の免許皆伝だったとあるので、逃げた理由は何だったのでしょうか。・・・この2羽はとうとう熟睡モードに突入です。

参考文献:明治の元勲に最も頼られた名参謀 中井桜洲 屋敷茂雄著



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高知空港から伊丹空港までの飛行機から見た松原市にある大塚山古墳です。その上の高架道路は中央環状線

次に見えてきたのは羽曳野市から藤井寺市に広がる古市古墳群です。一部は天皇陵として比定されているものの、歴史的に証明出来ている訳ではありません。

飛行機が古市古墳群最大の誉田山古墳(応神天皇陵)の上を通過。

古市古墳群のすぐ北側には大和川が流れています。下の写真で湾曲部の先端(上部)が直線となっているのは江戸時代に川を付け替えたため。

生駒山系の西麓に広がるのは東大阪市です。

飛行機はさらに高度を下げ、森ノ宮駅の上空にさしかかりました。右側の緑地は大阪城公園です。

大阪ビジネスパークの横を通過

天神橋筋6丁目の上空から梅田、中之島方向の景観です。

淀川上空からの大阪梅田付近の超高層ビル群。ここまでくると伊丹着陸はもうすぐです。



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先日から紹介している近所の池のカルガモのヒナ達ですが、かわいいので今回も再登場してもらいましょう。

ヒナ鳥達は、池の中にあるオイルフェンスのような浮きの上で休むようです。

最初に親鳥が浮きに上り、ヒナ鳥達もあとに続きます。

5羽すべてが不安定な浮きの上によじ登りました。

浮きの上で兄弟揃っての一休みです。

もうすこしズームアップしてみましょう。

浮きが揺れるので、左のヒナは短い翼を広げてバランスを取っています。

ひな鳥と親鳥

もっとズーミングしてみました。ヒナ鳥はズームアップするほど可愛く見えますね。



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