最近読んだ「共産中国はアメリカがつくった」という本から、第二次世界大戦中の陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル(1880~1959年・以下マーシャル)のことを、夕暮れ時のカモの飛行写真と一緒に紹介しましょう。
著者のマッカーシー(1908~1957年)は、アメリカ共和党上院議員で共産党員と疑われた者への攻撃的非難行動(マッカーシイズム)で知られる人物ですが、彼がマーシャルを徹底的に非難したのがこの本でした。
太平洋戦争中の1944年(昭和19年)12月陸軍参謀総長マーシャル大将は陸軍元帥に任命され、その2日後に南西太平洋方面軍最高司令官ダグラス・マッカーサー大将(1880~1964年)、さらにその2日後にヨーロッパの連合国遠征軍最高司令官ドワイト・アイゼンハワー大将(1890~1969年)が元帥に任命されています。
マッカーサーとアイゼンハワーはよく知られた人物ですが、マーシャルは自身の回想録を書かず、人にも書かさなかったため米国でも日本でも知る人が少ないようです。
さて、マーシャルは1901年にヴァージニア軍事大学を卒業して陸軍に入隊。 第一次世界大戦(1914~1918年)中の1917年に陸軍少佐、ヨーロッパ派遣軍最高司令部(後方部門)の作戦計画担当参謀となっていますがその軍功は評価されていません。
一方、マッカーサーは、1903年に名門ウエストポイント陸軍士官学校を卒業して陸軍に入隊、第一次世界大戦ではレインボー師団の参謀長(大佐)として参戦(最前線の西部戦線)、レインボー師団の貢献度はアメリカ陸軍の中で2番目と高く評価され、マッカーサーは准将(将軍)に昇進しています。
実戦で軍功を挙げたマッカーサーは、大戦後に母校の陸軍士官学校校長に就任。そこでも辣腕を振って士官学校を改革したことで、1930年に早くも陸軍トップの陸軍参謀総長(大将)に任命されています。
マーシャルも1919年に大佐に昇進、ヨーロッパ派遣軍総司令官パーシング大将(1860~1948年)の副官となりますが、軍功が無かったため戦後少佐に降格、マーシャルはパーシング大将に直訴してマッカーサー参謀総長に昇進を嘆願してもらっています。
同じ1880年生まれのマーシャルとマッカーサーですが、二人が50歳となった1930年には少佐と大将という大きな差がついていました。
参考文献「共産中国はアメリカがつくった」Gマーシャルの背信外交 ジョゼフ・マッカシー著・本原俊裕訳